1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2007/8/30
ジムは遅くまで空いている。日付が変わるまでだ。
コナミスポーツだ。コナミスポーツは、結構遅くまで
営業していて、24時間営業のところもある。
僕が行っている所は、日付が変わるまでだ。
大浴場が5つくらいあって、そのひとつは、屋外にある
天然温泉だ。といっても、深く深く掘ってのものなので、
人工的みたいなものだ。
夏であってもやはり、露天は気持ちがいい。
日中は青空が見えたりする。雨の日は、雨がそのまま落ちて
くる。
今日も日付が変わるくらいまでいた。
そんな露天のお風呂でゆっくりしていると、ほっとした気持ち
になることができる。外から中に入って、内風呂もハーブが
入っているところに沈み込む。
今日は、露天にいたときに、風が吹いていた。秋の涼しさをほんの
ちょっと含んだ風だった。
月は満月に近い。残念ながらその露天風呂からは、見えない。
朝、蝉の鳴き声も聞かなくなってしまった。
入り口のところに、蝉の死骸がころがっていたりする。
蝉の寿命は短いのだ。
そんな蝉は、近くの土があるところまで運んでやる。
体を動かさないだけに、なぜかその生命の存在を手に感じさせる。
日中はまだまだ暑いが、確実に太陽は角度を変えている。
今年は、強い日差しのため、葡萄がおいしいらしい。

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2007/8/28
村田兆冶がテレビに出演していた。引退した今でも、日本中の
離島を回り、少年たちに野球を教えているらしい。
テレビで映っていたのは、夕張だった。
今でも、141kmの速球を投げる。57歳だ。
http://www.kouenirai.com/profile/214.htm
ストレッチグとトレーニングも欠かさない。
宿泊先のホテルのベッドの上で行っていたストレッチングは
体が柔らかい小学生の様だった。
215以上の離島へ行って少年たちに野球を教えるのが
夢らしい。
島は、疎外感を感じているだろう。だから、そこで夢を
持つ手助けができればと言っていた。
僕が高校生の頃、友人と3人で化学の時間をさぼって西宮球場
に全日本対全米の試合を観た。(そのときは、メジャーと呼んで
はいなかったと思う)その、オールスターの打者をフォークと
速球で三振にばったばったととっていた。ピッツバーク・パイレーツ
のデイブ・パーカーやドジャースのスティーブ・ガービーがいた。
フィリーズのピート・ローズもいた。
黙々と自分のやるべきことをこなす職人。
なんて渋いんだ。
正直言うと、桑田より、村田がメジャーで投げるのを
見たかった。
がんばれ、村田。その姿を見て、日本の少年野球の少年少女
(最近は人数が足りなくて、結構、女の子も地域の野球チーム
に入ったりしているらしい)たちよ、世界を目指すのだ。
村田さんの寡黙な背中をじっと目に焼き付けておくのだ。
それにしても、141kmですよ。

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2007/8/27
ダルビッシュなのだ。
情熱大陸だ。例の付き合ってます宣言と、お父さんになり
ます宣言をする前から、取材を重ねていく。丁度、その
楽天戦の後のインタビューは、そのクライマックスだ。
ちゃんとその時の家族の表情もカメラにおさめながら、
ドラマも織り込んでいく。
日本人の母親とイラン人の父親を持つ21歳は、22歳に
なると国籍をどちらかに決めなければいけない。
名前とその容姿のためにいじめられた過去の子ども時代。
ひたすら野球に打ち込み、自分の存在の置き場をつくり
だしていく。現時点では、メジャーにも興味はない。
しなやかに、びゅうんびゆうんという投げられる球は、
三振の山を築いていく。
その陰にも、徹底したウェイトトレーニングに裏付けられた
努力がある。
情熱大陸の撮影の時にも、例のヌードの写真が撮られている。
ダルビッシュの中にイランの血が流れている。だから、国籍
を決めなければいけない。そんなドラマや、小さな頃いじめられて
いたというエピソードが、出来すぎた物語にさらに装飾を加える。
平日の昼間の芸能レポーターの話より、完璧な話が、完璧に
出来上がっている。
かっこいいくらいに出来すぎたストーリーの流れだった。
http://www.mbs.jp/jounetsu/
しかし、2〜3年前は、彼は高校生だったのだ、
甲子園球場のマウンドで輝く。

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2007/8/25
夏と冬の休みにニューオリーンズやニューヨークやロンドンに
行ったのは10年以上前のことだ。中国の広州やベトナムに行った
のは9年前。トルコに行ったのは8年前(イスタンブールで地震に遭った)、
韓国も8年前で、7年前にはスペインに行っている。
ドイツは4年前、イタリアとカンボジアは3年前、そして、2年前に
コペンハーゲンとストックホルムへと行った。
ニューヨークへ行ったのは、9.11の前だし、ニューオリーンズも
ハリケーンカトリーナの前のことだ。
ネットで探していくとそれぞれの国の現在の状態がわかったりする。
ベトナムと中国(とっいっても香港と広州しか行ったことがないけ
れど)は、その頃とは、街の風景は全く違ったものになっていると
いうことが想像できる。
ネットで今年の夏に広州に行った人を見つけた。
オリンピックをひとつの核にして(というより、梃子ですかね、
レバリッジってやつですね)都市は建設ラッシュに溢れて、
世界中の企業が、世界中の20%の人口を占める国目指して
開発をしようとしている、それが今の中国の都市の姿だろうと
思う。
ネットで聞いた広州の姿は、僕が行った時のイメージと全く
異なっていた。マクドナルドはあったが、スターバックスは
なかった。
旅行に行くと、その都市の動物園に寄るのが好きなのだけれど、
広州で入った動物園は、やたらにただ広く、売店の人が近くの
池にモップを突っ込んで、それで店の床を拭いていたり、
作業員が、ペンキのはけがないのか、手でそのまま塗っていた
り、かなり大雑把で危機管理がなかった。
世界の人口は膨張している。
http://arkot.com/jinkou/keitai/index.shtml
環境問題は、実は、人口問題と食料の問題でもあるのだ。
中国、インド、さらにブラジルなどの国々のGDPがあがって
いけば、その国の人たちの消費構造も変化していく。
先進国は、それらの人たちに、「買いなさい」といいながら
「いや、質素が暮らしをしなさい」といわなければいけない
立場になる。
かつて日本の高度経済成長時代が、今の中国にやってきている
ようなものだ。そして、それは人口からみても、10倍以上の
規模でやってくるのだ。
食料、水、エネルギー、温暖化。
地球はひとつしかない。戦争なんかしている場合ではないのだ。
科学と知恵と愛を結集して、立ち向かわないと、何もかもが
なくなっていく。じわじわと。

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2007/8/24
ちょっと、シャープな感じの同僚と飲んだ。
会社関係で業者さんと飲んだ後らしく、偶然、会った。
一杯飲もうということで、バーに。
「テキーラサンライズを」
「えー、それって古いで、イーグルスの曲にもあるやん」
「イーグルスって有名ですやん」
その同僚とは10年の年の差がある。それでも、精神的な年齢差は
きっと5年くらいかもしれない。
「グレン・フライのボーカルやねん」
「じゃあ、ジン・ライムを」
と、目の前には、ラム、ロンリコがあったので、ロンリコにライムを
入れてもらった。
それぞれの人には、それぞれの立場があって、その立場から、様々な
見方をするのだなということがよくわかった。
ただ、本当に見える位置にいる人、本当に見ることができる力を持って
いる人、そんな人が、一番辛いのだ。
文句だけを言うのは簡単だし、責任がない。
ましてや、ものすごく小さな場所からの(俯瞰的な視点を持たない
場合)そういった発言は悲しい。
一杯が、僕の場合、ロンリコ→バス・ペールエール→ペルソーダ割り
になり、日付が変わりそうだったの、そのバーを出た。
俯瞰的だよ、そうだよ。
がんばろうね。

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