1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2006/10/3
その上司は、カントリーのボーカリストで、セミプロだ。
ご主人は、スライドギタープレイヤーで、その他、フィドルや
ベースやキーボードの人で定期的にライブハウスで演奏して
いる。
土曜日、西宮にあるフォートワースというカントリー
専門のライブハウスでその上司は、ギターを抱えて
歌っていた。
ライブを見に行ったのだ。
ご主人は、スライドギターを抱えて、アメリカに演奏
に行ったりもするらしい。
テキサススイングというらしく、ナッシュビルのそれ
とは異なるらしい。残念ながら、そのあたりは、僕の
守備範囲ではない。映画『ナッシュビル』のせいで、
僕にとってのカントリーは、ナッシュビルなのだ。
ボーカルとキーボード以外は結構50代のいい
おやじさんたちだった。
ボーカルが、僕の上司だ。
曲と曲の合間のトークも抜群だった。
3ステージあったが、僕は2ステージ後に、帰った。
というより、その周辺をうろうろしたかったからだ。
マウンテンバイクをころがしながら、夙川を下っていく。
その辺りは、僕が小学校の頃、夏休みによくランニング
をしたコースだった。
香枦園の駅もものすごくきれいになっていた。
海へ向かっていくと風が強くなっていた。
海は埋め立てがさらに進み、埋立地にさらにマンション
が建っていた。
その大昔、海水浴もできていたらしい。
ちょっと方向を西に向かえば、『羊をめぐる冒険』で
主人公が、その姿を見て涙する浜辺があった。
村上春樹氏は、京都で生まれ、その夙川の西側のずっと
先の芦屋で、早稲田に入学するまで過ごしていた。
『風の歌を聴け』には、芦屋から神戸にかけての坂の
イメージや海の匂い(その当時の)が散りばめられて
いる。(ノーベル文学賞、がんばれ)
全ての記憶の中と現実の建物のギャップに戸惑った。
95年の地震のせいで、見覚えのある建物は、消えて
しまっていた。
僕は、地震の時には、横浜にいた。だから、外から
昔の記憶を背負って、そんなことをつぶやいても
何にもならない。
地震を経験し、(例えば、当時、20歳の人、15歳
の人たち)にとっては、新しく建物が建っていくことが
再生の印だったのだから。
それでも、まだ、新しい感じのする家やマンションや
店は、なぜかよそよそしかった。
市役所の後ろにあった市立図書館も、高校生の同級生
だった電気屋さんの樋口君の家も、小学校の時に
同じ野球のチームメイトだった今橋君の家も、近所の
ラムネ屋の工場だった西田君の家もその近くのどぶ川
も、僕の小学校2年生の時の初恋の相手の成田礼子
ちゃんの家も、そこにはなかった。
目をつぶれば、風景が見える。その頃の風景だ。
ただ、音楽だけが聞こえてこない。
一体、それらの音楽は、どこに行ってしまったの
だろう。
ミュージシャンたちが再生するのは、そこにあった
音楽なのだ。
だから、僕は、ミュージシャンがうらやましい。
とても。

0
1 | 《前のページ | 次のページ》