2008/11/30

ル・ジュルナル・ド・ショパン 3日目 11/29 A  演奏会

ル・ジュルナル・ド・ショパン、最終日は盛り上がっただろうか。私は、3日目までのおつきあいなので、まとめ的な記事になる。前日の記事に敢えて補足しておきたいのは、3日目の構成についてであった。やはり通しで聴いたこともあり、企画意図が優れたものであることが、わかりやすかった。

まず、午前中の公演「No.5 若きエトワール 1831-1832年」は、op.16 の「ロンド」、op.17 の「マズルカ」、op.18の「華麗なる円舞曲」、op.46「演奏会用アレグロ」、そして、「バラード第1番」など。外向的な曲が多く、華やかで、親密さよりも不特定多数を相手にするエネルギーが強調されているように思われた。

例えば、ヌーブルジェは初日、「3つのエコセーズ」「コントルダンス」「ワルツ」(KK Wa-14)を作品の小ぶりさにあわせた、優しい演奏で通していた。だが、この日の「演奏会用アレグロ」では、スターの登場を印象づける華美で、芯のつよい響きを追求した演奏をみせる。また、エル=バシャのop.16の「ロンド」は、初日の op.73 と比べたときに、はるかに表現の幅を広げ、音楽的に自由になったショパンの姿、その進化の秘密を活写している。

午後に入り、「No.6 惜別の甘い調べ 1830-1835年」では、既に一定の人気を確立したショパンが、今度は、自分の想いをもっと素直に表現できるようになったことが、示されていよう。最後の「別れのワルツ」を筆頭に、ジュジアーノの弾く「ノクターン」(op.15-1)、ヌーブルジェの弾いた「ボレロ」(op.19)のリラックスした演奏。バル=シャイや児玉が弾いたマズルカのローカル性。ケフェレックの弾いた「ラルゴ」では、バッハへの信仰告白までがなされている。

つづいて、エル=バシャの妙技に騒然となった「No.7 内なる声へ 1832-1835年」では、いわゆるショパンらしさが完全に確立し、op.25 の「エチュード」でひとつのピークを迎える様子がはっきりする。繰り返しになるが、エル=バシャの強烈な演奏が、その印象を決定的なものとしただろう。

ここまで、年代だけを追ってもらえばわかるように、No.5-7 の公演は、作曲時期が被っている。単純に年代順では、ショパンの歩みを追っていくのにわかりにくい面もあるが、こうして焦点を絞ってまとめていくと、複雑な創作史のなかにも、ある程度の道筋があることがわかろうというものだ。

「No.8 サンドとの出会い 1836-1838年」は、誤解を恐れずジョルジュ・サンドという強烈な愛人の登場が、ショパンにどのような影響を与えたかということに、焦点を絞ったプログラミングだ。それはずばり、多様性だ。謎、不可解さ、畏れ、未知、怒り、不安、歓喜、期待などといった要素が、これまでの音楽的な豊富さに加えて、ぱっと花をつける。児玉の弾いた「スケルッツォ」などは、これまでのショパンにはなかった、というより、好まなかったといったほうが正確なように思える、奇抜さ、機知に基づいた作品だ。ショパンの内面世界を成すマズルカも、ミステリアスな感じや、思いがけない表情の変化、自由で気まぐれな発想といった要素が、作品をゆたかに彩るようになった。バル=シャイの演奏の柔らかさが、そうした要素を自然に導き出しているのは、もはや言うまでもない。

このように、プログラムはピアニストの個性を織り込みながら、それが微妙にショパンの歩んだ道行きに重ねられつつ、積み重なっていくように構成されていた。そして、演奏が進むにつれて、6人のピアニストは確実に、それぞれがプラスαを得ていくように思われた。その象徴となるのが、この公演で、op.40-2 の「ポロネーズ」を演奏したヌーブルジェだ。その演奏はこの時期のショパンの英気が乗り移ったような名演で、今回、私が聴いたなかでは、彼にとって最高の演奏となっていた。

「No.9 マヨルカの風 1831-1837年」は、かなり幅広い年代から集めたプログラムだが、サンドとの愛情が深まり、昂揚していく雰囲気のなかで、op.25の「プレリュード」が演奏される雰囲気を十分に用意する。そして、荒波をゆく船の行方を示すニ短調に至るまで、ジュジアーノは、彼にしては感情を表に出した演奏で、盛り上げてくれた。

エル=バシャが構成に深くコミットすることで、このような面白い流れがつくられたのだと思う。よくよく見てみると、このシリーズは独奏作品全曲の演奏になるらしい。だとすれば、なおさら、よく考えたものだと思う。たくさんある曲から、一部の曲を流れに合わせて選んでくるなら、まだ簡単だ。しかし、今回は、そういうことではなく、まず全曲を演奏するという大前提があって、そこに、ショパンの創作史を織り込んでいかなくてはならない。それが、かくも見事に実現されていることには、感銘を受けた。

なお、ホールについてだが、はじめに選んだ席で聴けた3日目は、まったく問題がなかった。やはり、ホールのどの位置で聴くかによって、かなり印象が左右されそうだ。

ピアニスト6人には、満足だ。児玉については批判的なことも書いたが、逆に、私の評価するピアニストに疑問をもつ人もいるだろう。完全に誰もが満足する選択というのは、あり得ない。

今回は、「熱狂の日」アーティストから、録音などもあって一般的な評価が高く、ショパンを得意とする人が選ばれたわけであるが、より奥行きをもたらすためには、例えば、ポーランド派のピアニスト、例えば、ナショナル・エディションの伝道師として頑張っている河合優子や、名教師で来日経験も豊富なアンジェイ・ヤシンスキ、あるいはロシア系のピアニスト、「熱狂の日」アーティストならば、アンドレイ・コロベイニコフとかボリス・ベレゾフスキー、それ以外ならば、グレーゴリー・ソコロフとかイリナ・メジューエワなんてのもいいと思う。センスが似ているのはいいのだが、思いきって、まったくちがうタイプを入れてみることで、ショパン解釈の多様性を体験することができるだろう。

商業的には、成功といえるのだろうか。長い休日に当たっていたわけでもないので、少なくとも、熱狂の日」の盛況ぶりとは差がある。だが、いわゆるゴールデン・タイムといえそうな、休日の昼間から夕方にかけては動員率も高かった。客層はよくわからないが、拍手が短めだったことから、普段あまりクラシックを聴かないメンツか、音大生、もしくは、音大出身者(学内演奏会のノリであまり熱狂的に拍手しない)、ピアノ教育者というところが、多かったものと思われる。フォル・ジュルネのように、子どもを連れて・・・という光景は、さほど目にしなかったし、子ども向けのアトラクションなども用意されている感じはなかった。このイヴェントに関しては、そういうマーケティングでもないのだろうか。

マルタンとしては、いずれは、彼の代名詞でもある「ダ・ロック・ダンテロン」日本版の開催を目論んでいるのかもしれないが、どんな手応えだったろうか?
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