1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2006/1/26
『パリ、テキサス』をdvdで見る。前にも書いたが、ヴィム・ベンダース作品のボックスセット(2つ販売されていて、残念ながら『ベルリン天使の翼』と『パリ、テキサス』はカップリングされていない。それが商売というものだけれど)の中に入っているものだ。『パリ、テキサス』は廃盤になっていて、中古でも高い値段で販売されていた。
ボックスセットとして発売され、すぐに飛びついた。
前に書かなかったこと。この映画を自由が丘の劇場でみた20代の初めの頃、大学を卒業して、前職について関東へとやってきたばかりの頃のことだ。劇場の前に張ってあった『パリ、テキサス』のポスター、かっぱらいました。すみません。(もう時効ね)ずっと、ナスターシャ・キンスキーのポスターは部屋に貼ってあった。(残念ながら、今はなくなってしまった)
1984年のカンヌパルムドール賞を取った作品だ。西ドイツとフランスの共作。舞台は、テキサスだ。
ライ・クーダのギターが悲しく響く。所々でなぜか、ぽろりと涙を流した。
やはり好きな映画だ。146分、そのままずっと映像に吸い込まれていた。
見終わったあとは、やはり悲しい気持ちになる。
トラビスは結局は息子と女のもとを離れるが、どうしてなのだろう。自分が弟に語っていた夢としていたことが、3人でもう一度やり直すことのはずだったのに。
女の職場のせいか。仕方ないではないか、17歳、18歳で結婚して、子どもを生んだ女が、生きていくためには水商売にはいるか、朝から晩まで安いお金で働き続けることしかできないはずだ。(男も一緒だけれど)
今のこの年で見直すと、トラビスの苦悩もわかるのだけれど、ちょっと自分本位で身勝手すぎるぞというような気にもなる。
息子と母親だけを会わしておいて、あとはさよならでは、あまりにも勝手だ。その後の2人の「生きていく」という視点が欠けている。
生きていくということは、引き落としをされるローンのことを考えたり、その日の夕食のことを考えたり、擦り切れ始めた靴のことを考えたりすることで成立している部分が多いのだ。多くの人にとっては。
トラビスの弟が偉い。物凄くいい人間なのだ。20代の初めに見たときには、トラビスの弟のことなどあまり考えなかった。下手すると、4年間親代わりにハンターを育ててきた弟の苦悩の方が(ハンターを取り上げられる苦悩)トラビスの痛みより痛いかもしれないのだ。
『ストレンジャー・ザン。パラダイス』に出演していたジョン・ルーリーが出演している。カットされた特別シーンには、ジョン・ルーリーが、のぞき部屋で、ブルースハープをふくシーンが入っている。
20年前の作品とは思えない、今の輝きがそこにもある。まあ、普遍的ということだ。
あなたがそこに居ること
おさむ
あなたがそこに居るということ
それは
あなたの父親と母親の存在の結果のこと
自分の事を疑って
自分の事を憎んで
自分の事を捨てて
それはきっと
あなたの父親と母親の存在を考えないこと/感謝しないこと
勿論
両親が片親がほんの一時期の存在だった場合もあるかもしれない
その存在があなたの生存を脅かす場合もあったかもしれない
しかし
その存在がなければあなたはこの世には不在だったのだ
あなたの存在を可能にしたその先の存在のことを思い巡らせると
あなたの存在は
ものすごい確率の偶然に見えるものすごい確率の必然であるということに
気付くはずだ
そこにポツンと佇むあなたはたったひとりの存在ではない
長い長い繰り返しの交配の実体であり/影であるのだ
目に見えないそれらの何かが必ずあなたを見守っている
そのことを思って
凛としろとはいわないが
ほんの少しの勇気なら湧いてくるだろう
ほんの少しでいいのだ
あなたはあなたの思いの及びもつかないはるか大昔の存在の一部なのだ
そして
あなたがそこに居ることは
偶然ではないのだから

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