2009/3/9

スクロヴァチェフスキ ブルックナー 交響曲第1番 読響 芸劇マチネー 3/8  オーケストラ

今シーズンの読響は、常任指揮者のスクロヴァチェフスキでシーズンを終える。来シーズンは2回の来日が予定されているが、愛すべき音楽家の演奏を聴ける機会も、前日のシュナイト同様、残り少なくなった。ただ、もう来日が期待できないシュナイトと比べると、スクロヴァのほうは、健康さえ許せば来日してくれる可能性もある。現役最高齢の86歳は、シュナイトより7つも年上であるが、この日も相変わらず元気いっぱいなのだ。椅子に座ることもなく、足取りも軽い。

【構造の輝き、そして、表情のゆたかさ】

この日は、最初のブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」が、白眉であった。先程からわざわざシュナイトの名前を出しているのは、実は、そのためなのだ。少しばかり、やり方はちがうかもしれない。だが、シュナイトもスクロヴァも、ブラームスの楽曲に驚くほどゆたかな表情があることを、私たちに教えてくれた。R.シュトラウスの交響詩を引き合いにして、その詩情の動きの多彩さについて触れたドッペル・コンチェルトの記事。書き忘れたが、音色の柔らかさも、その印象を強めていた。そして、この日の「ハイヴァリ」だ。この作品では、二重協奏曲に垣間見えたようなストーリー性はないものの、むしろ、その分だけ自由な響きの表情が紡ぎ出されるのであった。

シンプルだが、丁寧な主題演奏(オーボエの辻功が、この曲を象徴する音色の柔らかさと、リラックスした表情を紡ぎ手となる)のあと、一気呵成に変奏を織り上げていくスクロヴァの手綱さばきが、まずは見物だった。息づかいを立体的に組み上げたブリュッヘンの演奏と比べると、彼の場合は、設計図から丁寧に組み上げていった響きとして受け取られる。響きの重なりも厳格で、これがほんわかした主題の緩やかさに対して、自然なくさびとなっていく。スケルッツォ的な第5変奏は一見、控えめだが、そのような構造の象徴となっていた。最後、ぴくっと立ち上がる響きが印象的であろう。これが第6変奏とセットになり、後者の構造の張りとなっている点は見逃せない。

対位法が息づく第8変奏も、同じように、最終変奏(フィナーレ)の骨組みを暗示している。序盤のねじ巻き部分から、風船に息を吹き入れるときのように、自然な手ごたえで響きが膨らんでいくことに、多くの聴衆は気づいただろう。そして、シンプルな対位法の構造を弛めたり、引き締めたりすることで、響きの江南がきれいに入れ替わっていくマジックを、目撃したのだ。クライマックスの見事な響きから、いったん静まって、最後の盛り上げ、そして、緩やかなディミヌエンドと、こうした押し引きの見事さがよく表れていた場面だろうと思う。

これでこそ、ブラームスだ。この作曲家の弱点は、旋律が書けないことにある。ブラームスは、ドヴォルザークがゴミ箱に捨てた旋律の欠片だけで、シンフォニーが書けるといった。それは一見、友人の才能に敬服し、自らの能力を謙遜した言葉のようにも見えるが、一方では、これといった旋律はなくとも、十分に作品は組み上げられるのだという底意をも含んでいる。それこそ、こうした構造のマジックと、音楽の表情にゆたかさをもたらす書法の確かさなのだ。

【じわりと引き込むケフェレックのワザ】

中プロは、アンヌ・ケフェレックを独奏に迎えての、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番の演奏だ。ケフェレックといえば、「熱狂の日」日本公演の第1回でモーツァルトのソナタを全曲演奏し、その後も、チャーミングな人となりと豊富な学識で、演奏やマスタークラスを通して音楽祭の顔として活躍し、人気を高めている。アンヌが弾くと、どんな曲でも彼女独特の響きになる。だが、不思議なことに、それぞれの作曲家の個性も、ちゃんと感じさせてくれるのだ。この日のコンチェルトも、正に! 香り立つような爽やかなピアノの響きはともかく、ちょっと勇気がいる動きの少ない演奏。最近のスポーティな演奏に一石を投じる、じっくり向かいあうような演奏だった。

すごいぞ、ブラーヴァ・・・という盛り上がりではないのだが、じわじわと聴き手を引き込んだ演奏は、長く、こころのこもった拍手によって象徴されている。

スクロヴァチェフスキの演奏も独特で、ベースがよくわからない。ツーと伸ばす音では弦への圧力を強くし、きついレガートを要求している部分もあれば、細かい音の動きはヘルシーな響きで、きびきびしている。どちらかというと、ピアニスト本位の動きであることは明確で、それは弦のプルトを思いきって絞って、明らかにアンヌの繊細さにアジャストした編成からもわかるだろう。

【単純さと緻密さ】

メインは、ブルックナーの交響曲第1番。私はいわゆる「ブル全」など持っていないし、1番は、ほとんど初めてだと思う。実際、聴いてみると、ワーグナーの影響が濃厚だ。素晴らしいワーグナーの素材を使って、交響曲をつくれば、どんなに素晴らしくなるか・・・と考えたのではなかろうか。ある種、安易な作品でもあるが、ワーグナーの作品を使った「オーケストラル・オペラ」のような感じで、聴きやすいことは聴きやすい。その分、素材をしつこいほどにしゃぶり尽くし、シンメトリーや繰り返しの構造を引き伸ばして、神々しいまでの作品に組み上げていくブルックナーらしさはない(第1楽章には、ブルックナー休止からダ・カーポするお決まりのコースがあるが)。

あまりに曲を知らないために、どこがどう良かったというようなことが言えない。だが、こうした作品のもつ味わいを、飾り立てることなく素直に表現したスクロヴァチェフスキの音楽づくりは、いつもながら好感が持てる。終楽章では、いつになく透きとおったトロンボーン部隊の響きが、印象に残る。しかし、豪壮な響きで全体をべた塗りするような弊はおかさず、一見、単純にきこえる部分にも繊細なアーティキュレーションを施し、響きのデザインにおいては、既に後期の傑作群を予告する要素があることを、しっかりと押さえているのも憎い。

この時期のシンフォニーにしか見られないブルックナーの意外な単純さ、もしくは、シンプルさといってもいいが、そうした要素をストレートに抽出しながら、そこに、後期作品に通じる緻密さをも感じさせる、ゆたかな演奏であったと言っておこう。

【プログラム】 2009年3月8日

1,ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
2,モーツァルト ピアノ協奏曲第27番
 (pf:アンヌ・ケフェレック)
3,ブルックナー 交響曲第1番

 コンサートマスター:小森谷 巧

 於:東京芸術劇場
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