2009/9/21

ローレンス・カミングズ チェンバロ・リサイタル 9/17  ピアノ

英国ヘンデル・フェスティヴァルのディレクターを務めるローレンス・カミングズが、一夜限りのチェンバロ・リサイタルを開いた。今回、同フェスティヴァルでも助手を務める林美枝を伴い、デュオ作品を含むチェンバロのしらべを楽しませた。

【カミングズの温かいおもてなし】

まず強調したいのは、カミングズの放つ強烈なコミュニケーション能力についてであるが、同時に、カミングズがまず、音楽に人間らしい生命感を求めるタイプの音楽家であることも付け加えて申し述べないとバランスを欠く。チェンバロ本来の華やかな音色から導かれる、独自の色彩感と詩情に立体性を与え、音色の温かさや、ナチュラルなものに溶け込んでいく響きの柔らかさといったものを丁寧に体現していた。

例えば、ルイ・クープランの『組曲(ハ長調)』で、カミングズは鍵盤を叩いているという感じよりも、指で弦をはじいているような手ごたえある響きを際立たせ、楽器本来の持ち味を遺憾なく発揮している。この肌ざわりとでもいうべきものが、彼の演奏を自ずから温かいものにしており、演奏者の人柄の素晴らしさをイメージさせる。アーティストとオーディエンスのあいだに距離(壁)のない、東京オペラシティ・近江奏堂のこじんまりとした雰囲気も手伝って、明るく開放的な一体感に包まれた会場中が、カミングズ氏のこころの籠った「もてなし」に、すっかり上機嫌になってしまったのである。

そのルイ・クープランの演奏については、後半のサラバントとパッサカリアで多用したルバートがきわめて効果的であり、ゆったりした穏やかなフォルムをしっかりと構築しながらも、ほんの僅かに揺らぎをつくり、思いがけない要素を忍び込ませるカミングズの遊びごころに、いきなり打ちのめされてしまった。最後のパッサカリアは、同じようなフレーズを繰りかえして、曲が進行するごとに神々しく羽が開いていく構造をダイナミックに盛り上げていくが、間でレバーを閉めて、素朴な響きになる部分の感興が、かえって堪らない。終盤、レバーを全開して大胆な響きが広がる部分のスリリングさが、また凄い。ルイ・クープランの作品をよく知らなかっただけに、余計に驚かされたものであろう。

主役のヘンデルは2曲。『組曲(ホ長調)』(HWV430)では、平易で快活なメロディを大事に演奏している。ヴィルトゥオージティは抑えられ、あくまで歌ごころに基づいた自然なラインが、柔らかく提示される。最初のクープランと同様、無理のないルバートがほんのり効いていて、聴き手を温かな気持ちにしてくれる。

2曲目のニ短調の(HWV428)のほうが、作品としては本格的なものとなる。深い音色でプレリュードが気高く始められたとき、カミングズは、これからどういう曲を弾くかをしっかりと印象づけてしまった。きっちりした対位法の構造に基づくアルマンドはやや速めで、切れ味が鋭い。先に印象づけた歌ごころが覗くアルマンドは、じっくりと聞かせてくれる。

クーラントを序曲に、アリアが始まった。前の曲のアリアと比べるとより苦味があり、装飾も複雑になる。変奏はそうした特徴を反映してか、先の曲よりも技巧性をしっかりと打ち出していた。先のクーラントから、アリア、変奏、そしてプレストまでは、少しずつフォルムがだぶりながら推移しているのがわかり、そうした構造的な面白みを拾いながらの演奏である。変奏の最後を鮮やかな技巧で一挙に盛り上げておき、まるで二重のプレストを布くように演奏していくアイディアは興味ぶかい。

林とのデュオとなり、バッハ『2台のチェンバロのための協奏曲』(BWV1061)が演奏したが、チェンバロ2台の動きが実に細やかに書かれている特徴が、この師弟コンビの演奏で明らかとなる。この林美枝という人も相当の腕前で、個性は借り物としても、それをこれほどまでに自由自在に使いこなせるのであれば、もはや借り物などという必要もない。いちばん大事なことは、表現のレヴェルでこころが共有できていることである。

なんといっても、最後のフーガの見事さには感謝したい。2人が頻繁に立場を変えつつ、内面から燃え上がっていき、よく言われるような宇宙的な響きに突き抜けていくまでの集中力が素晴らしい。特に、要所でザクザクと歯切れの良いリズムが表れ、全体を引き締めていく点に感銘を受けた。また、立場の交換の効果により、2人がいつも最初の素朴さを持ち続けており、それを自然な流れで膨らましているのに気づくと、一見、変わり映えのしない繰りかえしの世界に、めいめい一回的な命が宿っていくのがわかるはずだ。

こうした作業の繰り返しのなかで、魂が自然に昂揚していくとき、キリスト教に帰依しているかどうかには関係なく、誰もが「天」をイメージせずにはおられないはずだ。驚くべきことに、カミングズと林の演奏からは予定調和的なものがまったく感じられず、いま曲が生まれたような新鮮さが味わえた。この曲は、いわばアンコールのようなものなのに、これほどの出来で聴けるとは願ってもないことだった。

アンコールでは、なんとカミングズの歌声まで聴けて、サーヴィス満点のコンサートがおわった。彼はこの日、聴きに来た人たちを確実に満足させたであろうし、それだけではなく、その日まで彼のことをほとんど知らなかった人たちからも、絶大な愛情を獲得したにちがいない。といって、彼は巧まずして、それをやり遂げたのである。

【プログラム】 2009年9月17日

1、L.クープラン 組曲 ハ長調
2、F.クープラン 2台のクラヴサンによるアルマンド〜第9組曲
3、ヘンデル 組曲 ホ長調 (HWV430)
4、ヘンデル 組曲 ニ短調 (HWV428)
5、バッハ 2台のチェンバロのための協奏曲

 (共演) cemb:林 美枝 @第2曲、第5曲

 於:東京オペラシティ 近江奏堂
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2009/6/26

アレキサンダー・マッジャー ピアノ・リサイタル @紀尾井ホール 6/25  ピアノ

旧ユーゴスラビア出身のピアニスト、アレキサンダー・マッジャーの紀尾井ホールでのリサイタルを聴いた。この方はヴィルサラーゼの弟子で、母校であるベルギーのブリュッセル音楽院の教授を務めたのち、ベルンの高等音楽演劇学校の教授に転じている。いわゆる「アラフォー」のピアニストである。プログラムは、ドビュッシーとショパンのエチュードを前後半のメインに据え、その前菜として、リゲティのエチュードから1曲ずつを配したものだった。

演奏会最初のリゲティを聴いて、その音色の美しさと、柔らかいタッチに驚いた。これだけのものを弾けるならば、もっと良い席をとればよかったと思ったほど。しかし、次のドビュッシー晩年のエチュードは、いまひとつであった。昨年、小川典子が20周年記念のリサイタルで取り上げた作品でもあり、そのときの素敵な演奏がいまもあたまを離れない。それと比べると、マッジャーの演奏は焦点が定まらず、12曲を集めたときの構造観がはっきりしないのだ。1曲1曲をとっても、その精確で、柔らかな表現力は変わらないものの、全体に輪郭がぼやけており、瞬間的に凝結したものが浮かび上がったとしても、どこかにイメージが逃げていく部分があり、全体を貫き通す意思に欠けていた。

そこへいくと、ショパンのエチュード(op.25)は素晴らしかった。まずもってタッチが柔らかく、ショパンを弾く場合には、あまり鳴らしすぎないのが正解という常識が広まってきたのも嬉しい。マッジャーの場合、それに輪をかけたマイルドな響きで、いたわるような音色が美しいのである。

特徴のあるところを拾っていくと、第3曲は後ろを跳ね上げるようにして、馬が駆けるような躍動感で活き活きとしている。次の第4曲も低音の弾力性が強調されており、独特のフォルムを見せる。それは曲調の似ている第5曲にも引き継がれ、こちらのほうがよりヴィヴィッドで、いびつな感じを与える。第6曲は音色の美しさが出色で、特に右手のトリルの透明な動きは見事なものであった。ショパンのエチュードはいまや、簡単な曲になったのだろうかと勘違いさせられる。

第10曲は、ドビュッシーのときとは正反対に輪郭くっきりの爽やかな演奏で、特に、トリオのロマンティックさが浮き上がっている。両端部分は潔癖なほどの整然とした響きが特徴となる。次の曲にアタッカで突っ込んでいくときの迫力は、出色である。「木枯らし」として知られる第11曲は身体の使い方を工夫して、ぐっと重みの乗った演奏に仕上がっている。前半は横の揺れに焦点を合わせていたのに対して、後半にかけては縦の伸縮が意識され、ぐっと体重の乗っていく部分の立体感が堪らない。終曲の「大洋」は再び横揺れが激しいエクスタシーを誘い、これを粘り強くつづける。跳躍がものの見事に精確で、コンピュータでプログラムされたような指のコントロールに嘆息させられる。最後、シンプルな和声へと解決される部分の響きの美しさは秀逸で、この作品全体が結局のところ、ここに回収されるというイメージの大胆さには驚かされた。

全体的には清冽な演奏で、左手の柱もしっかり固定され、テンポ・ルバートのあり方には文句がない。ただ、難をいえば、いささか並行的な演奏で、遊びが少ない。とりわけ、最初の数曲はダイナズムの伸縮にも欠けており、いささか整いすぎた演奏に思えた。ときどき嘘のように粗い打鍵がある点と、パッセージの軽さが省略気味にきこえてしまう部分があるのは、残念である。

とはいえ、昨年のエル=バシャの名演には及ばないとしても、ハーモニーの美しさが自然に浮かび上がる好演であり、ヘルシーで、優しげな響きで演奏されるショパンのイメージは、妥当性が高かった。

【プログラム】2009年6月25日

1、リゲティ X:虹〜ピアノのためのエチュードT
2、ドビュッシー 12のエチュード
3、リゲティ XT:不安定なままに〜ピアノのためのエチュードU
4、ショパン 12のエチュード op.25

 於:紀尾井ホール
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