2006/12/2

ニュー・シネマ・パラダイス  シネマ

ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」を何年かぶりに見たが、本当に素晴らしい映画だ。最新の技術によるりマスタリングだからというわけではないが、色褪せるということがない。1989年の製作なのだが、いまもって新しい。当時は、現在のような優れたコンピュータ・グラフィックスの技術もなければ、デジタルカメラも存在しなかった。トルナトーレの証言によれば、(ほんの17年前だが)同時録音の技術もまだまだ進んでおらず、信じられないことに、あのトト少年の声は、アフレコでつけられているのだ。また、役者の声も、全部アフレコ。アルフレード役のアテレコについては既に触れたが、成長したトトと相手役もアテレコ。映画館の観衆の騒ぎ声などは、スタッフ6人くらいで作っているそうである。いまからみれば、ほとんど考えられないことだ。

しかし、そのなかで、あれだけの美しい画面を獲得し、こころ温まる人間ドラマを見事に編み上げたのだ。映画はシチリアの海のカットからはじまる。あのどこまでも透きとおって、しかも、青々とした海の艶やかさのよ。そして、街の描写も、しばしば息を呑む美しさで、驚かされる。

私が今回、見ることになったのは、既に述べたようにオリジナル版の3時間ちかいヴァージョンである。編集された2時間半の完成版との違いとして、トルナトーレがもっとも強調するのは、リズムやテンポのことについてだ。オリジナル版では、完成版よりも流れがゆったりとしている。無駄なコマや説明的な部分も残っているが、どの版も本質的な部分は同じ。それが、監督の主張である。そう聴いて、違和感を覚える人もあるかもしれない。このオリジナル版の最大の特徴として、主人公が街に戻ってからのエピソードが拡張されていることが挙げられる。トトとエレナを引き離したのが、実はアルフレードであることがわかり、車の中での再会シーンもかなり長い。観客の知るべきでない思い出として封じ込めておくべきことを、みだりに語ってしまうオリジナル版には興ざめだとする意見もみられる。オリジナル版は、見るべきでないとする人さえいる。

だが私は、そうは思っていない。オリジナル版のほうが優れているという見方をするつもりもないが、私としては、監督の主張を支持したい。2つの版には、さして大きな違いはない。この映画のもっとも大事な要素が、私の思うものであるとするならば・・・。

ニュー・シネマ・パラダイス・・・この作品は、何であろうか。それは、友情と愛情の成長の物語である。映画は、アルフレードの死という、観客がまだそれと知らない大きな出来事から説き起こされる。雷鳴がキーとなって、はじまるトトの回想。これが、物語の中心部分を成している。まず友情は、映写技師のアルフレードとの関係から生まれる。はじめは、映写室の仕事に興味をもつ少年を、アルフレードが追い出すという程度のものだった。トトはいくら怒られても、何度でも映写室に現れる。

アルフレードは、どう考えていたのだろうか。まず、映写室という環境が問題だ。映画の中にも、映写室が火事になるエピソードがあり、そこで大やけどをしたアルフレードは失明する。映写室とは、危険な場所だった。トルナトーレに指摘されてはじめて気づいたが、アルフレードは結婚指輪を2つしている。あの優しそうな奥さんの前に、一度、別の奥さんをもらっているのだ。そして、オリジナル版の前半では、トトと神父さんの一行が葬儀で子どもの棺を運んでいくのを、土を掘るアルフレードが目撃する場面があった。これは、トルナトーレによれば、アルフレードが子どもを亡くしていることを示唆するという。その情報は完成版ではカットされたように、あってもなくてもいいが、アルフレードはトトのことを決して邪魔にはしていなかったのは確かだろう。映写室は危険で、トトがそのような場に来ることを、アルフレードは心配していた。また、そうした仕事に、彼が関心をもつことすら危険と考えていた。そして、親が自らの子どもを案ずるように、アルフレードは、トトのことを心配するようになっていくのだ。ワルガキであっても、いくら厳しくされても自分に近づいてくるトトのことが、アルフレードは愛しくてならない。

小学校の卒業資格試験のエピソードを境に、彼らの友情は一歩進む。すなわち、トトは、アルフレードのパートナーとして認められるのだ。その後、火事のエピソードが来て、その関係はさらに深まっていく。相談事でよい返事をしてくれないのを怒ったトトが、目のみえないアルフレードを一人にして、車にひかれそうになる場面に象徴されるように、彼らは相互になくてはならない関係に入っていく。トトは本格的にアルフレードの仕事を継ぎ、その頼もしさをアルフレードは嬉しく思いながらも、このままではいけないと考えはじめる。アルフレードは、トトの可能性をもっと高いところに感じていたからだ。

トトにとって、もうひとつ重要な軸は、愛情の成長物語である。トトの「愛」のはじまりは、永遠の恋人、エレナに出会うことであったが、その美しい思い出よりも、まずは映画館の最前列で、娼婦と野性的なセックスを交わすことからはじまるのだ。一方、エレナとの関係は、門戸の違いが大きすぎて、ロミジュリ的なプラトニックなものになる。それゆえ、なおさらロマンティックなのであるが、これが、トトの愛情の位を一気に高めてくれるのである。

さて、この友情と愛情が、どのように破綻していくかが次なるテーマとなるが、そのことは、また別のエントリーに譲りたい。
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