1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2006/1/31
日曜日に急に体調が思わしくなくなり、夜には咳きも出始めた。急な体の転調だった。いつもなら、日曜日の締めテレビの『情熱大陸』『世界遺産』『SHOW BIZ』と駆け抜けて、嫌だなあ仕事と思いながら(このあたりは小学生の時と変わっていないので、いけないね)眠りにつくのに、さすがに『情熱大陸』の途中で眠りについた。いつも風邪らしきものがやってくると、適当に薬でやっつけるのだが、今回は、頭がくらくらして熱が出てきていた。咳だけならまだしも、熱までとなると、これは大変。
翌朝は、治ったように思えた。朝は、研修があったので、研修へ。ところが、声がどうしても変だった。咳はでなかったけれど、研修が終了すると突然、体が火照り始めた。事務所に戻り、すべきことを済ませて、早退をさせてもらった。
部屋へ戻り、菊名記念病院(アエラにも優良病院と紹介をされていた)へ予約の電話を入れ、病院へと行った。熱は、38度寸前だった。インフルエンザではないようだった。頭はずきずきし続けていた。
水分をたくさん取り、消化のいいものを食べた。食欲があるのが救いだった。病院の先生に、「早く治したいので注射うってもらえますか」ときいたが、注射をうてば治るというのは、昔の考え方で、今ではそんなことはしません。食欲がないというのであれば、点滴をうちますけれどと、眼鏡をかけた温厚そうな先生に言われた。
生きるうえで、食欲は大事だ。
父が癌になって入院していたとき(本人には最後まで告示しなかった)ぼそっと、「うな重が食べたいな」ともらしていた。そこにうな重を出してきたとしても父の体はもううな重を受け付けない体になっていた。父は、自分が健康な頃に食べていた、甘いたれのかかったうなぎの食感とご飯の味を自分の記憶の中できっと再生していたのだと思う。
食べることが出来るときに、感謝しながら食べることが大事なのかもしれない。お金を出せば、すぐに何でも目の前に現れるのが、当たり前ではない人たちのほうが、ずっと多いのだから、この地球上では。
水分をたくさん摂り、ずっと横になっていた。心臓の鼓動がはっきりと聞こえていた。どんなときも休むことなしに、睡眠もとらずに、10分のショートブレイクもとらずに、ずっと動き続けている自分の心臓に感謝の念が湧いた。その間も、いろいろな免疫機能が戦っているのがわかるようだった。
当たり前に僕たちは、朝起きて、「きょうはだりーな」「おおーいいてんきー」なんて思うが、それもこれも毎日自分のために働いている自分の体があってのことだと強く感じた。
自分をもっともっと大事にしないとね。そう、思ったよ。
本日は、熱も下がり、大阪の日帰り出張に行って戻ってきたところです。
皆様も、体調には気をつけて、そして、自分の体に感謝ね。

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2006/1/29
旧暦のお正月「春節」で中華街は爆竹が鳴っている頃かもしれない。丁度、元旦にあたるカウントダウンが土曜日から日曜日にかけての夜だということだ。
イベント化したとはいえ、自国の文化や風習を継続しているのは、大事なことだ。われは、どこから生まれ、どこで育ったのか、そしてどこに行こうとしているのか。 「えっ、ちょっとトイレ」
本土では、1億2千万以上の人が「里帰り」をしているらしく、ものすごい帰省ラッシュらしい。中国は、日本ほど交通網は発達していないから、勿論、電車や長距離バスがきっととんでもないことになっているのだろう。日本の人口がそのまま動くわけだから。近くのローソンで働く田口京子さんも、同僚の岬 よしのさんも、いつもあなたの家に日本経済新聞を配達してくれる小西博一さんも、昨日、里中病院で生まれたばかりの森
憧憬君も、みんなみんな足して、そのみんなが動くわけだ。帰省するわけだ。そう、そう、昔、あなたがつきあっていた吉田美佐子さんもね。
まあ、広い土地の移動だから日本とは少し異なるけれど。
中国の駅の前の混みあいは物凄い(ほんの一部しかしらないけれど)。地方から都市へと仕事を求めてやっている農民が流民化していたりする。
香港から広州へ行ったとき、僕たちは、広州の手前で下ろされ、ホテルからのお迎えの車で移動をした。次の駅が広州だったのだ。広州の駅の前に行ってみて、物凄い数の人がそこに「ただいる」のには驚いた。改札を自由にしてしまうと大量のホームレスがいるからだろう、駅にはいくつかのゲートがあり、出発や切符の確認のときだけ、ゲートが開いていた。
中国の電車の床は物凄く汚いと紀行文で読んだことがある。食べたもののゴミをそのまま床に捨てたりするからだ。窓から捨てる輩もいるらしい。
(まあ、そのあたりは、日本の若者も結構、チョコレートのセロファンをあけて、歩きながらそれを空中に投げたりするけれど)
まあ、今は多少かわってきているのかもしれないけれど。
旧暦のお正月。
また、ニューイヤーズ・レゾルーション(新年の目標)、見直して(点検)してみる?

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2006/1/26
『パリ、テキサス』をdvdで見る。前にも書いたが、ヴィム・ベンダース作品のボックスセット(2つ販売されていて、残念ながら『ベルリン天使の翼』と『パリ、テキサス』はカップリングされていない。それが商売というものだけれど)の中に入っているものだ。『パリ、テキサス』は廃盤になっていて、中古でも高い値段で販売されていた。
ボックスセットとして発売され、すぐに飛びついた。
前に書かなかったこと。この映画を自由が丘の劇場でみた20代の初めの頃、大学を卒業して、前職について関東へとやってきたばかりの頃のことだ。劇場の前に張ってあった『パリ、テキサス』のポスター、かっぱらいました。すみません。(もう時効ね)ずっと、ナスターシャ・キンスキーのポスターは部屋に貼ってあった。(残念ながら、今はなくなってしまった)
1984年のカンヌパルムドール賞を取った作品だ。西ドイツとフランスの共作。舞台は、テキサスだ。
ライ・クーダのギターが悲しく響く。所々でなぜか、ぽろりと涙を流した。
やはり好きな映画だ。146分、そのままずっと映像に吸い込まれていた。
見終わったあとは、やはり悲しい気持ちになる。
トラビスは結局は息子と女のもとを離れるが、どうしてなのだろう。自分が弟に語っていた夢としていたことが、3人でもう一度やり直すことのはずだったのに。
女の職場のせいか。仕方ないではないか、17歳、18歳で結婚して、子どもを生んだ女が、生きていくためには水商売にはいるか、朝から晩まで安いお金で働き続けることしかできないはずだ。(男も一緒だけれど)
今のこの年で見直すと、トラビスの苦悩もわかるのだけれど、ちょっと自分本位で身勝手すぎるぞというような気にもなる。
息子と母親だけを会わしておいて、あとはさよならでは、あまりにも勝手だ。その後の2人の「生きていく」という視点が欠けている。
生きていくということは、引き落としをされるローンのことを考えたり、その日の夕食のことを考えたり、擦り切れ始めた靴のことを考えたりすることで成立している部分が多いのだ。多くの人にとっては。
トラビスの弟が偉い。物凄くいい人間なのだ。20代の初めに見たときには、トラビスの弟のことなどあまり考えなかった。下手すると、4年間親代わりにハンターを育ててきた弟の苦悩の方が(ハンターを取り上げられる苦悩)トラビスの痛みより痛いかもしれないのだ。
『ストレンジャー・ザン。パラダイス』に出演していたジョン・ルーリーが出演している。カットされた特別シーンには、ジョン・ルーリーが、のぞき部屋で、ブルースハープをふくシーンが入っている。
20年前の作品とは思えない、今の輝きがそこにもある。まあ、普遍的ということだ。
あなたがそこに居ること
おさむ
あなたがそこに居るということ
それは
あなたの父親と母親の存在の結果のこと
自分の事を疑って
自分の事を憎んで
自分の事を捨てて
それはきっと
あなたの父親と母親の存在を考えないこと/感謝しないこと
勿論
両親が片親がほんの一時期の存在だった場合もあるかもしれない
その存在があなたの生存を脅かす場合もあったかもしれない
しかし
その存在がなければあなたはこの世には不在だったのだ
あなたの存在を可能にしたその先の存在のことを思い巡らせると
あなたの存在は
ものすごい確率の偶然に見えるものすごい確率の必然であるということに
気付くはずだ
そこにポツンと佇むあなたはたったひとりの存在ではない
長い長い繰り返しの交配の実体であり/影であるのだ
目に見えないそれらの何かが必ずあなたを見守っている
そのことを思って
凛としろとはいわないが
ほんの少しの勇気なら湧いてくるだろう
ほんの少しでいいのだ
あなたはあなたの思いの及びもつかないはるか大昔の存在の一部なのだ
そして
あなたがそこに居ることは
偶然ではないのだから

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2006/1/24
インターfm−76.1mhz で真夜中12時から30分間は、亡くなってしまったウルフマン・ジャックショーの録音の放送が流れる。デジタル処理を施しているのだろう。音がクリアーだ。
スティービー・ワンダーのYOU ARE THE SUNSHINE
OF MY LIFE が流れる。本当にいい曲は、こちらが油断しているときに、心の襞の奥に入り込んでくる。メロディー、歌詞、声。
馴染みの曲が、ふっとしたときに、人に対して想起させるつかみどころのないふわっとした感じが好きだ。
ただ、あまりに体内に入り込まれすぎると、少し痛いときもある。
深く入りこんだビートの粒子が、具体的ではないのだけれど、自分が受けた痛みや悲しみとも化学反応を起こすからだ。
何気ない馴染みのメロディの中にこそ、その人にとっての本当の悲しみが、本当の喜びが、本当の痛みや、本当の夢が、潜んでいるのかもしれない。

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2006/1/23
マル・ウオルドンというジャズピアニストのアルバムに ”left
alone”というCDがある。先に逝ってしまったビリー・ホリデーのことについての曲だ。
「ほっといてくれ」という leave me alone ではなく、
being が省略された、レフトアロンだ。
取り残されること。現代の日本においての「強迫観念」のひとつかもしれない。自分だけいけてないのでは、自分だけお金持ちになれないのでは、自分だけ下流、下流といわれ続けるのでは、自分だけ○○を持てないのでは。
きっと、そんな「強迫観念」はバブルのときも出回っていたのだと思う。
取り残されること、確かに不安だし、こわい。
しかし、先頭を走る人が本当に自分の道をまっしぐらに走り続けることができるのか。
僕たちは、”school of fish”ではないのだから。
先頭が変われば、方向が変わる、なんて生き方はしたくない。
言う易し、行うは難し
なんだよね。
いっそ、「ほっといてくれ」といいながら、ちゃんと自分で泳いでいく強い柔らかさが欲しいよね。

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