2009/8/29

音楽の現在 サントリー音楽財団 サマーフェスティバル 8/25  オーケストラ

毎夏、8月末におこなわれているサントリー音楽財団のサマーフェスティバルは、世界と日本をつなぐ現代音楽の祭典である。25日は、現代音楽の潮流を紹介する「音楽の現在」のシリーズで、2007年〜2008年に初演された作品が選ばれている。演奏は、沼尻竜典指揮による東京都響。4曲が演奏されたが、最初と最後のみ触れる。

【シャリーノ作品】

シャリーノ『4つのアダージョ〜リコーダーとオーケストラのための』は、アダージョだけによる4つの楽章からなる作品。だが、4つのアダージョは意外な方法で描き分けられているともいえるし、また別の点からみれば、相互に共通しあう部分もある。そもそもシャリーノにおいては、「アダージョ」はただの速度表示に戻っており、そこに表現としての盲点を見つけた格好だ。

4つのアダージョは、いくつかの要素によって分類できる。まず立体性においては、前半の2曲が平面的、後半の2曲が立体的だ。両端部分は諧謔的なおかしみを内包した音楽であり、従来のアダージョのイメージに添わない。真ん中の2曲はシリアスで、緊張感がある。前半ではほとんど完全にリズムが隠され、最後の曲で、それが解放される種明かし的な構造。

リコーダーが独奏楽器に指定され、ときに和楽器的な響きにも、鳥の鳴き声のようにも聴こえる。結局、このリコーダーがスイッチの役割をしている。素材は隣りあった楽章で少しずつ共有されており、僅かな連続性を確保している。

最後のアダージョでは、意外な展開で最初のユーモアが再現し、4曲のなかでも特に簡潔に締め括られる。モーツァルトのオペラによくあるように、絶望の淵からおもむろに楽天的な解決に向かうような、そんな流れに似たところをもつ作品であった。

【エトヴェシュ作品】

最後に演奏されたのは、ペーター・エトヴェシュの『2台ピアノとオーケストラのための協奏曲』であるが、バルトークの生誕125年を祝う2005年に作曲されたオマージュ作品から、改作したものとなる。

作品を聴いてみると、1世紀以上も前の作曲家に対するオマージュ作品であることから、ある程度の限界はあり、いささか保守的な感じがするのは否めない。だが、響きそのものには、かなり新鮮なものも感じられ、形式的な発想の面白さもある。そもそも、この作品は「協奏曲」と謳ってはいるが、実際のところ、『2台ピアノと打楽器のためのソナタ』といえるほど、ピアノと打楽器の響きにこだわった作品である。

それを象徴するように、対位法で構成されているという3台のスネア・シンバルを用いた冒頭部分は、エトヴェシュが言うように旋律的で、全体を聴き終わったあとでも深い印象を残す。オーケストラの響きは、ときに主導権を握ることもあるが、全体的としてみたときには、あくまでピアノや打楽器の延長線上にしか書かれていない。例えば、ある部分ではチェレスタが置かれているけれど、それはピアノの細かいパッセージに連続して書かれており、まるでピアノに出せない高音を補うような形で、響きを奏でることになる。

万事がこのようなイメージで、同じ鍵盤楽器ならまだしも、ピアノから遠く隔たっている関係にあるような楽器でさえ、その役割は変わらない。

楽曲は5つの楽章で構成されるが、切れ目なく演奏される。特に印象深いのは、第4楽章だろう。その音楽的構成については、エトヴェシュがプログラム上でしっかり書いているので繰り返さないが、その印象たるや、何ともいえずエレガントなものなのであった。一種の緩徐楽章であるこの部分では、しっとりしたピアノ・デュオの旋律にサンドウィッチされて、いろいろな風景が展開するが、聴き手のなかに残るのは、あくまでピアノ・デュオによる響きの繊細さだ。終楽章は、それと対になるようなエネルギッシュな感じに変わるが、このあたりは、いかにもバルトークらしい語法を写し取ったものなのだろう。

なお、ピアノはドイツを根拠に活躍する瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオで、落ち着いた表現の安定感と、やりたいことがわかりやすい明瞭なピアニズムで、爽やかな印象を残した。

【プログラム】 2009年8月25日

1、シャリーノ 4つのアダージョ〜リコーダーとオーケストラのための
 (rec:鈴木 俊哉)
2、A.R.トーマス ヴァイオリン協奏曲「楽園の曲芸師」
 (vn:千々岩 英一)
3、L.ベドフォード 花輪〜オーケストラのための
4、エトヴェシュ 協奏曲〜2台ピアノとオーケストラのための
 (pf:瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオ)

 管弦楽:東京都交響楽団 (cond:沼尻 竜典)

 於:サントリーホール
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2009/8/29

小川典子 夏の音楽浴U ドビュッシーの日 8/24  オーケストラ

東京文化会館主催による「夏の音楽浴U ドビュッシーの日」を聴いた。ピアノの小川典子が、1回1時間弱のコンサートを、1日のなかで3本こなす大企画となる。それぞれのコンサートではドビュッシーの初期、中期の代表作と、晩年の大作「12の練習曲」が取り上げられ、全部の演奏会を聴くと、1日にしてドビュッシーの音楽的遍歴のエッセンスを理解できるという試みであった。

小川が自身の20周年記念演奏会でもメインで取り上げた「12の練習曲」が、やはり絶品であった。今回、どの曲についても作品に対するイメージを小川自身が話してから演奏する形をとったが、その言葉に見合う表現がしっかり返ってくる。5本の指のために、3度のために、4度のために・・・というタイトルどおりに、きれいに特徴を捉えながら、輪郭のハッキリした演奏を試みた。

これに象徴されるように、演奏を中心としたプレゼンテーションには小川のこころづかいが節々に効き、良い意味でわかりやすくて、満足感も高いコンサートになった。

2回目のコンサートで演奏された『映像U』では、強弱の「ピアノ」を中心とした3曲を取り上げたが、それはかえって「ピアノ」の多様な表現法を示すパフォーマンスとなる。〈葉ずえを渡る鐘〉では響きそのものが小さくなり、葉ずえをサワサワと抜けて吹いてくる風の音に、ほんのり載った鐘の響きを自然に浮かび上がらせる。つづく〈荒れた寺にかかる月〉では、音量よりも打鍵の軽さに注意して、鬱蒼とした森の蔭、廃寺となった建物に薄く月光が射すミステリアスな風景を、しんなりと描き上げる。〈金色の魚〉は響き自体は十分に豪勢で、ニシキゴイの華やかさを遺憾なく表現しながら、音楽の落ち着きだけで優雅に「ピアノ」を演出するという解釈の妙を披露した。

最初のコンサートでは、やはり〈月の光〉が印象的だ。小川の演奏は、ただ美しいというよりは、優しく、艶やかで、かつ、ほんのりと物悲しい。前半部分の清澄な美しさは作曲者であるドビュッシーと、演奏者である小川のこころの美しさを二重写しにする。古い旋法を導入した中間部分を丁寧に弾いたあと、同じテーマが戻る部分では、むしろ物悲しさが先行している。

こうした詩的な実現のなかにあって、ナチュラルに忍び込んでいる構造への意識にも注目したい。ここでは古典的なトリオ形式だが、中間部分を挿んで、同じ旋律が再現する最後のパートには、何か大事なものをしまい込むような想いと同時に、自らの大事なものと別れるような、寂しさのあるポエジーが潜んでいる。この感覚は、ドビュッシーの中期までの作品にはよくみられる。

一方、最後のエチュードでは、そうした要素が振り切られ、一見、ドライな世界に踏み込んでいるようにも思われるが、小川はこれをドビュッシーの見つけた最後の自由として捉えている。

これに限らず様々な発見のあったコンサートは、ここに書くには限界がある。まずは、その成功を素直に喜びたい。

【プログラム】 2009年8月24日

 オール・ドビュッシー・プログラム

【第1部】13:00〜
○アラベスク第1番、月の光〜ベルガマスク組曲
○西風の見たもの、亜麻色の髪の乙女、沈める寺〜前奏曲集T
○カノープ、花火〜前奏曲集U
○小さな羊飼い、ゴリウォークのケークウォーク〜子どもの領分
○喜びの島
【第2部】16:00〜
○パゴタ、グラナダの夕べ、雨の庭〜版画
○水の反映、ラモーをたたえて、運動〜映像T
○葉ずえを渡る鐘、荒れた寺にかかる月、金色の魚〜映像U
【第3部】19:00〜
○12の練習曲

 於:東京文化会館(小ホール)
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