1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2006/10/11
20代に入り込む前、僕は小学校の先生になりたかった。
ならなかったのは、その時の採用状況と情熱の足りなさだった。
小学校の先生になるには、教育大学の初等科に行くのが一番早い。
そこで卒業をして、教員採用試験を受けて、どこか学校を探すのだ。
小学校でも、採用はもの凄く少なく、ある程度のコネクションがな
いとということが噂されていた。
そんなこんなで、僕は普通の私立大学に入学した。そこは、初等教育
とは全く関係のない学部だった。
友人で小学校の先生になったやつがいる。友人といっても、ずっと
連絡はとっていないが、高校生から大学にかけては友人だった。
今頃、学校の中でなんとか主任になっているのだろうか。
強烈な保護者や、子どもたちのセキュリティに神経をすり減らし
ながら、サバイブしているのだろうか。
授業中、うろうろするやつが増えたななんて思いながらため息を
ついているのだろうか。
いや、そんなことはない。「しゃあないな、でも、根は一生懸命
に生きてんねんから、がんばるか」なんて、いいながら、
ふんばっているはずだ。そうだよね、田中 薫君。
今日は、スタッフに対しての研修があった。仕事でたまにそういう
こともおこなうのだ。
久しぶりなので、準備もしっかりして(心配性なのだ)といっても
間近につめてやったので、ちょっぴり不安な状態で臨んだ。
まあ、なんとかそつなくできたような気がする。
会社から戻って来る通り道、最近、金木犀の香りがする庭がある。
金木犀の甘い匂いが好きだ。鼻腔にひっかかる甘さの感じがいい。
そんな金木犀の香りを感じながら、自分が、小学校の先生に
なりたかったんだということを思い出した。
ずっと先のことだが、60歳を過ぎて、年金生活に(年金制度は崩壊して
いる、きっとその頃)入ったら、子どもに英語を教える教室を開こうと
思う。こじんまりとした、小さな小さな英語教室だ。
そこで、数十年前のイスタンブールやバリやロンドンやストックホルム
やサンフランシスコやホーチミンシティーやカンチャナブリーや
ソウルやバルセロナやミュンヘンの写真を見せながら、その当時の
世界について、昔話のように語るのだ。
そして、少しでも、そのあたりの子どもたちに、世界を知ってもらう
機会になればいいと思う。
僕自身、海外旅行を始めたのは、30歳を過ぎてからだった。
絶対に、若いうちに、20歳の前だ、テーマパークとかではなく、
同じように小さな幸せを探し続けている、それでもちょっぴり
見栄っ張りだったりする自分と同じような人と会うために。
そして、差異を認めながらも、中身は一緒だということを
若いうちに「フレームワーク」として作ることができるからだ。
よし、もっとしっかり勉強しよう。教える立場の人には
必要なのは、継続的な努力だからだ。さらに、その努力を
楽しめる人こそが、そういう立場で居続けられるのだから。

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