2008/3/20

梅田俊明 仙台フィルの基礎をつくった男  クラシックの達人たち

梅田俊明の演奏はまだ聴いたことがないが、悪いことをいう人がいない指揮者だ。23日、読売日響の定期に準じる「芸劇マチネ」シリーズに出演するのを聴くことになっている。

大学卒業から既に20年以上のキャリアがあり、若手というべきではない。キャリアで注目されるのは、1990年の指揮者就任から16年もの関係を築いた仙台フィルでの活躍である。現在、パスカル・ヴェロの統率の下、国際コンクールの場などでも真摯な演奏をみせるほか、ルーティンの公演でも高い評価を得ている仙台フィルだが、設立は1973年と、まだ40年に満たない。楽団の磯を築いたのは外山雄三で、その功績は揺るぎない。しかし、2000年の就任以来、その留守居役を務めた梅田が果たした役割の大きさは、10年後の常任への昇格人事でも窺われるところだ。その後も、関係は6年継続しているが、関係の切れる2006年近辺の雑誌記事などは、総じて好意的なものが多かった。

ヴェロの成功は、そうした土台の上にこそ成り立つことは見逃されている。結局、梅田がトップ・ポストを得ることはなかったが、仙台フィル時代の梅田の仕事ぶりは早くから注目されており、その土台を整えることに相当の功があったと見られている。仙台フィル退任後の梅田は再デビューという感じになり、在京オケなどに多く出演した記憶があるし、現在も、その状況は継続している。そして、それらのどれもが、相当の評価を受けていた。読売日響にも2006年には出演しており、たしか夏休み恒例の三大交響曲のシリーズで活躍、その前だったか記憶が曖昧だが、同団の地方公演でも実績を上げており、昨年、正指揮者に就任した下野の強力なライバルだったのではないかと思う。

さて、今回はファリャの「三角帽子」を全曲演奏するなどのプログラムで、その力量を試されることになる。この公演への援護射撃としてか、第2日本テレビでは、昨年4月のかつしかシンフォニーヒルズ公演で演奏した、プロコフィエフの「ペーターと狼」がインターネット配信されているので、これが私にとって、梅田の演奏を聴くはじめての機会となった。その印象はまず、下野と同じように、誇張なくマメな演奏である。この配信だけでは、彼の実力を十分に判断できないが、隙のない統率力の高さや、この曲目ではそれがいのちなのであるが、素材を大事に扱って、丁寧に提示していく力量には感心した。最後、種明かしのように、ペーターや狼などの姿がクローズ・アップされる部分の演奏は、特に冴えわたっている。最後の最後、狼のお腹のなかから戻ってくる、アヒルのアヤなどは見ものだ。

この指揮者の演奏を、ちかく興味ぶかいプログラムで味わえるのは願ってもないことだろう。

今後の活躍は、どうなるだろうか。いまはちょうど、またまた地方オケであるとはいえ、群馬のポストが空になっているではないか! 高関健が自ら長期政権を手放す、群響の芸術監督のことである。彼にトップ・ポストを与えることは、この楽団にとって、大きなプラスなのではないかと考える。なお、2007年には、楽団にとって特別な「第九」も指揮している梅田である。
3

2006/4/26

ハーディングとルイージ〜2人の特別な指揮者 A  クラシックの達人たち

つづいては、新国で「カヴァレリア・ルスティカーナ」&「道化師」を振ったファビオ・ルイージのほうについて。

既に各所に好評が出ているが、ルイージの仕事は、やはりすごかった。ハーディングもそうだが、この2人に共通しているのは、音楽の本質を鮮やかに掴みだしてくる才能である。ルイージの場合、今回は、オペラ指揮であったので、その資質がより明確なカタチで提示される。

かくして、ルイージはやはり、イタリアのオペラをよく知っている、というごく当たり前にして、的確な評価があちこちで見られるようだ。私もそう思うが、特に、歌、そして、その本体である言葉の扱いにおいて、この指揮者のつよいメッセージを聞いた気がする。

例えば、「カヴァレリア」の序曲のあと、復活祭の朝の情景を、管弦楽とコーラスで描くのだが、ルイージはここを過剰なまでのスピードで弾かせている。東フィルはここで、細かいパッセージなどでつけきれていないが、その代わり、歌が入るところでは、なるほど、まことに歌いやすそうなテンポなのである・・・言葉が乗りやすい・・・自然な速さなのです。

オペラを知っているというのは、まず、歌を知っていることだ。そして、その中心には言葉がある。当然のことだ。しかし、ルイージのごとく、ここまではっきりと、歌をとり、周りを切り取ってしまう覚悟のある指揮者といえば、稀である。彼は多分、自分は汚れ役でいいと思っている。だが、観客は、彼を圧倒的に支持している。

多分、ルイージとは、そのような指揮者なのであろう。2つの作品を通じて、歌手の個人的な出来不出来によらない合唱部分では、ルイージの音楽性の鋭さを、もっともよく感じることができた。正直、歌手陣には満足していない面も多いし、オーケストラにも言いたいことはあるが、それは別の機会に譲ろう。

とにかく、ルイージがこれ以上にならなければ、満足な劇はできないというリファンレンスを示したことにより、この公演は、全体的に底上げされた感がある。三澤洋史さんのホームページでの発言によると、ルイージは初日から、劇場の音響特性をよく理解して練習をつけたそうだ。そんな話も踏まえて、やはり、ルイージの抜群の即応力というものについては、改めて注目しておきたい。

ところで、2作品を通して、ルイージは、キッチュな感じを明確にアピールしていたように思われる。それにより、「カヴァレリア」では、正しく「田舎の騎士道」の本質が提示され、「道化師」では全編に散りばめられた、伝統的なイタリア・オペラへの批判性がわかる。

特に、「カヴァレリア」の前半部分が象徴的だ。響きも明るめで、どこか一本抜けたようなサウンド。それが、サントゥッツァを中心として、こころの内側の熱いものが表面に出てくるに従い、どんどん濃密になっていくようなのだ。その頂点に、各々の間奏曲がくる。これらは、文句なく見事だった。こうしたところで、弦群を主体とした東フィルの、潤いにみちたパフォーマンスは素晴らしいものがあった。

ファビオ・ルイージ、やはり只者ではない。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ