1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2005/11/30
pick me up
朝のブラックコーヒーは、私の「ピック・ミー・アップ」です、なんて使う表現だ。(と思う)
最近の朝は、横浜西口のスターバックスに寄って時間を過ごす。横浜の西口には、少なくとも3件のスターバックスがある。それぞれ歩いて10分以内にある距離だ。実は、タリーズ・コーヒーもハマボウルの後ろにあったりする。なんといってもスターバックスは、ノン・スモーキングなところがいい。日本の喫煙社会において、禁煙のコーヒーショップを展開するというのは、結構、マーケティング的には勇気のいることだったと思う。
1号店は、銀座にある、それは、マクドナルドと一緒だ。
朝のブラックコーヒーか、ラテを飲みながら、本を読む、文を書く、出勤の人を見つめる。結構、僕にとってなんでもない幸せな時間だ。朝だけに頭が冴えている。気が向いたときだけ、仕事のことを考えたりする。結構、思いつきでいいアイディアが出たりする。
バックには、クリスマスソングが流れている。ルイ・アームストロングとエラ・フィッツ・ジェラルドの曲がサンプリングされて、バスドラがかぶせっられていたりする曲だ。
大昔、喫茶店しかない時代、今のスターバックスのプライスがそれほど高いとは思わない空気を吸っていた。しかし、ドトールコーヒーが出て、プロントや、ベローチェやエクセルシオールやカフェ・ジュニアが出てきて、それが当たり前になると、スターバックスのプライスは、なぜか少し高いなと思ってしまう。
四国や名古屋や大阪では、朝は、今でも、モーニングセット(トーストにゆで卵に少量のサラダ)の文化が廃れずに残っている。
皆さんも、明日の明日、ご機嫌なあなたの「ピック・ミー・アップ」を。

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2005/11/29
ジムでのエアロビクスのクラスは、ロウ・インパクト〜ハイ・インパクトへと負荷が高くなる。ロウは歩くことが中心になり、ハイは走ることが多くなる。足がフロアから離れる時間の多さの問題かもしれない。
そのクラスはローとは銘打っているが、かなりハイな負荷がかかるクラスだ。ファンクなテイストが混ざっているのがいい。60分のワークアウトの後は、シャツが全体に汗を吸っている。
そのクラスが終了後、階段をふらふらとよろけながら降りていたら、横で豪快にステップを踏んでいた、オレンジのシャツの女性が前を歩いていたので、後姿に見とれていたら、階段を踏み外し、捻挫をしてしまった。ちょっとはれてきてしまった。明日は病院に寄ってから会社に行こう。
エアロビクスと聞いて、カラフルなレオタードやレッグウオーマーを連想するあなたは、ひょっとして1950年代後半〜1960年代前半生まれですね。今、そんなものを身につけているのは、ジムでは、おそらく30人にひとりいるかいないかだと思います。たいていは、Tシャツにショーツですな。あるいは、薄手のトレーニングの長いパンツをはいている感じでしょうか。(まあ、男性では、タオルの鉢巻をしているおっちゃんは、20人に1人くらいいるけれど)
最近は、格闘技系のものや、バランスボールを使ったものや、台を使ってのウェイトトレーニングなんかも多かったりしますね。
レッスンは、何事も、最後にものをいうのは、「継続」ですね。
やはり、最後に勝つのは「こつこつさん」ですね。

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2005/11/27
ベスト版を聴いている。サイモンとガーファンクルだ。10代の終わりの頃、サイモンとガーファンクルの再結成コンサートに行ったことがある。セントラル・パークでの再結成のコンサートが成功してのことだ。
コンサート会場は、大阪球場だった。今は、もうその姿はない。大阪難波にあった、南海ホークスの本拠地で、すり鉢のような狭い球場だった。
音響が考えられて設計された球場ではないので、音が割れた、割れた。
ポール・サイモンとアート。ガンファクルらしき2人が小さく見える位置だった。もともと、アプリファイする音ではないので、アコースティックさを生かしながら、いかに全員を満足させるかということが課題だったと思う。というより、その当時は、再結成の2人を見たということで十分だったのかもしれない。
高校生の頃、いや、中学生の頃だったか、職員室へ行ったとき(呼び出しを食らったわけじゃないよ)ある、若い男の先生の机の上に、カセットが置いてあった。手にとると、そこには、几帳面な字で、「4月になれば、彼女は」などの曲名が並べてあった。昨日の映画の『卒業』から録音したサイモンとガーファンクルの曲やでというようなことを先生は言っていた。僕は、当時、(きっと中学生やね)「サウンド・オブ・サイレンス」は知っていたが、他の曲はあまり知らなかった。そんな僕にとって、その「4月になれば 彼女は」というタイトルは、なにかわけのかわらない(自分の理解できない)悲しみのかけらの輝きを感じさせた。
前に、池田君(ジャーニーについてのときだったかな)のことについて書いたことがあるが、アート・ガーファンクルに似ていた友人がいた。彼は、上野君と言って、美術専攻だった・僕は勝手に彼のことを、アートと呼んでいた。アートをアートをかけていたのだろうか。さすが、関西時代の俺。(どうよ)
「アメリカ」がかかっている。都会へと向かう2人の若者の不安を歌詞にしたものだ。男の子の不安が歌詞に凝縮された、いい曲だ。
上野君、げんきにやっとるかね。ジュニアはいるのかい?

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2005/11/26
先週の会議・イベント仕事(冷え込んだ大阪へ)のときに、体調を壊し、今週の初めは、咳とちょび熱が体を覆っていた。
今は、回復した。
風邪用に買ったスコッチ(ballantines )に蜂蜜を入れて、熱い熱いお湯割りにして(あかん、あかん、40度の酒、ロックでのまんかいな)ふーふーと言いながら飲んでいる。風邪の時には、これに生姜を入れていた。
ホット・ウィスキー。大昔のサントリーホワイトのCMで日野照正が、ホット・ウィスキーをニューヨークで飲んでいたのを思い出す。
さらに大昔、僕がまだ4歳か5歳の頃、(まだ福岡にいた)父は、サントリーレッドをロックで飲んでいた。僕は、父の膝の上で、時々、そのグラスをカランカランと言わせながら舐めていた。丁度、父が今の僕くらいの年齢の頃のことかもしれない。
本物のスコッチなど、流通していない頃のことだ。
フランスではワインの消費量が落ちているらしい。
ウィスキーの消費も落ちていると聞いた。
みんな、ビールにシフトしているのだと思う。美味しいビールが増えたからだ。日本においては、勿論、数々の種類の焼酎の消費もあがっているなずだ。
寒くなると、やはり、ホットなお酒。
さて、何を選ぶか。
ただ、お湯割りも熱燗も、原酒の美味しさを損なってしまう。
あくまで、味を追及するのか、あたたかさを求めるのか。
なんか、恋愛に、 似てない?

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2005/11/23
ギュルっと握っていたかもしれない右手 おさむ
小さなダンボールの中で
肺は少なくなりつつある酸素を求める
くるしーよ
くるしーよ
きっと
たぶん
おそらく
涙を流しながら
おとうさんのこと
おかあさんのこと
おとうとのこと
ともだちのこと
思い出し
そして
たすけてえと
小さくなる声で懇願したかもしれない
7歳のもつ語彙で頭の中に浮かぶ精一杯のことを
転がしながら
たった7年しか生きることができなかった人生を想像できるかい
12歳の苦しみや
30歳の喜びや
20歳のやりがいや
15歳の輝きや
28歳の痛みを
通りすぎることのなかった人生を
一体全体
僕たちはどれだけ残酷になれるのか
誰かがいった
戦争で何人もの人が死んでいる
あれは仕方のない「良い戦争」だったのだ
人類には間引きが必要なのだよ
たった7年しか生きることできなかった人生を想像する
その命の父親の気持ちを
その命の母親の気持ちを
想像は出来ても
きっと実感することはできない
いったいどうしてだれが
その女の子は小さな小さな右手をギュルっと握っていたかもしれない
かすれいく意識で
自分の語彙では説明のつかない大きな闇がやってくるのを感じとりながら

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