1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2006/2/26
まあ、たまにはお仕事周辺のことも。
長めになるから、何か、フェイバリッとドリンクを。
土曜日の朝、西へと向う列車に乗る。午前7時30分過ぎ。電車は伊東へと向う。電車の中には、そちらの方向へと向う中年の女性の集団が近くに腰掛けている。
浅瀬の少し深めの眠りに忍び込む。
「吉森さん、まだまだだから荷物、上にあげてれば」
遠くで聞こえる話声。列車のアナウンスメントが、各駅の到着時間を知らせる。伊東から伊豆急にかわって、そのまま下田へと言っている。このまま下田にいけたらなんて、少し揺れる意識の中で眠りを彷徨う。
戸塚、大船、藤沢。
昔、仕事で藤沢へ行った。その地区の担当だったこともあるからだ。藤沢の研修は、横浜のそれと雰囲気が異なっていた。おそらく、海のせいだと思う。それが、いい悪いとかではなく、海の存在は確実に人の行動や思考や気分に影響を及ぼしている。しかし、横須賀あたりの海とは少し違うような気がする。
藤沢で降りる。改札をでたところで、お弁当を買い、近くのスタンドだけの「パブ」(コージーなイングリシュパブを目指しているようだ)という名をつけた店だった。朝は、モーニングセットを出していた。コーヒーとゆで卵とトースト。(モーニングサービスは和製英語で、朝の礼拝とかそんな意味になってしまう、たぶん。early bird set でも言うのだろうか)
店の外に楽器ケースが置いてあるのが見えた。中に入ると、とても感じのいい笑顔を女の子が迎えてくれた。バックには音はなかった。お客さんとの距離が物凄く近かった。(スペースのせいだ)
コーヒーとトーストとゆで卵が出てくる。まだ、8時を少し過ぎたあたりだった。右側には着物を着たおじさんがいて、ビールを飲みながら優しい微笑みを浮かべていた。休みであれば、ビールで対抗するところだったのに。さすがにパブという名をつけるだけあって、バスペールエールのドラフトを置いていた。
僕がそこを出る頃には、そのおじさんは、コーヒーをたのんでいた。
感じのいい笑顔の女の子は、ケチャップをビンからケチャップ容器にうつしていた。
そこから、海の方向へと向った。潮の匂いはそこまで届いていないが、かすかに波の音を聞いたような気がした。
仕事を終えつ頃には、もう夕方になっていた。藤沢から横浜の事務所に戻る。時間が、容赦なく走る。
知らないうちに、タイムレコーダーが、ごおおお、がりがりきーんと言う音をたてる。日付が変わるときのタイムレコーダーのうなりだ。2日連続でその音を聞くことになる。
中央郵便局で速達を4通出す。24時間受付の窓口だ。中央郵便局の窓口で出した方が早めに着くからだ。
前に並んだ人の処理に時間がかかり、結局、終電を逃してしまう。
西口を出て、てくてくと歩いていく。西口には、百台以上のタクシーが並んでいる、終電が終わってからの時間が最も稼ぎ時なのだろう。23時から午前5時まで(つまり電車が動いていない時間帯)は、深夜早朝3割増しの料金となる。
青木橋まで行き、タクシーを拾う。綱島街道へと向う。今の会社に入社舌頃、僕はマウンテンバイクで会社へと行っていた。綱島街道の坂をころがりながらだ。
会社に入った頃、鶴見区の東寺尾へ2ヶ月弱の間、小学生低学年と高学年の代講のクラスへ行ったことがある。(小学生に英語を教えるというやつだ)会社を出て、マウンテンバイクに乗って、そこへと向かった。(バスの時間とそこまでの入り組んだ地形を考えるとその方が早かったからだ)
授業を終え、またマウンテンバイクにまたがり、会社に戻った。小学生用の教材をからからごそごそと鞄の中でいわせながら。
僕の会社での牧歌的な時代のことのことだ。タクシーはその道を通って行く。東神奈川でも何台ものタクシーが並んでいる。
綱島街道を登っていく。見慣れた風景、あまり変わらない風景。風景だけが変わらない。年だけが重なっていく。
that's not fair.
タクシーの窓に映る闇にそっと呟く。

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2006/2/21
大阪の出張から帰ってきて、部屋へと戻り、inter-fm を聞いている。
EMINEM の WHEN I'M GONE が流れている。有名になっての娘さんと
の関係をドキュメンタリー風に綴ったものだ。全ての歌詞を理解している
わけではないので、多少の解釈が加わっているかもしれないが、(プロモーションヴィデオを参考)忙しすぎて、自分との時間をとってくれない父親に向って、娘が、助けを求めるというものだ。
小林 克也氏が、これは実生活をベースにしているという解説を加えていた。
エミネムはミュージシャンとしては、大金持ちになった。それまでの人生は、8MILES という映画にスケッチされている。
結構、苦労している。
そんなラッパーエミネムが帰っていくところは、やはり、家族なのだ。
どんな天才でも、どんなお金持ちも、どんな才能溢れる孤高の人でも、
帰りたくなるのは、自分の家族なのだ。
家族について、語れない人は、家族で苦労をした人かもしれない。見たこともない母親、暴力ばかり振るっていた父親、一度も抱きかかえてくれなかった母親、博打にあけくれ、家族を困らせていた父親。
そんな母親に、そんな父親に、そんな両親に育てらてた人たちなのかもしれない。
あなたのお父さんは、友だちのお父さんのようにかっこよくなかったかもしれない。あなたの、お母さんは少し太っていたかもしれない。あなたの両親は、他の両親に比べて地味だったかもしれない。お金を持っていなかったかもしれない、あなたにわかりやすく勉強をおしえてくれなかったかもしれない。
しかし、あなたは、家族に感謝する。父親に感謝する。母親に感謝する。
あなたがそこにいるのは、その人たちのおかげなのだから。

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2006/2/18
永遠に続く、ひとつのこの文章のテーマ;あとになってわかること
亡くなった父は、酔っているときと素面のときのギャップが激しかった。
世の中に言われるAB型の定義にぴったりとあてはまっているように思えた。
酔っ払うと陽気になり、その時は全くくだらないと思われたことを連発していた。0型の母は時々、相槌を打ち、B型の妹は、父と真っ向勝負を挑み、A型の僕は、何言ってるんだろうと達観していた。
父の陽気に場を盛り上げようとしていた。しかも、いいのは、無理して盛り上げようとしていたのではなく、本心で楽しんでいたのだ。
妹と時々、笑い合いながら、時々、本気で言い合いをしながら。
なぜ、いつまでも、自分を楽しませ続けることができたのか。
今なら、なんとなくわかるような気がする。その一部が。仕事で疲れてくる、様々なトラブルもあったろう、理不尽なことを言う上司、いけすかない同僚、うまくいかない自分の仕事。(勿論、いいこともたくさんあったはずだけれど)
そんなことを顔のどこにも残さず、いつも大声であまりおもしろいとはいえないトラディショナルなジョークを言い続けていた。
なぜか、それは、きっと、きっと、父は本当に家族といる時間が好きだったのだ。そこにみんながいることが嬉しかったのだと思う。
そんなことがわかると、そんなことがわかると、自分の言葉に対して、ほとんど反応をしなかった息子の態度に、心のどこかで、がっがりしていたことがわかる。それでも、みんなでいることが楽しいのだから、微笑みは消えなかったのだ。
今、そんなことを思うと、涙が出てくる。そのとき、父が感じたであろうほんの少しの小さな痛みを感じて。
今の僕にできることは、「ごめんね」と思いながら涙を流すことくらいだ。

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2006/2/15
地下から階段を上り、地上に出ると、暖かい空気に包まれた夕方手前の
日比谷から有楽町にかけての街の風景が広がっていた。銀座はすぐそこだ。
日比谷公園の緑の上に、ほんの少し霞がかかっている。
この街にやって来る目的は、映画だ。結構、日比谷〜銀座にかけてでしか上映していない単館系の映画があるのだ。(そういった映画ばかりを選んでいるというこちらの嗜好の問題でもあるのだけれど)
まだ、沈みそうにない太陽の匂いは、春を感じさせる。人間は、動物なのだ。気分の生き物なのだ。結構、異性が気になり始める季節でしょ。(パートナーが現在、いる、いないにかかわらずね)信号待ちの回りの人が気になったり。
平日は空いているからいい。休日出勤の振り替えだった。水曜日。
『僕が9歳だったころ』韓国映画だ。『9歳の人生』という原作を映画化したものだ。(この本は、must ですぞ、読みなさい)
青空を背景に流れる白い雲。その雲がハングル文字を浮かばせる。素敵なイントロだった。原作の内容を全て描き出すには、時間的な限りがあるのが映画なので、仕方ないが、原作で描かれていた、父親の姿があまり描ききれていないのが残念だった。
しかし、とてもいい映画で、人が少なかったせいもあって、ぼろぼろと涙を流した。
主人公の男の子は、高田延彦みたいで、女の子は、『猟奇的な彼女』のチョン・ジヒョンに似ていた。
映画館を出た頃には、もう夜に街は包まれていた。
近藤書店−イエナ書店−に行こうと思い立ち、銀座へと向った。不二家のネオンサインがいつものように輝いていた。あのネオンサインを見ると、なぜか、リドリー・スコットの『ブレード・ランナー』を思い浮かべる。
歩く、歩く。歩く内に、近藤書店はもう前のところにはないのだということを思い出した。エルメスにコーチにディオールが並んでいた。
ドトールカフェのところで引き返し、ソニープラザに入り、モールスキンの手帖を購入した。ヴェネツィアで買ったものは、もうなくなったからだ。
街の映画館には、仕事帰りの女の人たちの列が出来ていた。水曜日は、レディースデーということで、1,000円で映画が見られる日だった。
(差別だ、こっちは、1,800円払ったのに。前売り買わなかったからね)
おでん屋さんに入り、おでんを食べ、ビールを飲んだ。
一体、何十本の映画(100本以上になるかな)をこの街で見たのだろう。

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2006/2/14
満月の光が天空の頭上から一直線に落ちてくる。潔く引力に導かれるように。駅の改札をでたところにある闇に敷かれたアスファルトの上で、じっと地球の頂上を見上げた。今夜は満月なのだ。
星が満月から離れたところで、輝きの信号を繰り返す。その黄金の光が圧倒的なので、星も多くは主張しない。
こんな、夜にこそ、こんな真夜中にこそ、夜更かしをして、月を眺めながら歩く人たちの姿が必要なのだ。子どもたちよ、眠い目をこすりながら、光り輝く月の姿を目にするのだ。そして、それが太陽の光の投影であること、その裏側に存在する冷たい闇の存在を想像し震えるのだ。
大人たちよ、月を見慣れたものとして、見た振りをするのではない。じっと、じっと見つめるのだ。落ちてくる光の一筋一筋を見極めるために。
そして、自分が月を初めて目にしたときの感慨を思い浮かべ、想像するのだ。
誰かがラッパを天に向って吹いている。満月の光に対する変奏なのだ。
楽器を持って天に向って空気を揺らそう。闇を貫く光を揺らそう。

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