1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2014/1/8
NHKで、やなせたかしさんの番組が流れていた。「アンパンマン誕生の秘密」
そんなタイトルの番組だ。アンパンマンが誕生した秘密を、やなせさんの人生を
たどりながら、探っていくというものだ。
「アンパンマンの、自分の顔をあげて、優しいとこが好き」小さいな子ども
が言っていた。
アンパンマンが初めてヒットしたのは、やなせさんが69歳の時。
アンパンマンは初めは大人の主人公だった。1969年のことだ。
小倉に住んでいた時、北九州九州市立美術館に、やなせたかしさんの展覧会
に行ったことがある。
12月28日は、朝、4時に起きた。5時にガイドの人がホテルの前まで迎えに
来てくれるからだ。屋久島の安房のソラホテルの玄関のところ。
準備をしっかりして行った。外はまだ暗く、肌寒かった。
ガイドさんは、権藤さんという方で、もう一人の参加者は、前日と同じ、
大阪の門真からやってきた、小学校の先生だった。
荒川登山口には、雪が降っていた。出発は6時。
周囲はまだ暗かったので、懐中電灯はマストだった。
足元を懐中電灯を照らしながら歩いて行った。トロッコ道をずっと進み、
進んでいく。途中から朝が明け始め、ライトを消しても大丈夫くらいの
明るさになってきた。
高く上っていくほど、雪は深くなり、10pとか、それ以上積もっていた。
周辺にはたくさんの緑と白が溢れていた。
往復で9時間。途中、休憩を取りながら、歩き続けた。
ガイドさんなしでは、迷ってしまうくらいの道だった。
縄文杉は、標高1300mくらいのところにあった。
確かに、縄文杉は凄いけれど、その周りにある植物体系や、苔や
川の流れや、やく鹿や、それらすべてが、屋久島の魅力なのだろうと
思った。縄文杉を見なくても、屋久島の他の自然に触れることができれば
それでも十分だと思う。
冬のオフシーズンでよかったのかもしれない。
森を歩く人は少なかった。
シーズン時には、縄文杉の前では、鈴なりになって、列ができると
聞いたこともある。
数千年という時間が重なって、風景ができていた。
やなせたかしさんは、昨年、10月、94歳で亡くなった。
戦争体験者で、その戦争を2度と起こしてはいけないという意識を持って
アンパンマンは描かれている。
誰かのためになること。
なんのために生きるのか。
時は流れる。
どんな小さな命も、その時の揺らぎを感じながら、ふとした時に、心を
少し滲ませる。

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