1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2006/12/30
本年も、このブログをご覧いただきありがとうございます。
様々な場所で、年末と年初をお過ごしのことと思います。
たくさんの幸福をお持ちの人も、様々な問題を抱えている人も、
年が変わったからといって状況が悪化、好転するわけではありませんが、
ちょっと自分と自分の周りの人を見つめる機会がこの時期ではないでしょうか。
来年が、皆さんにとって笑顔がひとつでも増える年になりますように。

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2006/12/29
茶房は、神戸・三宮の高架下にあるジャズ喫茶だ。
まだ横浜に住み始めたばかりの頃、帰省のときに見つけたお店だと
思う。
そのお店自体はずっと昔から営業していて、テレビのドラマなんか
にも使われたことがある。20人くらいは座れると思う。
ジャズを聞き始めたのは、30歳前後のことだった。中学生や
高校生の時に聞いていたのは、解散して時間がたったビートルズで
あり、タイムリーにカーぺンターズであり、アバであり、そして、
ポリスやクラッシュやYMOやマイケル・ジャクソンだった。
大学生になって、そこにリズム&ブルースが入りこんできた。
ジャズと呼べるものがあったとすると、リー・リトナーや
スパイロ・ジャイラなどのフュージョンだった。軽音楽とカテゴリー
されていたものだろうか。
だから、中学生とかからジャズを聴いてきた人のようには専門的な
ことを語ることはできない。
ジャズを聴き始めたのは、ルイ・アームストロングやエラ・フィッツ
ジェラルドなどのボーカルからだった。勉強君な僕は、何冊かのジャズ
関係の本を購入し、歴史の順番に聴いていき、勉強した。
WCハンディとかあたりや、チャーリー・パーカーあたりは、しっかり
とは聴いてはいないが、しっかりと聴き始めたのは、ハード・バップ、
アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズあたりからだった。
トランペットのリー・モーガンがお気に入りだった。
リー・モーガンは、出演中のライブ・ハウスで奥さんに銃で撃たれて
亡くなった。女性関係が問題だったらしい。
ジャズは、儲かるジャンルではない。それは、ある意味、クラシカル
ミュージックに身を置く人と同様かもしれない。
グラミー賞をとるようなミュージシャンは、別にして(それも、コンサート
にお客さんがたくさん入り、CDをちゃんと購入してくれるという
前提だけれど)本業では食べていくことができなかったりする。
CDの前の時代のレコードの時代もそうだ。
何人もの才能あるミュージシャンが、郵便局員なんかをしながら、音楽を
続けていった。60年代には、公民権運動で黒人の人権問題が盛り上がるまで
は、歴然とした差別もあったし、公民権運動後もそれは続いた。
あまりにもカバーする音楽の幅(許容量なのだろう)が広いため、これが
ジャズがということを定義するのは難しい。
茶房に座って、本を読んだ。オルセー美術館展を見に、神戸市立博物館
へ行きたかったのだけれど、25日〜1月1日までお休みということ
だった。
隣には、芦屋のJRの南側(芦屋にも当然、ごく普通の所得の人たちは
たくさん住んでいる。阪神間は、大阪から神戸に向かって北から、阪急、
JR、阪神と電車が並んで走っているが、北・中・南となんとなく、
所得ごとに分かれながら住んでいるようなイメージがある)の小学校に
勤務する小学校の図工の先生とその友人が座っていた。
別に話を聞こうとしていたわけではなく、話が聞こえてきたのだ。
ごめんなさい。
その、自称、ちえちゃんによると(20代後半の女性だろうか)昨日
は、学校で図工の補習の時間で、5人参加していたらしい。
図工で、なぜ補講になるかというと、実際の授業の時間に絵を全く
書かなかったかららしい。じっとひとりに付ききりになって、やっと
書けるらしい。
「それでな、終わったらお家までおくらなあかんねんけど、家、おかあさん
おらへんねんで。別に勤めている人でもないのに。自分の子どもが帰って
くるって知ってんのに」
「芦屋のな、南側のどっちかというと庶民的なとこの小学校なんやけれど、
北側の方は、ほとんど中学受験の子ばかりで、結構、殺伐としてるらしいで。
6年生になったら、ほとんど3学期、休むらしいで」
「ちえの学校にも受験の子、おるけどな、人を撃って、血が出ているような
絵とかばっかり描くねん。新しい紙あげて、別のん書きっていうたら、
人が倒れてる絵、書くねん」
「芦屋は、小学校で、音楽と図工と理科は担任の先生が教えるのと違うねん」
次から次へと小学校の状況が、話の中に出てきた。図工の先生ということで、
通常の先生とはちょっと見方が変わっているのだろう。ちょっと、オフ
ビートな感じでおもしろかった。
その友人も負けてはいなかった。
「そうなん、うちらの小学生のときには考えられへんなあ」
「小学校の頃の男の先生はみんなこわかったよな、男子とか殴られてたし」
「なんか、久しぶりに化粧したら、肌ぼろぼろやってん。ほらあ」
「やっぱり高校くらいから、ちゃんとケアーしとかんと、あかんなあ」
「今日って、鶴吉と違って、鶴三やったは」
「ちえちゃん、メニエル病、大丈夫なん」
「うん、まあ、なんとか。でも、ちゃんと病院いかんと、ほっておいたら
難聴になるらしいで」
会話はラップのように、漫才の掛け合いのように、微妙にずれながら、
少し斜めのタペストリーを編んでいた。
バックに流れる控えめなジャズもその前には、申し訳なさそうだった。
ちえちゃんも、小学校で図工を教えながら、結構、苦労しているようだった。
それでも、なんとなく、人生を楽しんでそうだったし、仕事も好きそうだった。
ということで、ジャズのような話でした。

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2006/12/28
そばの跳躍とうどんの重力
おさむ
そばと漢字で書くことができないのは
関東から関西へと引っ越して6ヶ月
そば屋の暖簾をくぐることがなくなったからだろう
青森から取り寄せた鱈入りの揚げたちくわがついたぶっかけうどん
つるつると食べながら考える
大阪のショッピングモールの地下のうどん屋さんで考える
グラスに入ったビールを傾けながら
これは麦つながりやねと思う
横浜に住んでいた頃
地元のそば屋さんによく寄ったものだ
兄弟がいつも店に出ていた
お兄さんはいつも丁寧で
浦和レッズのトゥーリオのようで
太っちょの弟はまあ普通の接客で
安田大サーカスのヒロくんを半分くらいのサイズにしたようだった
休みごとに
昼下がりから鴨南そばを食べながら
お酒を飲む時間が好きだった
その店には地元の人たちが集い
昼下がりから賑わっていた
「アエラ」の記事に休みの日に子どもを連れてそば屋さんへ行くという記事があった
共働きの奥さんの記事で
子どもと入ったそば屋さんで昼からお酒を飲むことが好きな時間だというものだった
昼下がりからお酒を飲むこと
そば屋さんではその許容度が高いのかもしれない
うどん屋さんではなかなかそうはいきにくい
ちょっと昔のこと
その人とよく恵比寿のカウンターだけのバーで昼からビールを飲んだ
場所と一緒にいる誰かと
昼からお酒を飲むことはそれによって不自然でなくなるのだ
海外に行ったときには昼から飲んでいた
スペインでワインをイタリアでワインをタイでビールを香港でビールを
そばに跳躍力があるとしたら
うどんには重力が働いている
お酒を飲んでそばをすすれば
さらに跳躍力を得ることができるのだろうか
もしそうだとしたら
もしそうだとしたら
そのそばの時代が
僕は恋しい
テレビで音楽番組をみた。アンジェラ・アキとスガシカオが出ていた。
ライブの番組だった。アンジェラ・アキは『情熱大陸』にも出演していた。
2人共、10年の音楽キャリアがあるらしい。
スガシカオが「夜空ノムコウ」をアコースティックギターだけで歌っていた。
送別会とか歓迎会や忘年会の時に、カラオケで聞いたスマップのものとは、
なぜか印象が違った。
ゆっくり耳を傾けると、なんてすばらしく、なんて、いたい歌詞なんだと
思った。
2006年がカウントダウンだ。去年の僕はきっと今頃は、のんだくれていた
のだろうね。海外への旅行は、去年の夏のデンマーク・スエーデンで終わって
いる。1日1日を大事にしたいものだ。

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2006/12/26
James Brown が亡くなった。井筒監督の『げろっぱ』の
もと、オリジナル、本舗だ。
1980年代、大学生の頃、大阪へやってきた。
73歳で亡くなったということなので、その頃は40後半だった
のだろう。(えっ?)
細野晴史とテクノのバンドが前座だった。どうつながりがあるのか
よくはわからなかったが、まあ楽しいコンサートだった。
クリスマスに亡くなるなんて、なんか、派手だ、やっぱり。
合掌 & GET DOWN
この前、朝日新聞の夕刊のことを書いた。ティファニーがシリーズ
で「クリスマスに欲しいもの」というタイトルで商品を紹介する
というものだ。
昨日、25日は、どうなんだろうと思い購入した。
そしたら、ちゃんとあった。さすが。
顔の見えないサンタが、いくつものを箱を抱えているという図だ、
どこにも商品の姿はない。箱と、その積まれた箱の後ろにいる
サンタクロース。ナイスな句読点ですね。
仕事を終え、新世界に串かつを食べに行った。
じゃんじゃん横町を歩いていった。人はまばらだった。
人通りのない商店街で、ビング・クロスビーが、ホワイトクリスマス
を歌っていた。
雪など降りそうにはない、ある意味スムーズな夜だった。
道端に毛布にくるまったホームレスの人が何人かいた。
三桂クラブでは、何人もの男たちが将棋の盤に向かっていた。
通天閣が点滅していた。
「あれが、クリスマスツリーやで」
誰もそんな言葉を言わなかった。
日曜日の「情熱大陸」は国連職員の忍谷(おしだに)謙朗だった。
今は、WFTの職員として、アフリカのスーダンに食料を提供
している。世界中(日本も含め)を回りながら寄付を集めてくる。
スーダンは、20年も内乱が続いている危険な地域だ。
そこで、イデオロギーに関係なく、子どもたちに食べ物を届ける。
WFTのひとつのプロジェクトとして、給食プロジェクトがある。
家に食べ物がないので、学校に来れば(授業を受ければ)給食が
無料で提供されるというものだ。これで、親たちは、子どもたちに
食べ物食べさせてあげることが出来るので、学校に行かせる。
子どもたちは教育をうけることが出来るようになるという循環を
目指すものだ。
たとえ、給食だけが目的だとしても、それでも教育は受けることに
なるのだ。
忍谷さんは、東京へと帰る。しかし、家族には会えない。
日本の外務省への交渉旅行だからだ。
長男はメールをくれるんだけれど、次男はね、さっぱりと笑いながら
答える。
つらくなったとき、マービン・ゲイのWHAT'S GOING ON?を聞いて、
力を出すらしい。マービン・ゲイがモータウンのベリー・ゴーディー
の呪縛をといて、コンセプトアルバムとして製作したアルバムに
入っている曲だ。ベトナム反戦の歌だ。
また、ジャズも好きで、ベースも弾くらしい。
スーダンの危険な地域に、食料を届ける映像が映る。
しかし、翌日には、部族闘争のため、その管理をしていた人たちが
殺され、食料が略奪される。
それでも、じっと忍谷さんは、子どもたちのため、未来のためと、
自分のやるべきことを確実に行っていく。
HAPPY HOLIDAYS
MERRY CHRISTMAS とは異なる宗教色のない言い方だ。
アメリカでは、2種類の言い方をする。クリスチャンではない人に
対してのものだ。
サンタクロースは、宗教的ではない。
しかし、その与えるという、与え続けるという意志はすばらしい。
あなたは、誰かにとって、この地球の困っている誰かにとって、
サンタになったことはありますか?

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2006/12/23
仕事を終え、夜の難波へと歩き始める。23日は、休日で、日曜日は
クリスマスイブだ。
転勤で関西は戻って7ヶ月目。前日は、忘年会だった。
事業部の本部の忘年会で、業者さんや役員も数名やって来ていた。
なぜか、司会をすることになっていた。場所は四つ橋線の肥後橋
で、リーガロイヤルの系列のリーガグランドというホテルの宴会場
だった。
お酒なども業者さんからの差し入れで、食べ物とビールだけが
ホテル側からサーブされた。80人くらいの参加者のうち、ネイティブ
も含め、半分くらいがパートさんだった。パートさんからは会費はとって
いないので、社員だけが会費を徴収された。そこから、ざまざまな景品や
業者さんからの景品を作り出した。
10位くらいまで、くじによる景品があるのだけれど、1位は、Wii が
商品だった。そう、あのゲーム機だ。ゲームがあまりわからない僕は、
ずっとwillだと思っていて、司会のときにも間違えていた。
指摘を受けて、そのままの話をした。
実際にテーブル対抗で、Wii のテニスを行った。
プロジェクターとスクリーンを持参してきていたからだ。
なかなか面白かった。
最後のほうで、幹事役の一人が、ギターを弾きながら歌を歌った。
OASIS だった。たぶん、そこにいた20%以下くらいの人しか
OASISを知らないと思うが、それぞれの人がそれぞれに楽しんでいた。
わからないものもそれなりに受け入れながら、決して邪魔をしない、
(深入りをしないこともあるが)といういい会社なのだろうなと
なんとなく思った。
司会はなかなかうまくいった。元々、そういう役目は結構こなしている
し、嫌いな仕事ではなかった。
22日夜。難波の街を歩きながら、出来たばかりの丸井(関西で丸井
が進出してきたのは、ここ10年くらいのことではないだろうか)
の上にある、TOHO CINEMA へと行った。シネコンだ。
丁度、8時30分から『硫黄島からの手紙』がレイトショーで上映
があった。『父親からの星条旗』も見るべきだったのだろうけれど、
見逃してしまった。その代わり、例の星条旗をすり鉢山にあげた6人
のうちの1人の息子が書いた本『硫黄島の星条旗』を買った。
(ジェイムズ・ブラッドリーがその作者の名前だ)
ハイケンとチリホットドックを売店で買い、待合室のテーブルで
食べた。
他にはいくつもの映画が上映されていた。
映画は、戦争シーンがずっと続くというものだった。その間に
第2次世界大戦の日本軍の性質や色が様々な人物を通じて描き
出される。
クリント・イーストウッド監督のものだ。両作品共。
日本人側からの映画で、これだけ偏りを持つことなしに、
日本人の兵士を表情を持つ人間として、弱さを持つ人として、
描きだしている。
その中でも、ジャニーズの嵐の二宮和也扮する兵士の存在は、
圧倒的だ。大宮でパン屋を営む普通の男。奥さんとまだ見ぬ
子どものことを思う父親。戦争より自分が生きて帰ることを
夢見る男。
その演技は、渡邊謙をも静かに圧倒している。
アカデミー賞の助演男優賞にのノミネートされるのではとも、
ニューズウィークの日本語版にも書いてあった。
(可能性は薄いけれどということだった)
映画の間中、弾丸や爆発が繰り返される。
この映画で描き出されることは、その昔、1945年2月19日から
3月26日まで続いた事実だ。
映画を見て、電車での帰り、買ったばかりの朝日新聞の夕刊を読んだ。
ここのところ、朝日新聞の夕刊には、ティファニーが広告を出している。
ALL I WANT FOR CHRISTMAS というタイトルで。値段までついている。
キオスクで毎日、夕刊を買っているわけではないけれど、買ったものに
は必ず出ていたので、今日くらいまでずっと継続しているものなの
だろう。
○ティファニーセンチメンタル 18Kホワイト/イエローゴールドペンダント
スモール 91,350円 エクストララージ 236,250円
○フランク・ゲーリー オーキッドスターリングシルバーピアス
65,100円
○ルシダ ダイアモンド エンゲージメントリング
値段掲載なし
そして、その新聞に掲載されていたもの
○ティファニー セレブレーション プラチナダイアモンドリング
299,250円〜1,837,500円
電車の中で、2人組みの女の子が話しをしていた。
夕刊を読んだ後、ロン・マクラーティーの『奇跡の自転車』を
読んでいたが、前の2人組みのその女の子たちの話が聞こえて
きた。20代半ばくらいだろうか。
「プレゼントは、吹田のロッカーに入れとくねん。だって、
会ってすぐ紙袋持ってたらプレゼントやってわかるし、
なんか、気、使わせて、プレゼント買ってもらったら
悪いし。今、お金ないみたいやし。・・・・・それでも、
本当は、リングとかのプレゼント欲しいねんけどな」
そんな、女の子に対し、笑いながらもう1人の女の子が、
「どっちやねん、あんた」とつっこみ、
「そやろ」
とその女の子は笑いながら答えていた。
彼女が本当に欲しいもの。それが、リングではないことは、
その笑顔からわかった。
そして、その人からもらえるなら、リングも欲しいなと
いう気持ちも、よくわかった。
What do you really want for Christmas, Ms. ?

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