1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2005/9/30
ヴァン・モリソンのベストのCDをかけている。日付がかわるころ、アイルランドのスタジオをつながることになっている。ネット上での映像と音声のキットを使っての英語のレッスンだ。
これが、maiden lesson というやつで、今回は、グループレッスンではなく、プライベートレッスンを選択した。なかなか楽しみだ。まだ、アイルランドは、デイライトセービングタイムの最中なのだろうか。そもそもデイライト・セイビングタイム(サマータイム)が存在するのだろうか。
一体、どんなレッスンになることやら。
日曜日の午後9時10分に おさむ
日曜日の午後9時10分に
あなたは何をしていましたか
そう
先週の日曜日です
恋人と抱き合っていましたか
自分の5歳の子どものほっぺを優しくつねっていましたか
コーヒーを飲みながら翌日提出の宿題をしていましたか
バーの止まり木に腰掛けもう一杯のビールをたのんでいましたか
テレビから流れる映画をみていましたか
発売から5日経った週刊誌を読んでいましたか
夜の街をランニングしていましたか
うたた寝をしていましたか
背伸びをしていましたか
バスタブで鼻歌を歌っていましたか
カレーを食べていましたか
メールを打っていましたか
コンピューターで仕事をしていましたか
コンビニエンスのレジスターで\3825を打っていましたか
泣いてましたか
ただ夜空を眺めていましたか
笑っていましたか
海辺の砂浜に毛布を敷いて寝転んでいましたか
林檎を齧っていましたか
ボーリングをしていましたか
ドライブをしていましたか
シャツにアイロンをかけていましたか
タップダンスを踊っていましたか
家族に電話をしていましたか
クロスワードパズルをしていましたか
日曜日の夜が深まり
日曜日の夜の傾斜角が大きくなり
日曜日の夜が消えそうになる前に
そういえば
この前の日曜日
あなたは誰かに心からの微笑みを浮かべましたか

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2005/9/28
『沈黙の春』(三島由紀夫の小説ではない。知ってるか)レイチャル・カーソンの本だ。ダイオキシンが日本で問題になるずっとずっと前に、食物等や地球上の汚染について書かれたエコロジーという概念や言葉が生まれる前からの「古典」だ。
ずっと読もうと思って、何度も挫折した本だ。大学生のときから、つまり11980年代からずっと挫折している。今度こそと思いながら新潮文庫の本を購入する。ところが、うまく最後まで読めない。ちょっとした難解さに戸惑っているのかもしれない。
『われらをめぐる海』これは、ハヤカワ文庫の本だ。海の成り立ちについて、海の存在について、レイチャル・カーソンが書いたものだ。
これはスムーズに読んいる。
ここには、なるほどというような、いくつものwonderがある。あくまで今のところ確率の高い仮説でしかないけれど。
例えば、月が地球から出来ているというもの。太平洋の底は玄武岩層で、地球の表面を覆っている花崗岩層ではない。ただ、その花崗岩層の下には、玄武岩層が重なっている。
太陽の引力により、引き剥がされたものが月となり、その跡に出来上がったのが太平洋なのだというもの。
さらに、全ての生物が海から気の遠くなるような時間を経て、分化してきたという証拠のひとつ、魚類や両棲類や爬虫類、そして温血の鳥類や哺乳類−それからわたしたち人類も、その血管のなかには、塩からい液体が流れている。そしてこの流れには、ナトリウム、カリウムなどの元素が、海水とほとんど同じ割合でふくまれているのだ。
おお、おもしろい。まだ読んでいる途中。これから深くwanderしてきます。

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2005/9/27
仕事を終え、ジムへと行き、ステアーマスターにぎこぎこと45分間乗る。読む本は、リーダーシップについての本だ。ジョニー・デップについてのペーパーバックを忘れたからだ。夜9時前。まだ、たくさんの人が鉄の塊をあげていたり、自転車に乗ったり、走ったり、スカッシュをしていたりする。馴染みの顔をある。顔馴染みというやつだ。
本日は、ウェイト・トレーニングはなし。45分の有酸素運動だけだ。クールダウンのストレッチをしていると、バックにカーペンターズが流れていた。
僕が中学生の頃だ、カーペンターズが次々にヒットを飛ばし始めたのは。ビートルズは解散していたけれど、友だちの間で、ビートルズのレコードの貸し借りなんかをした。その隙間に入ってきたのが、クイーンやベイシティ・ローラーズやカーペンターズやエレクトリック・ライト・オーケストラだった。カーペンターズを柔な、ただのセンチメンタルミュージックという人もいるかもしれないが、中学の頃に聞いた音楽のインパクトは、それ以降のものより大きいので仕方ない。イギー・ポップやローリー・アンダーソンやトーキングヘッズが好きだという人たちも、結構、ピンク・レディや聖子ちゃんの曲をふと耳にして、こつんとやられるときもあるのだ。
センチメンタルになる自分を許すことができる。大人になる条件のひとつだと思う。
曲は、バート・バカラックの曲の"CLOSE TO YOU" (原題はもっと長い)
だった。マットの上でストレッチをしながら、頭の中でメロディを口ずさんだ。カレン・カーペンターの声は美しく、英語も物凄く聞き取りやすかった。中学の英語の授業でも使われた。
カレン・カーペンターは確か拒食症で亡くなった。兄のリチャード・カーペンターとは、近親相姦(下衆な表現ですみません)だったと誰かが言っていた。美しいものがどこまでもストレートとは限らない。(かえってツイステッド、スパイラルだったりします)
帰り、ずっとクロース・トゥー・ユーと口ずさんでいた。まぜか、バリー・マニローの♪NO,I CAN'T SMILE WITHOUT YOU♪というフレーズが浮かんだ。因みに、イーグルスのホテルカリフォルニアがヒットしたのは中3のときだった。
今、カーペンターズのベストをかけている。開いた出窓から入る風が少し冷たい。
VIVA,MELANCHOLY

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2005/9/26
AERAを毎週購入している。キヨスクでだ。月曜日。ハッピーマンデーのときには、土曜日に発売されることもある。元同僚で、会社を辞めてアメリカの大学で開発関係の勉強をして、海外のNPOに就職した人がいる。彼が、AERA を見せながら、「僕の栄養の元です。読みますか?」と言っていたのを思い出す。まあ、当時は10年以上前なので、きっと現在と構成も違っていたと思うし、匂いを異なっていたと思う。コアのターゲットが異なっていたはずだ。
「いいや、ありがとう」僕にとっては、AERAはただの写真雑誌だとしか思っていなかった。食わず嫌いというやつだ。
2000年くらいから、毎週購入している。記事のバランスもいい。政治・経済・文化・食べ物・生活・ジェンダー・職・音楽・映画・演劇などの要素をいい感じで混ぜ合わせている。だから、逆にビジネスだけの記事が読みたい人やスポーツだけを齧りたい人にとっては、少しつかみどころがない雑誌なのだと思う。それが、ある種の人にとっては心地よいのだ。きっと、メインリーダーは女性の方が多いと思う。かといって婦人雑誌でもない。かといって、働く女のためだけの雑誌でもない。このあたりの多様性は、きっとある種の男性にとっては、はっきりしていなくて「諸君」とでも叫んでしまうような気になるかもしれない。
最近は、全部を読めなくて、バックナンバーがたまってしまっている。早く目を通さないと。まるで、村上龍氏のJMMのメルマガのようにたまってしまう。
さて、今週の表紙は、チョン・ウソンでその筋の人たちには人気のある韓流俳優らしい。今週の記事の中で、民主党の記事が2つ出ていた。民主党を支持している人たちの憂鬱と前原誠司代表についてだ。前原誠司。京都大学法学部を卒業後、松下政経塾へ。28歳で京都府議に当選。2年後に衆議院議員に、現在5期目。43歳。こうきて、テレビでの答え方などは、頭良さそーという感じだが、代表選の前の演説で、初めて自分が、中2のときにお父さんが亡くなり、高1から奨学金を受け取り、野球に明け暮れて浪人し、大学も留年して5年通った、ということを演説で話したらしい。
がんばれば、報われる社会をつくりたいというようなことを言ったらしい。それが、2票差で菅さんをおさえて代表になった理由のひとつのようだ。そんな記事があった。
リーダーに必要なのは、ウェットな部分と物凄くある点においては客観的にドライになること、そのバランスをうまくとることだ。
前原さんは、そういった自分をどんどんさらすべきだ。クールなインテリの京都のボンというようなイメージが定着する前に。別に演歌・浪花節に染まれといっているわけではないので。はい。

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2005/9/25
『ラスト』石田衣良の作品だ。2001年から2003年にかけて書かれた、「ラスト」がつく短編を集めたものだ。
−たぶん、ねたばれになるので、これから読む予定がある人は、すっ飛ばしてください−
会社をリストラされ、闇金融に手を出し、利子が払えなくなり、自分が死んで保険金で債権を支払うか、娘か奥さんをやくざに売って債権を支払うかの選択を迫られた男、虐待を受け、時代の流れで終わりを告げつつあるテレクラに出入りする若い女、主人がリストラのために、家のローンが払えなくなり、援助を交際を始める主婦。
全ては、フィクションという名のもとにありながら、物凄くリアルだ。きっと現実は、小説を追い越しているだろうということも容易に想像できる。勿論、1,000のうちの1だったり、500のうちの1だったり(いや、100のうちの1くらいなのかもしれない)する事象かもしれにけれど、それらは、きっとそこに、ここにあると思わせるものばかりだ。
ただ、その中の「ラストコール」に出てくる女の子の、「・・・カズさんのうちは、普通だろうから、わからないかもしれないけれど、晩ご飯がバーベキュー味の徳用袋なんてしんじられないでしょう」という台詞は物凄く痛く感じた。虐待は、循環するといわれる。悪循環というやつだ。
自分自身ではどうしようもない子どもを、自分の憎悪の発露にすることは、卑怯すぎる。あまりにも対等でなさすぎる。
大きな月がそこにあって おさむ
ジャミーは夕食の後
お皿を洗うのを手伝いながら
お母さんに話をした
その日に学校で先生が言っていたことについてだ「おかあさん、先生がアメリカが全て正しいわけじゃないって言っていたんだけれど、本当?」
母親は微笑みながら答えた
「そうね、むずかしい問題ね。アメリカ軍は正義のためだけにこの国に
いるわけじゃないからね」
「じゃあ、デイビッドは悪者なの?」
「そんなことはないわよ、デイビッドさんはいい人よ。
ただ、いい人でも軍の決めたルールに従わなければならないのよ」
ジャミーは思い出す
昨日デイビッドが話したことを
「僕にもジャミーくらいの年の男の子がいるんだ。
アメリカのスポーケンっていうところにね。これが写真さ。」
ジャミーはデイビッドが差し出した写真を見た
デイビッドのように金髪の男の子が笑いながらジャンプをしていた
「君たちがいつか会って、一緒に食事をしたりする日が来るといいね。
銃なんか持たずにね」
ジャミーは少し混乱しながら答えた
「ふううん」
台所の窓から丸い月が見えた
「ねえ、お母さん、月」
「ああ、ほんと、きれいな月だね」
ジャミーはデイビッドの子どもも同じ月を見ていてくれればと思った
そして早くデイビッドがその子のところに帰ることが出来るように
目をつぶりながら月に祈った

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