1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2007/2/28
ネットというものは、やはり便利なもので、自分が気に
なった曲の歌詞が知りたいときに、その曲で検索すると
マニアックな個人的な解説がついて歌詞が出ていたり
する。
輸入CDだと、ライナーノートもなく、歌詞もCDによって
はついてなかったりする。
前回の続きで、スティービー・ワンダーから入るのだけれど、
2枚CDのベスト版の中に、Lately という曲があって、
詞の内容を細かく知りたくて、検索をした。
きれいなメロディのバラードだ。
最近、ちょっとなんか変な予感がするんだ
特にはっきりした理由はわかないのだけれど
君は、いつもより頻繁に香水をつけるし
それなのに特にどこへいくというわけでもないって言うし
遅くなるのと聞くと
わからないというし
君は眠っているときに
誰かの名前をつぶやいて
僕が尋ねると
別に何も変わりはないというけれど
僕の思い過ごしだといいのだけれど
自然と涙が流れてくるんだ
別れるときなのかと
かなり意訳しているけれど、そんな感じの曲だ。
このての歌詞は、結構、他にもある。
ボニー・レイトの I Can't Make You Love ME , If You Don'T
も悲しい色調の美しい曲だ。
一緒に横になって
ただ私を抱きしめて
嘘をつかないで
目をじっと閉じて
自分の愛の力を感じているのに
あなたからは何も感じることはできない
あなたが私を愛していないのに
私をあなたを愛させることはできない
そんな曲だ。
消え逝く愛の形。時間は、どういった形であれ、
愛というやつを侵食していく。
そのときに、2人がなんとかつながっていられるのは、
何もなくなったときに残る、2人のお互いに対する
いとおしさだと思う。
この人が、今、目の前から永遠にいなくなってしまったら
と考えた時に、それは絶対に嫌だとどれだけ思えるかという
ことかもしれない。
それは、その時までにどれだけ、お互いを分かり合おうと
努力した時間とか、労力に比例するのかもしれない。
あとは、重ねてきたお互いの思い出だ。甘いものも、痛いものも
辛いものも、楽しかったものも、全て含めての思い出だ。

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2007/2/27
出張で東京に行っていたときに、埼玉アリーナで
スティービー・ワンダーのコンサートがあった。
日曜日のことで、横浜桜木町の野毛にあるバー
ジラソールのマスターの須貝さんは、コンサートに行く
と言っていた。土曜日の夜、バーに寄ったときに話をしていた。
前から知っていたら、そのチケットを購入していたかもしれない。
今週に行われる大阪公演は2日とも平日で、時間的にも行けそうに
ない。
だから、今、2枚組みのベストを聞いている。
タイトルの these three words は、スパイク・リーの映画
ジャングルフィーバーのテーマとして、オープニングから
流れた曲だ。その3語というのは、i love you のことで、
両親や子どもたちや恋人が、あなたに愛していると
最後に言われたのは、いったいいつのことだろう。
毎日を大事にしているというけれど、愛しているよという
そんな簡単なことを言う時間がないというのだろうか。
こんな短い3語だけれど、大事なことなんだ。
そんな感じのことだ。
日本人のメンタリティーというか、習慣として、ダーリン
アイラブユーなんて言うの恥ずかしいし、不自然だ。
しかし、ここでの i love you は、 i thank you の
3語に置き換えることが出来ると思う。
そう、周りの人たちに感謝するということ。
一体、いつが最後だろう、あなたが、周りの家族や恋人に
感謝の気持ちを表したのは。
当然、自分自身も反省会。
次に流れるのが、stay gold だ。これは、フランシス・
フォード・コッポラのアウトサイダーのテーマ曲だ。
(コリン・ウィルソンの難しい本ではないからね)
確か、エンディングに夕日をバックに、主人公たちの
顔が出てくるところで流れた曲だったような気がする。
ラルフ・マッチョとかマッド・ディロンとかが出ていた。
そういえば、レイフ・ギャレットも出ていたような。
(俊ちゃんが替え歌で下手な歌、歌ってたよね、確か、
レイフ・ギャレットの曲)
そう、そう、アウトサイダーにトム・クルーズが出ている
んですよと教えてくれたのは、横浜桜木町のバーキネマの
マスターの吉井さんだった。
ということで、ディスク2の1曲目にもどした。
send one your love が、かかり始めた。
彼女(彼)に素直に好きだという気持ちを伝えなさい、
薔薇でも贈ってみるか、素直に気持ちを表わそう、
それって格好悪いことじゃないんだ。そんな感じだ。
(かなり意訳しているけれど)
感謝の気持ち、忘れないようにしないとね。
コンサート、行きたいな。

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2007/2/26
「情熱大陸」は、パリに住み始めて8年。日本食の店を出している
相田 康治さん。38歳。昔は、芸能人だったらしい。
お家が料理屋さんで、その手伝いをしながら、フランスへと渡り、
ワインの仲買人をし、そこから自分の店を出すに至っている。
20席くらいのレストランで、今、人気があるらしい。
ブリュターニュの一本釣りのすずきを切り身にして、ブルュターニュ
の塩を振ったり、牡蠣を海草入りのバターで炒め、クレソンにのせる。
何人ものフランスのレストランのシェフが訪ねてくる。
京都の老舗の料理屋さんの料理長が訪ねてくる。
従業員は全て日本人。次々に料理を創作していく。
また、フランスだ。ここのところフランス関係がつながる。
こういったことを、ユングは「意味のある偶然」つまり、
シンクロニシティと言った。ポリスもアルバムのタイトルに
したことがある。ある事象と事象との間に意味を見つけるか
どうか、それは全て本人にかかっている。
昨日、メールで文庫本の感想をメールで送ったが、返事が
すぐ届いていた、吉村葉子さんというエッセイストだ。
講談社文庫で発売され、新刊として棚に並んでいるくらい
だから、もの凄い数のメール(メールアドレスをその本で
公開している)が届いているはずだ。
ちゃんと、個人に対して出しているということがわかるよう
なメッセージでだ。さすが、プロフェッショナル。
日曜日、加古川の駅の近くの「むさし」という紀州備長炭
の串焼きのお店に、母と行った。
ビールを飲み、焼き鳥を食べた。
家の家族は、それほどみんなで外食するということが少なかった。
きっと、大人になってから、そういったことを僕がアレンジメント
するべきだったと今更ながら、後悔する。
父と母と妹。
今ならわかる、きっと無口のまま、感情を表さない息子に対しての
スタンスの取り方がわからなかったのだと思う。
外食は、そんな空気を微妙に変えたりするものだ。
そんな、父はもういない。
母とは、たわいもないことばかりを話した。
そんな時間がきっと大事なのだと思う。そんな時間を父が生きていた
ときに重ねてこなかったことを、後悔した。
メールが入った。楽しかったという母からのメールだった。
加古川から、加古川線に乗ってのところに、西脇という駅がある。
ウルフルズのトータス松本の生まれ故郷だ。
少し冷え込んでいる。その店で「関東煮」を食べた。
その店のメニューには、おでんという文字はなかった。
しかも、店員たちは、「かんとううだき」という呼び方をしていた。
おでんの出汁の色が薄くなっていったのは、関西を経由したからだ。
それが、今は全国のスタンダードになりつつある。
福島の「花くじら」のおでんを食べた今となっては、なかなか他の
ところでのおでんは食べにくくなった。
ところで、相田さん、パリの「あい田」で、おでんを出してみては
いかがでしょうか。

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2007/2/25
斉藤和義の武道館でのライブをかけている。ハーモニカの音が
響く。絶対に、このミュージシャンは、ボブ・ディランが好き
なはずだ。(ホフじゃないよ、本物の方ね)
講談社文庫の『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても
不安な日本人』という本を読んだ。講談社文庫のものだ。
20年間、パリに滞在していた吉村 葉子さんというエッセイスト
が書いた作品だ。自分の子どもをフランスの学校に通わせながら、
地についたグランドゼロレベルでフランスを見つめた筆者が、
書く、フランス人について知る材料になる本だ。
実存主義的な哲学的合理的アプローチではなく、20年の人との
その現地の人との触れ合いから生まれた作品だ。
ブランドのこと、フランスの教育のこと、家族関係のこと、
友人関係のこと。
そう、ブランドものは、クラフツマンシップのもので長い使用
に耐えるようにつくられているものなのだ。だから、3つも
4つも、5つも必要ないものなのだ、本来は。
そして、そのブランドを持つということは、生活様式もそれに
あわせるという意志なのだ。
だから、きっと、ビトンやエルメスで、マクドナルド(アメリカ
合理主義・拝金主義の象徴)に入ったりすることは、きっと、
フランス人にとっては、パロディでしかないのだろう。
しかも、エスプリが欠けたパロディだ。
表参道にコールハーンのお店ができて、ある外国人が
大事そうに、10年近く履き続けているコールハーンの
シューズをリペアーのために持ってきたという話を
読んだことがある。
大事なものは、そうやって大事にすれば一生物になる
のだ。
そう、自分にご褒美をあげるとしたら、ちょっと奮発
して高いものを買って、一生使っていく意志をもつべきな
のかもしれない。自分が飽きるかもしれないと思ったら、
ランクを下げたブランドで買った方がいいのかもしれない。
それが、つくる人へのレスペクトだ。
本の感想を書いて、その筆者にメールを送付した。HP
の日記には、倉本聡のドラマのせいで、神楽坂に人が
増えたということを友人が言っていたということが
書いてあった。
東京の昔からの文化の風景のひとつだ。ただ、あの辺り
をあてもなく歩いたことがあった。
プロムナード、フランス語で散歩のことだ。(だった
でしすよね?)
ということで、昨日は、『冒険者たち』をDVDで
観たということもあり、フランスに浸っていた。
ブランドとかでない、フランスフリークの人の気持ち
が、ほんのちょっとわかったような気がした。
トルコへ行くときに、エアー・フランス
でシャルル・ド・ゴールの空港のカフェで、バターの
きいたクロワッサンとカフェ・オーレを朝にいただいた。
それが、僕とフランスの接点だ。
とてもおいしいクロワッサンだった。
まあ、遠いつながりでいうと、ベトナムに行ったとき、
フランスの植民地時代の名残を感じたけれど。
ベトナムでとてもおいしバケットを出すところがある。
そんなわけで、今は、西宮北口の「たこ正」のたこ焼き
を食べながら、シュラー・シュヴァルツエ・カッツを
飲んでいるわけです。(ドイツへ行ったってことね)
2005年の750mlのやつなのですが、1,000円
以下で買えるのですからね。
そういう意味では、日本も
幸せな国になったものです。そのありがたさや、もっと、
もっとという「lust」を省みる余裕が必要ですな。
つまり、感謝と他者への視線というやつです。
昨日は、行けなかった福島のおでんやさんへ行った。
ジムへ行って、そして、福島へ。大阪のね。
「花くじら」それが、そのおでんやさんの名前だった。
熱燗を飲みながら、おでんを食した。うまかった。
神戸の南京街のバータリスマンのバーテンダーの
ひとりが、すすめるだけある。
きっと、常連の予感。
なぜか、あそこのおでんは、フランス人にも絶対受ける
だろうと思った。
ちょっと寒気が戻った4度の大阪の街を福島から大阪へ
と向かって歩いて行った。福沢諭吉の生誕の地を通り
ながら。
大きなマンションが建築予定で、そのあたり
の敷地には、囲いがされていた。大阪合同庁舎の近く
だ。
10分で、桜橋西に着く。そのちょっと先は、北新地だ。
なぜか、前の会社のことを思い出した。そこで働いていた
人たちのことだ。
僕が大学を出て初めて就職した会社(ダイエー
系列で、入社式には、虎ノ門で、中内功さんが、レーザー
の光の中、ステージに現れていた)だ。
中国雑貨に特化したところで、当時、オリーブや
アン・アンやノンノや流行通信なんかに取り上げられて
いた。その店舗が僕の職場だった。渋谷と原宿。
結構、変わった人の集まりだった。いつか、その人たち
のことを題材にして小説を書こうと思う。
80年代から90年代の泡のような時代のことだ。
渋谷のお店は、スペイン坂と言って、センター街から
パルコへと向かう途中にあった。向かいにあったラブ
ホテルが、シネマライズに変化した頃のことだ。
斉藤和義が、「歩いて帰ろう」を歌っている。
そう、もう急いでも何も得るものはないのだ。
ゆっくりと、それでいて、実は、タフに生きるのだ。
柳のように、 ね。

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2007/2/24
ホットワインをつくった。まあ、ワインをあたためただけだ。
ワインの熱燗のようなものだ。
オレンジを切り、グラスの中に入れた。
仕事の後、大阪で環状線に乗り、内回り経由で福島へ。
阪急電鉄(阪神電鉄を買収しましたね)でも、御堂筋線でも
「だから、巨人」(だったよね)というポスターが目立つ。
ジャイアンツと広島戦の公式戦の案内だ。しかも、京セラドーム
でも公式戦のものだった。ポスターはそのチケットの発売を知ら
せるものだった。
まあ、実は、阪神間にもかなりのジャイアンツファンがいるという
マーケティングの結果をベースにしているのだろうけれど。
神戸の南京街のバータリスマンのバーテンダーが言っていた
おでんやさんに行ってみる。ずっと下ると福沢諭吉の生家が
あるんじゃなかったっけ、確か。
しかし、今日は、金曜日で、たくさんの人が並んでいて、
入れなかった。仕方なしに、近くのラーメン屋さんに
入り、ちゃんぽんを食べ(なかなかおいしかった)、
近くの魚を主とするお店に入った。刺身がおいしかった。
イタリアンのバーポルチーノにも入ることができなかった。
街には、少し冷たい風が吹いていた。
そこのおでんやさんをすすめてくれた、バーテンダーは、
エド・ハリスの若い頃という感じだった。
10年前くらいに、大阪の西区に住んでいて、よく福島
界隈はうろついていたらしい。今は、神戸のバーでバーテンダー
として働いている。左手の薬指にはシンプルなリングが輝いて
いた。バーテンダーな若いお父さんなのだろう。
部屋へと戻り、ワインを温める。CDをかける。昨日は、
トータス松本がうなっていた。CDには朝にかけた
ヨーヨーマが残っていた。ベストのやつだ。1曲目の
バッハのプレリュードがかかる。
サックスのバージョンが昔、コマーシャルで流れていた
ことがある。車のコマーシャルだったと思う。
2つ前の携帯のときで、着信音が、そのプレリュード
だった。
亡くなった父が、初めて入院をしたとき、夜に携帯が
鳴った。母親からだった。そのときの着信音が、その
プレリュードだった。
だから、父が亡くなってその曲を聞くことがしばらくの
間できなかった。
知らないうちに心臓の鼓動が激しくなってしまうのだ。
今は、そんなことないが。
このCDの中で好きなのは、2曲ともオコーナーの曲だ。
ソング・オブ・ザ・リバティ・ベルとアパラチア・ワルツだ。

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