2007/9/15

マッケラス 最新鋭のベートーベン全集をリリース エディンバラ音楽祭(ライヴ盤) A  CDs

前回のエントリーの続き。そちらでも触れたとおり、マッケラスのベートーベン解釈は一貫している。楽曲のキャラクターによって、恣意的なアレンジが加えられていないのだ。ところが、(ある意味では当たり前だが、)不思議なことに、ちゃんと楽曲のキャラクターは、はっきり分かれて聴こえるのである。

例えば、1番はモーツァルト的な響きの洗練が顕著に出ており、よく整理された演奏になっている。2番ではハイドン的な驚きの要素がピックアップされ、あとに述べるような起伏のゆたかさで、山谷入り組んだ飽きない世界を創造する。3番は、第2楽章の葬送行進曲の、2つ目の主部において対位法的な部分をはっきりと抽出し、このパートで、ともすれば見逃されがちなフーガの優雅さを浮き上がらせる場面が、特別な印象を残す。

この全集を特徴づける響きの出し入れの面白さは、7番で特に印象的である。ベースに清潔感のあるノン・ヴィブラートを置いていながら、随所でゴージャスな響きが膨らまされていく様子に注目したい。これがテンポや単純な強弱だけに頼らない、起伏のゆたかさをもたらしているように思われ、何ともいえない膨らみのある、エレガントな響きをつくりだすのに一役買っている。また、この処理には、太鼓や金管の効果を上手に使っていることを見逃すべきではない。この効果がもっとも顕著なのは、やはり第4楽章である。もともと動きのある楽章だが、マッケラスの細かい処理により、楽曲はさらに浮き立つような立体感を獲得している。しかも、響きが美しいということが特筆できよう。

6番の「田園」は、長閑さというにはもう一歩だが、第2楽章以降の一貫した流れには脱帽させられる。響きが常に明るめで、そうした特徴は、やはり全集を一貫したものであるといえるのではないか。揺るぎない流れのなかで、それでも、田園の風物を丁寧に描きこんでいく演奏は見事である。

4番や8番は、マッケラスの演奏スタイル自体が、ともすれば予定調和的なものになりやすいというハンデを乗り越え、即興的とさえいえる、機微のゆたかさを醸し出しているのが興味ぶかい。

あまり言葉を弄しすぎてもいけないが、少なくとも、マッケラスがバカだと思うのはかなり短絡だということの根拠は、この記事で、ある程度は示せたものと信じる。以前にアルミンク&新日本フィルの第九を紹介したが、それに匹敵する清新な演奏に驚かれることと思う。


 The Beethoven Symphonies (Live from Edhinburgh Festival)

 チャールズ・マッケラス指揮

 スコットランド室内管/フィルハーモニア管

 ハイペリオン・レーベル(A BBC recording)
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2007/9/14

マッケラス 最新鋭のベートーベン全集をリリース エディンバラ音楽祭(ライヴ盤)  CDs

ベートーベン解釈が、ひとつの極までを教えるディスクが登場した。仕掛人は、なんと大ベテランのチャールズ・マッケラス。収録は、2006年のエディンバラ音楽祭、ライヴだが、聴衆の反応や会場ノイズはカットされている。オケは、もちろん音楽祭ホストで、マッケラスを桂冠指揮者に頂くスコットランド室内管と、フィルハーモニア管の2つである。これらを集めて、ベートーベン全集という形でまとめられた。

マッケラスのベートーベン全集というと、ロイヤル・リヴァプール・フィルとの演奏がある。マッケラスは彼自身が高齢であるためか、「ピリオド派」とは呼ばれないが、こちらのディスクなども、新しいベーレンライター版のもととなる譜面による解釈をいちはやく取り上げ、時代の最先端をいく尖鋭な演奏として知られたという。だが、今回の演奏は最近の研究成果を踏まえて、より洗練された解釈を見せており、加えて、第九などは聴いたこともないようなヴァリアントが多く導入されている。

演奏は、9曲を通して一貫している。ヴィブラートは抑制的、響きが清潔で、テンポ設定は現代的に快速だが、その最右翼をいく流れの速さには、ちょっとついていけない聴き手もあるのではなかろうか。もしもピリオド的な演奏に反発を感じている聴き手ならば、マッケラスのことをバカだと思うであろう。しかし、ベースとなる清潔な響きと、意識的にかけられたヴィブラートの絶妙のバランス、決して貧相にはならない響きのエレガンス、溢れるカンタービレの息吹き、要所での深い呼吸、これまで聴いたこともないフレージングやアーティキュレーションの面白さ・・・彼の演奏の魅力は語りきれないほどある。

一瞬も気を許せない解釈の厳しさ、さらにライヴ録音という難しい条件から、すべての演奏が完璧にコントロールされているとはいえない。特に、ソリストにコーラスまで使うことになる第九は瑕が多くて、残念というほかはない。ライヴならではの高揚感の代わりに、若干、粗くなる部分があるのも止むを得ないだろう。とはいえ、そんな些細なことで、この活き活きした録音を否定しつくすことなどできないのも確かなことだ。

白眉としては、5番を挙げたい。ベートーベンの交響曲のなかで、ともすれば堅苦しいほどの三連符を確かに感じさせつつも、ここまできれいに溶けきらせた演奏は、他にないだろう。この曲のよい演奏の通例として、例えば第1楽章の裏拍は、厳しく守られている(指揮者が入りにあわせて振ったりすると、この裏拍の緊張感がまるでなくなる)。そこに象徴されるように、いかに快速であっても、楽曲のもつフォルムがまるで崩れないことが、マッケラスの演奏の決め手になっている。

第2楽章、チェロのソロで始まる変奏では、バックで、弦が澱むように動いて入るがはっきり聴き取れ、入れ替わって、それが浮かんでくるときの様子が手に取るようにわかるのだが、意外な発見である。その部分に限らず、細かい配慮が行き届いている。随所にはっきりと「違い」を聴き取ることができて興味ぶかい。スケルッツォは落ち着いた響きで、ゆったりしている。終楽章は楽曲の構造どおり、揺るぎない展開がつづく。音色の豊かさも聴きどころのひとつ。特に、展開部の上昇的な音程をたどりながらの輝ける響きには、大仰にいえば神が降りてきそうな感じだ。細切れの音を打っての小結尾以降、ほとんどテンポを落とさないところから、速まっていくコーダのキレの鋭さにも注目したい。

他にいくつか触れたいが、とりあえず、ここで中締めにする。どのナンバーも、80歳を越えた老人の演奏とは思えないほど、エネルギッシュな演奏だというだけでも、十分な驚きであろう。
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