2009/8/6

8月6日、原爆投下の日に  

8月6日は、日本人にとって大切な日である。言うまでもなく、原爆投下の日であり、その犠牲者のための慰霊、記念の日である。前日の日本テレビ系のニュース番組「ZERO」では、広島の各所にある慰霊碑に献水を続けている老婆の特集があり、深い感動を与えた。取材した記者もVTRをみながら、放送中に不覚にも涙をためていらして、プロとしては理想的な態度ではないかもしれないが、まだまだ、まともな記者がいると知って嬉しかった。

核廃絶の動きはなかなか進まないのだが、北朝鮮の核実験というマイナス要因と引き換えに、米国のオバマ大統領による核廃絶への態度表明があったことを、広島政庁は歓迎しているようだ。しかし、「オバマジョリティ」という造語をつくって、オバマ支持を表明するという広島の態度は、どうなんだろうか。確かに、オバマは唯一の核使用国家としての責任を表明し、ロシアとの歩み寄りで、久しぶりに核軍縮の動きを復活した。

とはいえ、オバマ大統領のいった責任というのは、広島と長崎への原爆投下が不正義であったと認め、その非人道的な行為を反省するという意味ではないように思う。また、削減の流れをつくったとはいえ、米国がいまもって世界最大の核保有国である事実はまったく揺るがない。オバマ大統領に書簡を送り、核兵器の非人道性を訴え、広島の平和祈念式典に招待した被爆者に対して、オバマ大統領からの返信はまだないという。実際、広島では、オバマ大統領の祈念式典への参加を呼びかける強い動きがあったようだが、それに対する大統領の反応はなかった。まあ、相手が米国大統領ともなれば、日本政府からの正式な招請がなければ、一国の最高権力者が動くとは思われないから、招待状を突きつけない日本政府にも大きな問題はあるわけだが・・・。

このようにいろいろなことを考えあわせると、「オバマジョリティ」という広島市考案のスローガンは、ややオバマ人気に悪乗りしているような気がしないでもない。それは、オバマ氏の演説のフレーズを使った秋葉市長の平和宣言にも窺えるだろう。

被爆者にとって、すこしだけいいニュースは、原爆症認定基準に関して、政府が正式に歩み寄りを表明したことだろう。非常に限定的な基準を見直し、10何連敗中の裁判で敗訴している件については上告をせず、既に上告申請しているものも取り下げるという。さらに、既に敗訴となった原告に関しても、基金を創設して救済していく考えを示している。あまりにも遅すぎる決定であるし、総選挙を前に控えての決定は素直に喜べない面もあろうが、とりあえず、積み残しの問題がすこしだけ解決したことは、現に苦しんでいる原爆症の患者さんたちには朗報となるはずだ。

献水のニュースのおばあさんも90歳だったはずだが、原爆の被害を直接知っており、語ることのできる人たちも少なくなってきた。広島市から政府への要求事項では、高齢化した被爆者への援護措置についての提案があったといい、そのことを裏づけている。そのような現実的な問題とともに、一部から核武装論などが平気で出てくるような時勢にも警戒しながら、この体験をいかに語り継ぐかを考えるときが来ているのかもしれない・・・否、それも遅すぎるくらいだ。
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2009/8/6

広上淳一 メンデルスゾーン 「イタリア」交響曲 日フィル フェスタサマーミューザ川崎 8/5  オーケストラ

8月5日、「フェスタサマーミューザ川崎」における、日本フィルの公演を拝聴した。今回の指揮は、広上淳一。

ハイドンのハ長調の『テ・デウム』は、珍しい選曲。合唱にアマチュアのガーデンプレイスクワイヤを招いたが、広上の絶賛する団体だけあって、ニュートラルで明るめの響きをもつ良質の合唱団だった。バロック寄りの音楽づくりに、日フィルは不慣れなところを露呈。そこへいくと、ガーデンプレイスクワイヤは少しばかり若すぎる声に多少の不満はあれども、プロの側を引っ張るくらいの清楚な表現が板についていた。

バッハ『ブランデンブルク協奏曲第5番』は、室内楽的な小編成で演奏した。ソリストは、チェンバロが曽根麻矢子、ヴァイオリンが当団コンマスの江口有香、フルートが高木綾子。広上は、この3人を自由に演奏させ、伴奏の手綱のみを握った。少人数に絞ったことで、表現の統一性が高く、ハイドンのときよりも表現が軟らかい。ソリストは、チェンバロの曽根とヴァイオリンの江口は好演。高木がフランス音楽のような表現でやや浮いており、フラウト・トラヴェルソのような素朴な表現を求めたかった。

メインとなる『メンデルスゾーンの交響曲第4番〈イタリア〉』は、イメージよりもガツガツした演奏だが、雑にならない程度に熱っぽい演奏だ。第1楽章では対位法的な構造があらわになる部分で、この日の前半2曲の演奏がよく効いている。第2楽章は、『ブランデンブルク協奏曲』のところで培ったような室内楽的な響きが、うまく生かされているのか、いつもより全体のアンサンブルが近い感じで、響きもゆたかである。舞踊楽章は、日フィルの弱点を逆手に取り、細かい指示でアンサンブルを引き締め、情報量をゆたかにし、持ち前の機動性をうまく引き出した。弦の最強奏部分では、左側に振った広上の両手に、貴婦人が身体を預けたように自然な重みがかかり、素敵な雰囲気が漂った。

プレストはテンポそのものは遅めだが、弦や管のトレモロに気合いを込めることで、速さを感じさせる仕掛けであった。そのアイディア自体はよかったが、あまりに必死なのが聴き手に伝わりすぎていて、タネがミエミエの手品のようで芸がなかった。しっかりとテンポがキープされることで、厳かな旋律の流れだけにこころを奪われることなく、最初の楽章から引き継がれた主題が丁寧に浮かび上がり、対位法的な構造の特徴もわかりやすい。また、第1楽章で十分な重みをもたせたことは、この楽章との対応関係では妥当性がある。

広上のプログラミングは表面上、記念年に当たる作曲家の作品を集めたにすぎないが、古典派のハイドン、バッハ蘇演に功のあったメンデルゾーンを「バッハ」というキーワードで結んでいる。さらに、室内楽的な要素や自立性、アンサンブルの積極性など、このオケの成長に必要な要素をうまく拾い集めながら、まるで前半を糧にして後半の演奏が出来上がるような形でもって、上手に組み上げている。それなのに、最初のハイドン以外は、よく聴衆に知られた曲でもあるのに、知的な構成を感じさせた。

【プログラム】 2009年8月5日

1、ハイドン テ・デウム ハ長調
 (chor:ガーデンプレイスクワイヤ)
2、バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番
 (cemb:曽根 麻矢子、vn:江口 有香、fl:高木 綾子)
3、メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」

 コンサートマスター:江口 有香

 於:ミューザ川崎シンフォニーホール
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