2008/4/20

東京シンフォニエッタ カーター アスコ協奏曲 ほか 神奈川国際芸術フェスティバル 4/19  演奏会

神奈川国際芸術フェスティバルは、安い値段で、質の高いコンテンツを提供してくれるので、毎年、いちどは世話になっている。今年の最初の企画は、東京シンフォニエッタによる演奏で、「時代を超えて響く音〜モーツァルトからカーターまで〜」そして、東京シンフォニエッタ 室内オーケストラの可能性、と副題してある。プログラムは、下記のとおり。

1、ワーグナー ジークフリート牧歌
2、一柳慧 リカレンス (for cl、perc、hrp、pf、vn、vc)
3、ブーレーズ デリーヴT (for 6つの楽器)
4、武満徹 雨の呪文 (for fl、cl、hrp、pf、ヴィブラフォン)
5、モーツァルト ケーゲルシュタット・トリオ K.498
6、カーター アスコ協奏曲

なかなか入り組んだプログラムであり、どういう意図に結びつけられているのかは、私には読めない。本当にやりたかったのは、ブーレーズ、武満、カーターで、プロデューサーの一柳に敬意を払い、あとは客寄せパンダという感じにみえるが・・・。それでやっぱり、完成度もワーグナーとモーツァルトのほうはもうひとつで、あとの難しい曲目のほうが、はるかに素晴らしい出来なのだから、面白いというべきか。

一柳の作品は1979年の作品で、生年でいくと一柳がいちばん後なのだが、作品としては、ワーグナー、モーツァルトを別にすれば、もっとも古い作品になる。一貫して演奏される4つの部分でできているが、あるところまで進んだところで、ストップ・モーションがかかったようになり、その部分では素材を徹底的に味わいつくす、日本的なオスティナートが展開する。一柳らしいのは、ただ繰り返すことはせず、いろいろに変形を試みて、ひとつひとつの響きを丁寧につくりなおしていくことだ。

この前半の響きは出色で、7つの楽器の響きがよく計算されて配置されている。パート間の自由な結びつきが、ゆたかな創意によって絡められており、自らの可能性を越えていくような生気のもとになっている。弾力のある、まあるい響きが柔らかく変形をつづけ、活き活きと伸縮していく。そこが拡大的に映し出されたあとは、経過区を経て、もういちどストップ・モーションになり、オスティナートする。だが、この後半部分は、前半よりもアイディアが単調で、エネルギーが切れたところで、曲がおわる。出来の悪いミニマルで、後半はつまらない。第2楽章のパーカッションなどは、デザートに添えられた生クリームみたいなものなのだろうが、ここのパートを一人でこなした打楽器奏者はすごい。長尾洋史の弾くピアノは、短いカデンツァを含めて効果的で、自ら優れた演奏者でもある一柳らしい作品といえる。

あとの武満ほど露骨ではないものの、要所要所に日本的な響きが挿入されており、それが聴こえてくると、全体がとても上品に響いているように感じたのは興味ぶかいことだった。

ブーレーズのデリーヴT(1984年)は、この一柳の作品と比べると、派手さはないものの、よくまとまっている。一柳の作品と比べると構造感がしっかりしており、あとの武満と比べたときには、音色がシャープで、色彩感に満ちている。山本千鶴コンマスによる、ヴァイオリンの響きの端正な表情が、なんといっても魅力的だ。

休憩をはさんでの、武満「雨の呪文」(1982年)は、お馴染みの雰囲気で、これこそ正しく武満だというような、見本のような演奏である。ゆったりした響きに、淡く色彩が加えられ、うすく引き伸ばされ、かつ緊張している。琴を模すようなハープの響き、フルートも和笛の雰囲気を多分に呼吸する。東京シンフォニエッタは、この曲目については非常に高い共感を感じているものか、ハープの木村にしても、フルートの斉藤にしても、ただ上手にというのではなく、この曲にだけあった音色を奏でている。和楽器の笛の音を模するように、フルートに力強く息を吹き込むときの響きなどは、きれい/きたないというレヴェルを越えて、出さねばならない響きがあることを教える。ヴィブラフォンを弦でこするようなパフォーマンスもなれたもの。ピアノの内部奏法も、さっきのブーレーズと比べると、ずっと柔和に挿入されているのも、武満らしい。

武満らしい特徴が典型的に表れた作品だが、こうした音楽を聴いていると、どこか安心感があるのも確かだ。

最後、カーターの「アスコ協奏曲」は2000年に、Asko というオランダの現音アンサンブルのために書かれたものであるという。6つの部分にわかれ、それぞれ中心となる独特の組み合わせによる重奏が選ばれ、そこの各楽器が即興的に絡んでいく。作曲年からすると意外だが、露骨なものではないながらも、しっかりした拍節感があり、オケコン的な聴きやすい楽曲に仕上がっている。東京シンフォニエッタのメンバーは、例えば、クラリネットとコントラバスなど、本来は混ざりにくいと思われる響きを、柔らかな音色でカヴァーして、奥深くに隠れていた絆を掘り出してみせる。だが、それらは単に、妥協的に溶け合わせるというレヴェルではなく、ときには、お互いの張り出した部分を見せあいながらの、より高度な結びつきである。

4つ目の部分のヴァイオリン=トランペットの組み合わせは、そのことが顕著で、梅原真希子の弾くヴァイオリンの芯のつよい音色が、トランペット(坂井俊博)のツンと張り出した音色と、50m先くらいで、仲良く手をつないでいるのがわかる。最後の部分では、ファゴット(井上俊次)の妙技がいやでも耳を惹くが、実は、そこに噛みあっていく無数の響きが聴きものであり、全編の結びに相応しい威容がふうわりと膨らんで、聴き手を包み込んでしまう。最後はゆったりと響きが沈んで、余韻だけが残る。良い楽曲の常として、この作品もきわめて高い緊張感に包まれていたが、それはまた、演奏者の息を詰めたパフォーマンスから発する雰囲気でもある。板倉康明は一見、指揮者として凡庸なようだが、このようなレヴェルまでアンサンブルを育て上げていく力量には、やはり並々ならぬものがあるのであろう。

初めての楽曲ばかりなので、あまり上手に書けていないが、最後のカーターを頂点に、現代側の作品では、とても楽しめたコンサートだった。このグループは、パリのプレザンス音楽祭に招かれ、ラジオ・フランスによる新作初演など、晴れ舞台が待っているそうだ。水戸室内管も海外遠征を控えているが、こうした室内アンサンブルは国内よりも、海外でより素直に評価されているのが現状である。


 2008年4月19日

 於:神奈川県民ホール(小ホール)
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