1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2005/12/29
本屋さんで、またtarzanを買ってしまった。「運動・栄養・休養
年間 カラダ絶好調宣言」という相変わらずのタイトルの年間のまとめみたいなものです。こういったものは、毎年出版されるので、その度に買っているがしっかりとは全部に目を通していない。まあ、毎年の通過儀礼みたいなものです。(文化人類学的にいうと)
アンアンとハナコは、人間関係についての占いや来年の運勢というような内容でした。マガジンハウスどおして、わからんように記事使いまわしてるんとちゃいまっか。(マガジンハウス同士で企画がかぶることはよくあることです)
さらに、雑誌でいうと「あるじゃん」という雑誌を購入した。「株主優待厳選88」というのが企画だ。株、かじっていますか?
明日(29日 今はまだ日付変更線越えただけね)下田の宿がとれるか決定する。まあ、いいや。
31日からは、兵庫県の母親のところに帰る。ジムの帰り、人々が「よいお年を」と言い合っているのをみると、ああ、今日が最後のところが多いのか(流通関係の方は別として)と思った。前にも書いたとおり、この時期はいつもは海外に行っている。しかし、いつも里帰りをするので、今日ぐらいに帰ってきたりしていた。暖かいところから帰ってきたときには、この日本の寒さは結構堪えた。成田からの帰り、逆に「これから海外いくぞお」という人とすれ違うことが多いのは、いつも僕が勤めている会社の冬休みの開始が早いからだなどと、当たり前のことをいまさらながら実感する。
さて、やり残したことはありませんか?
たこ焼きとコロッケを食べながら
おさむ
たこ焼きもコロッケも熱々だった
たこ焼きは人の良さそうな年配の夫婦のお店で買ったもので
コロッケはその5軒先の肉屋さんで買ったものだ
上空に寒気が入り込んで街は冷蔵庫のようだ
とても馬鹿げていたけれど
あなたはパートナーと近くの公園のベンチに腰掛け
さむいよお と言いながらたこ焼きを食べる
缶チューハイのプリングを引く
しゅぽっという音が風に飛ばされていく
たこ焼きは舌に熱く
チューハイでその熱をさましながら
体を丸める
なんか競馬帰りのおじさんみたいだね
あなたのパートナーは笑いながらそう言う
そうだね
あなたは答える
コロッケも熱々で白い紙の上から新聞紙でくるんである
コロッケの油が少し新聞紙に染み出している
あなたもあなたのパートナーも気付いたりはしない
そのコロッケを包む新聞紙の記事を
突風に倒れた列車の中で亡くなった人たちについての記事だ
あなたはコロッケを あつっ と言いながら齧る
パートナーは缶チューハイを口にしている
パートナーは初めてたこ焼きを食べた昔のことを話し
あなたは部活の帰りに食べたコロッケのことを話す
青く広がった空はどこまでも澄み
太陽がほんの少しばかり傾き
オレンジ色を帯び始めようとする
はははっついてるよここ
あなたのパートナーは左唇を指差す
あなたは左唇についたコロッケのかけらを舌で取る
風が痛いくらいに冷たく
2人は急いでたこ焼きとコロッケを食べ
缶チューハイで流し込む
太陽がさらに西に傾いていく
その空のずっと北で
そのずっと北に
分厚い灰色と白の雲に包まれた空があり
全ての風景を白に塗りつぶしている
雪が風に踊っている
狂ったような雪のダンスは
そこからは見えない
研ぎ澄まされたナイフのような風の流れが
あなたの右頬を切る
驚いてあなたは右手を右頬に添える
どうしたの
あなたのパートナーはたずねる
いやなんでもない
いこうか
あなたは右手でパートナーの左手を握る
そして
あなたのコートの右側のポケットにその2つの手をゆっくりと入れる

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2005/12/28
冬の休みは(夏もそうだけれど)海外にいることが多かった。日本で休みを過ごしていると、結構、リラックスできる分もある。昨年は、アンコールワット(シェムリアップ−カンボジア)だったので、さすがにガイディッドツアーに入った。宮崎からの小学校の先生のカップルと横須賀からの姉妹とで5人のグループだった。ガイディッドツアーでない場合、こちらで予約したホテルは初日か2日くらい目なので、その後のステイ先や行程を様子をみながら現地で決めていく。結構、その作業や過程が楽しいのだが、ひとりで旅行している場合、頼るのは自分しかいないので、知らないうちに緊張をしている。勿論、朝から平気でビールを飲んだりするのだけれど、やはり、自分の身を守るという意識が自然に働くのだと思う。
日本にいると、結構、ジムに行って、お気に入りの定食屋さんへ行って、野毛に繰り出して、みたいなパターンの繰り返しになるのだけれど、それが結構、心地よい。僕は同じパターンを繰り返すのが好きなのだ。それでいて、ほんの少しパターンは違ったりするのだけれど。
温泉に行こうと思う。北へと思っていたが、寒そうなので、下田に行こうと思う。単純泉だけれど、魚がおいしいよね。
本日も星がきれいで、なぜかしら、the christmas
sonng を口づさみながら、いつもの坂をのぼってきた。
chestnuts roasting on an open
fire ♪ ってやつね。
高島屋さんの入り口には門松が飾ってあった。もう、クリスマスのクの字も残っていない。
シャッターが閉まった高島屋の入り口で、男の子のストリートミュージシャンが、「なごり雪」を歌っていた。
それを思い出して、クリスマスソングのあとに、「なごおりいゆきいもお」とちっさな声で星に向かって歌ったら、白い息となって空中に歌詞が浮かんだ。
駅でお別れをした2人は、もういい大人になって、それぞれ家庭を築いていたりするのだろう。時々、その時のことを思い出すのだろうか?
暖かくして、優しい夢をみてください。

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2005/12/27
まあ、そろそろ棚卸しの時期にきていると思うのだけれど、1年、365日(今年から来年にかけて7年に1度の時差を調整するために、1秒遅れて
ハッピーニューイヤーをいうらしい。fmで聞いた内容だ。行く年来る年がどうなるのかは知らない)棚卸しをして、商品の埃をふっふっと払うときかなと思います。埃を払ったら、元の位置に戻すかどうかは、本人の自由ですな。
ジムに行った後、同僚と野毛で飲んだ。史→ル・タン・ぺルデュ→ギラ・ソールという流れだった。昨年、丁度プーケットの行っていた同僚だった。潜り君なので、インド洋で冬休みを過ごす予定だったのだ。
丁度、1日とかの差だったらしい。人生はほんのした弾みで生かされたり、生かされなかったりする。
それは、今を生きている人たち全員にあてはまることで、明日は何が起こるかわからないということだ。(確かに、個々の日常はいつまでも半永久的に続きそうな気はするのだけれど)
それを四六時中ではなくても、時々、思い浮かべることは必要なのだと思う。突然の災害で自分の命を閉じざるを得なかった人たちのためにも。

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2005/12/26
汝 怒ることなかれ
おさむ
汝 怒ることなかれ
腹の中に湧き立つ泡を数え
ポケットに両手を突っ込み
うんと空を仰ぎ
空気をやまほど吸い込む
右手をポケットから取り出し
夜空に向かって力いっぱい伸ばす
何をつかむものがない右手を
ぎゅっと握り締めながら
その星を輝きをつかんだ気になったら
ゆっくりと歩き出そう
汝 怒ることなかれ
静寂にポツンと身を置き
自分の足音に耳をすませる
ひとつ ひとつ という音が聞こえたら
もういちどゆっくりと歩きながら
右の手の中の星の輝きを感じながら
空に向かって
微笑むのだ

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2005/12/25
部屋の中を埋める声は、オダギリ・ジョーだ。ライフカードのコマーシャルではない。(あれって、hpにアクセスすると続きがみれるよ。ちと、ダウンロード時間っかるけれど)
世界遺産だ。スポンサーは、ソニーで、ソニーのCFしか流れない。
今日は、ポーランドの木造建築の教会だ。
この時期は、ちょうど、会社の休みが始まった頃で(おお、クリスマス休暇)いつも、どこか国外にいた。ニューヨークだったり、ロンドンだっり、シェムリ・アップ(カンボジア)だったり、ソウルだったり、ホーチミンだったり、バルセロナだったり。
クリスチャニティの社会では、この時期はずっと静かだ。家族が集まる
home comingの時期なのだ。ウェッブレッスンでのアイルランドのスティーブも10人用のプレゼントを購入したといっていた。8人兄弟らしい。アイルランドでは普通だと言っていた。そうか、カソリックだ。避妊は禁止されている。(おそらく)
今年は、日本にいる。年末にはホームカミングをしようと思っている。
北の温泉に行くつもりだ。今週にね。
さて、ジョージ・マイケル。昨日から渋谷の東急文化村のル・シネマで上映されているドキュメンタリー George Mlchale
the different story を今日見にいった。
ジョージ・マイケルが20歳代だった4年間のワムの時代のこと、ソロになってfaithで一躍ビッグスターになったこと、(そのアルバムは、ボビー・ブラウンとマイケル・ジャクソンを破って、その年のベストアルバムに選ばれている)ソニーミュージックとの契約に関しての訴訟、公衆トイレでの逮捕、ゲイとしてのカミングアウト、友人のフレディー・マーキュリーの死、恋人の死(ジーザス・トゥー・ア・チャイルドはその恋人に捧げられたものらしい)、母親の死、アーティストとしての没落、ジョージ・ブッシュへの音楽を通じての政治的な発言、ミュージシャンとしての復活。そのローラー・コースターのようなハードな人生をエルトン・ジョンやマライヤ・キャリーやアンドリュー・リッジリー(元ワム)やスティングやボーイ・ジョージ(ついこのあいだ麻薬でつかまった)やノエル・ギャラガー(オアシス)やプロデューサーやソニーミュージック(アメリカ)の社長や父親のインタヴューを交えながら映画は続く。
時々入るMTV用のヴィデオ・クリップやライブやテレビのフィルムが流れる。ドルビーシステムが入っているので、音もいい。
なかなかいい映画だった。
もうジョージ・マイケルも40代らしい。80年代初期に高校生・大学生
だった人たち、懐かしい音やビデオに触れることができるよ。
ジョージ・マイケルの音楽性の優越性を誰も否定はできない。
これで、聞くときの気持ちが少し変わると思う。
いくらお金を持っていても、苦労しているんだね。

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