2009/9/12

山下牧子 リサイタル 東京音楽コンクール入賞者リサイタル 9/5  声楽

東京音楽コンクール入賞者リサイタルとして、東京文化会館で、山下牧子が歌ったコンサートを聴いた。

A.スカルラッティ『貴女は知っている』と『すみれ』は軽重の歌い分け、後者ではピアノの対位法的な伴奏が歌の骨組みに使われていることを踏まえ、ピアノと歌手の共同作業がモノをいった。構造的、技法的な歌い分けと、それとリンクする歌の内面にしっかりとスポットが当てる歌唱である。最初の曲からインパクトのある表現を堂々と展開して、早くも言葉の壁を超越し、歌詞が歌のなかに溶け出していく感覚が味わえた。

つづいてヘンデルの作品、『セルセ』『アルチーナ』『リナルド』の3作品からのナンバーが並べられたが、〈樹木の陰で〉〈ああ私のこころである人よ〉〈いとしい許嫁、いとしい恋人よ〉の3曲はさながら、序曲、緩徐的な部分、グランド・フィナーレという形で、ソナタ的な構成になっていたのが面白い。技巧的には、これらの作品を歌い進めるうちに、深度が深まっていく感じがする。そして、それとともに、場面の緊張も引き締まっていき、『リナルド』が失われた恋人のために怒り、嘆くアリアは、まったく非日常的な場面ながら、身に詰まされるものがあった。導入のレチタティーボにも山下のセンスが滲んでおり、役づくりの誠実さにも感銘を受ける。

3曲のアヴェ・マリアは、同じ名をもつ令嬢のために歌われたという。愛娘への情感が重ねられることで、信仰の情熱がより素直な表現に傾いていくが、この二重写しにはもちろん、聖母マリアへの不遜はない。

フランス・オペラのフィールドは、山下にとって、知られざるスペシャリティである。トマ『ミニョン』のアリア〈君よ知るや南の国〉などは、絶品だ。これほど富貴でありながら、ふうわりした明るさに満ちた世界を現出できる歌い手は、なかなかいるものではない。

最後に歌ったマスネ『ウェルテル』の〈手紙の歌〉は、この曲に含まれる悲喜いずれをも匂わせる特徴を捉えているが、わけても後者の要素が、ピアノの左手に乗っかるようにして、ひっそりと表現のバスを打っているのを聴いて、私はマスネという作曲家のもつロマン性に、ほんのりと広がる闇を知ることになる。山下はそこにフランス語の歌唱に特有の、自ずから言葉に宿るポエジーを感じさせもする。

表面上、さほど深く掘り下げるような仕種はなく、ごくごく自然体な歌いくちだ。それは言葉の面でもそうであり、ほんのりとそれを匂わすだけで、徒に「フランス語的な響き」を追っていない。もちろん、歌は平板でもなければ、それぞれのフレーズごとに、末端に小さな扉のようなものがついていて、我々が自らの趣向に応じて、1つずつこれを開けていく愉しみさえ用意している。これは終盤にいくほど効果的であって、特に少しずつ声と表現を絞っていく歌いおわりの何ともいえない余韻は、そうした扉を(聴き手の1人1人が)自ら開いたかどうかに関わらず、最終的には、しっかりと感じさせるものになっており、きっちり帳尻があっているのである。

なお、伴奏は森裕子という表現の喚起力に優れたピアニストで、山下牧子という繊細な歌い手に相応しく、耳を惹くものがあった。

【プログラム】 2009年9月5日

1、A.スカルラッティ 貴女は知っている
2、A.スカルラッティ すみれ
3、モンテヴェルディ 私を死なせてください
4、カルダーラ たとえつれなくとも
5、T.ジョルダーニ いとしい人よ
6、ヘンデル 樹木の陰で〜歌劇『セルセ』
7、ヘンデル ああ私の心である人よ〜歌劇『アルチーナ』
8、ヘンデル いとしい許婚、いとしい恋人よ〜歌劇『リナルド』
9、サン=サーンス アヴェ・マリア
10、フォーレ アヴェ・マリア
11、バッハ/グノー アヴェ・マリア
12、ベルリオーズ トゥレの王〜劇的物語『ファウストの劫罰』
13、トマ 君よ知るや南の国〜歌劇『ミニョン』
14、マスネ 手紙の歌〜歌劇『ウェルテル』

 pf:森 裕子

 於:東京文化会館(小ホール)
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