2008/10/1

ルイサダ ショパンのマズルカを全曲演奏 紀尾井ホールにて  期待のコンサート

ショパンにとって、マズルカという表現ジャンルは、どのような意味を持っていたのだろうか。ポロネーズと同じく、ポーランドの舞踊のリズムを反映したマズルカが、ショパンにとって、祖国の「訛り」をこころの中に留めておこうとするものであることは、いまさら言うまでもない。だが、それだけの意味で解釈すべきであろうか!

ショパンは、生涯に58のマズルカを創作したとされている。そのなかには生前に出版されなかったものもあり、実際に、通常から演奏されているのは、その8割程度であろう。ショパンの人生のうち、習作期である15歳以下のときを除くと、彼がマズルカをまったく書かなかった時期というのは存在しない。しかし、一方では、数あるマズルカの中でもこれこそ大事というほど、強調できるような作品も存在しないのである。ベートーベンのピアノ・ソナタが、交響曲のようなパヴリックな作品と比べて、自己の内心をより素直に吐露したものであるといわれる以上に、ショパンのマズルカは、作曲者のこころに近しいにちがいない。しかも、それが俳句のような簡潔さで、シンプルな曲想に濃縮されている点が、また何ともいえず愛らしい。

ショパンを弾けるかどうか、技術的なものはエチュードで試すことができる。ショパンの詩情をどれだけ巧みに表現できるかは、スケッルッツォやバラードが良い基準になる。それらの総合は、もちろん、ソナタで確かめられようか。さあに、コンチェルトによって、その表現の強さを確認することができる。そして最後に、ショパンの心をどれだけ理解しているかは、ポロネーズとマズルカでみることができる。ポロネーズは男性的で、紳士、貴族、社会的人間としてのショパンを表現するにふさわしい。そして、マズルカでは、いよいよショパンの等身大の人間性が表現される。

マズルカの特徴は、それほど大きくは変化しない。だが、その大きくはない揺らぎの中にこそ、デフォルメのないショパンの葛藤が表れているだろう。

日本では、NHKの「スーパーピアノレッスン」の番組でもよく知られ、その深遠な解釈が高い評価を受けるマルク・ルイサダが、そのマズルカを全曲演奏するというコンサートは、今年のピアノ・シーンをめぐって重要な1ページを飾る。特に、ショパン演奏ということに限定すれば、マルタン・プロデュースの大型企画「ル・ジュルナル・ド・ショパン」とともに、この人気作曲家の生涯を作品を通じて辿っていく、貴重なイヴェントとなるであろう。

ルイサダといえば、師であるドミニク・メルレ、さらにその師であるナディア・ブーランジェ譲りの、流麗で、隙のないフレンチ・ピアノの弾き手として知られる。テレビ番組の熱心な指導からもわかるように、これらの名教師の薫陶を受け継ぎ、自らもパリ・コンセルヴァトワールの教授として、また、各地の音楽祭などで教育活動にも力を入れている。ショパンのマズルカ集は、DGからリリースされた録音もあるほどで、得意中の得意である。正に、満を持しての大型企画というわけだ。会場は、紀尾井ホール。手ごろな箱が用意され、これ以上、望むことは何もあるまい。

日にちは、10月4日。於:紀尾井ホール。主催は、東京アイエムシー。
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2008/7/18

プッチーニ『三部作』が国内で上演! 〜二期会=藤原のキャストが結束  期待のコンサート

日本には、二期会と藤原歌劇団というオペラ・カンパニーが存在する。いろいろ問題はあるとしても、これら2つの団体が日本のオペラ文化の軸になっていることは間違いない。でも、しょせんはオペラ後進国の日本で、これら2つの団体がほとんど何の連携も、協力もなく、個々に活動を展開しているのは、いつも勿体ないと思うのだ。それぞれのグループの目指すべきところは、なるほど大きくちがっているように見える。しかし、それにしても年に1回くらいは顔を合わせて、それぞれのトップの歌手たちを出しあって一緒に公演したら、日本のオペラ・ファンは歓迎しないだろうか?

少なくとも私のような者からすれば、木下美穂子が歌うヴィオレッタに、村上敏明が言い寄ってきたり、堀内康雄のパパ・ジェルモンが別れてくれといいに来るのを見てみたい。高橋薫子のジルダを守る直野資のリゴレットとか、彼女に陽気に迫ってくる樋口達哉のマントヴァが見たい。かつて水戸芸術館で、釜洞祐子と高橋薫子が、1幕ものでそれぞれプリマを務めたあとに聴いた、2人の「猫の二重唱」は実に思いでぶかい。そういうことは、新国ではいつでも実現できそうな気もするのだが、どっこい、なかなか思うとおりにはいかないものだ。

さて、今年はプッチーニの生誕150年の年であるが、思ったより話題になっていないようだ。新国の新シーズンは「トゥーランドット」で幕を開けるが、ヘニング・ブロックハウスの演出は、作品を完成できずに亡くなったプッチーニの死を逆手にとったものになるようで、波乱の予感がする。そのほか、プッチーニの作品が特に取り上げられる予定は、私の知るかぎりはほとんどない。辛うじて、11月にマダム・バタフライコンクール(in 長崎)があるというぐらいだろうか。

そこへもってきて、敢然と輝く企画が8月に予定されている。ところは、東京文化会館の大ホール。主催は、プッチーニ生誕150年フェスティバルオペラ「三部作」実行委員会となっているが、まあ、どうやら東京労音系の企画ということになるようだ。彼らが、プッチーニの三部作を上演する。この三部作、「ジャンニ・スキッキ」のみは、ラウレッタの有名なアリア「わたくしのお父さま」があるおかげで、辛うじて有名であるが、「外套」「修道女アンジェリカ」はタイトルぐらいは知られているという程度で、日本ではなかなか上演される機会はない。まして、三部作を一括して上演するという試みは、なお少ない。サントリーホールのホール・オペラで取り上げられる計画があったが、スポンサーらへの配慮のためか、演目が変えられてしまったのも記憶に新しい。

だが今回は、いよいよ三部作の上演が実現するのだ。面白いことに今回、プッチーニの人徳は、二期会と藤原という壁を取り除く手伝いをしてくれたようだ。総じて二期会の歌手が中心になっているものの、藤原の歌手もうまくミックスされている。目玉の「ジャンニ・スキッキ」では両軍が拮抗しており、題名役は二期会の直野資、ラウレッタに藤原の高橋薫子(役は小さいがもっとも有名なアリアを歌う)、リヌッチオは二期会の樋口達哉、そのほかの有象無象として、加納里美、志村文彦、阿部修二・・・は二期会、久保田真澄、安達さおり、岡崎智行・・・は藤原という風に、ほぼ半々の構成である。ただし、「アンジェリカ」は二期会のみ、「外套」では松浦健がひとり、ティンカ役で混ざっているのみだが。

なお直野は、アルミンク&新日本フィルが伴奏した同作品の公演で同役を演じており、アイロニカルな役柄をしっかりと歌いこんで、見事なものだったのを憶えている(フィレンツェの悲劇とダブル・ビルの二期会公演)。「外套」の井ノ上了吏は最近、あまり二期会本体の公演では見かけないけれども、2003年に東京アカデミッシェ・カペレの「カヴァレリア・ルスティカーナ」(飯守泰次郎指揮)のトゥリドゥを歌ったときは、なかなか当を得た歌いっぷりが記憶に残った。相手役の佐野正一は初めてだが、同じ年に栗林朋子や堀内康雄を輩出した1990年の毎コンで、彼らと同じように入賞している。なお、このときの最高位である2位は、ボリショイ劇場でも歌った川副千尋。永吉伴子が3位に続いている。凄い年だ!

演出には、粟国淳が起用されている。若手の演出家としては随一の存在で、最近の活躍が目覚しい彼の力量は、私も強く期待するところである。あまりお金はかけられないだろうが、三部作を三部作として、どのように解釈してくれるかに期待が集まるところだろう。底辺を支える指揮者は小崎雅弘。二期会「蝶々夫人」で副指揮を担当したとき、本指揮のブリニョーリの急病に対応し、前半を見事に振りあげて一定の評価を得たことを憶えている。低予算公演でありがちのピアノ伴奏ではなく、ちゃんと東京フィルをピットに入れての公演となっている。

一応、プッチーニのメモリアルには相応しい布陣が整ったといえようか。そもそも三部作の上演自体が、我が国ではすこぶる貴重だということもあり、できれば観にいきたい公演である。
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