2009/1/12

内藤彰 ニューイヤー・コンサート 東京ニューシティ管 1/11  オーケストラ

平素、ベートーベンやブルックナーのシンフォニーの最新稿を演奏するなどして、「いつも、何かが新しい」をモットーに独特の活動をつづける東京ニューシティ管弦楽団の、ニューイヤー・コンサートを聴いた。よくある新春企画ではあるが、彼らはそれを定演に位置づけ、プロとしての研究成果の発表の場として考えているという。すべての演奏は、「ピリオド奏法」でやるとことわり書きがあり、プログラムの記載にも、真正のウィンナー・ワルツを披露するとか、何かとビッグ・マウスが目立つのである。

私が今回、ここへ足を運んだのも、単にウィンナー・ワルツ、とりわけ、この日も演奏されたヨーゼフ・シュトラウスの「憂いもなく」が好きだということもあるにはあるが、上のようにオーセンティックな演奏を標榜し、他の楽団にはない独特の活動と評され、また自称する、その楽団の活動がいかなるものであるかを知りたかったからだ。この日は、ソリストにも、小山裕幾(fl)、篠崎和子(hrp)、鵜木絵里(s)と質のいい人が選ばれており、その点にも期待した。

だが、どちらかというと、私の期待は裏切られることとなった。確かに、ノン・ヴィブラートへのこだわりは、どのオケよりも徹底しているように見える。だが、内藤が言うように、彼らだけが「ピリオド奏法」に目覚めているという実態はなく、「熱狂の日」の無料公演に出てきたアマチュア楽団でさえ、ノン・ヴィブラートを試みているような時代、もちろん、主要なオーケストラは既に、「ピリオド奏法」をベースに楽曲ごとに響きの質を工夫しているような時代にあって、彼らのもつ先進性とか、オーセンティック演奏への飽くなきこだわりといったものは、ごく限定的なプラス要素にしかなっていない。

しかも、彼らが言うほど見事に、オーセンティックな演奏ができているでもないのだ。古楽器やガット弦への試みがあるわけでもなく、バロック奏法がしっかり身についているわけでもなく、音色に独特の何かが感じられるわけでもない。否、私はなにも、この楽団を見下すために書いているのではなく、彼らが特に、普通の演奏としてパフォーマンスを披露するのなら、それなりに上手なものではあったと思う。だが、彼らが自分たちは特別な演奏をする、それを聴き手にも感じてほしいと主張する以上、それに見合ったものが必要だというだけのことだ。

例えば、ラヴェルの「ボレロ」は、単調につづく長いクレッシェンドがあるだけの、ラヴェルの指示に忠実にやりますという。録音では、インマゼールが正にこのような演奏をして、聴き手を驚かせたのは有名だ。それと同じようになるのかと思いきや、実際には序盤の管楽器たちはどれもディミヌエンド気味になって、最後、響きを減衰させつつ抜けていくという、ごく一般的なスタイル。しかも、みんな、同じところでとちるので失笑。テンポ・キープも不徹底で、後半はやや速くなっていた。肝心のクレッシェンドにしても、既にソプラニーノ・クラリネット、オーボエ・ダモーレのあたりで、かなり元気のいい音量となり、「息の長いデクレッシェンドじゃないのか!」とずっこけてしまう。

オーセンティックにやるためには、まず、それに見合うだけの技術がなければいけない。この曲がまず、バレエ音楽だという点について、ニューシティ管の解釈は明快だ。響きには動きがあって、この曲をよく知っているというのはよくわかる。だが、その「知恵」を肉付けする技術の部分が、彼らの志の高さに追いついていない感じは残った。

ウィンナー・ワルツも、それほどのちがいは出ていない。確かに、内藤が言うように、ウィーン・フィルでは適度なヴィブラートが使われてはいるが、それでも、当たり前に対向配置がなされていることからも分かるように、彼らは「ピリオド奏法」のベースをナチュラルに受け継いでいるから、ニューシティ管がただ響きを清潔にしただけでは大したちがいが出ず、逆に、彼らが長い歴史のなかで練り上げてきた響きの艶やかさや芳醇な音色の輝きと比べると、ニュイーシティ管の演奏は、まったく味わいの浅いものとならざるを得ないのだ。

結局、餅は餅屋ということになる。残念ではあるが、丁寧に磨きこんだ演奏は演奏として、そこに何か新しいものを見出すことはできず、私は夢のようなウィンナー・ワルツの響きのなかで、不思議と空虚なものに襲われていた。唯一、救いとなったのは、ワルツ王の天才的な弟、ヨーゼフ・シュトラウスの3曲、すなわち、ポルカ「憂いもなく」、ワルツ「わが人生は愛と喜び」、ポルカ「短いことづて」が、きらりと銀ラメの輝きを放っていたことだけである。

オーセンティックな演奏を志すならば、オッフェンバックの名品「天国と地獄」の序曲にしても、どうして、ビンダーの編曲などを使うのだろうか。

まあ、いいだろう。この日のハイライトは、前半のモーツァルトを演奏した、うら若い2人のソリストの活躍であったと思う。曲目は、K.299 のフルートとハープのための協奏曲。先刻、名前を出した小山と篠崎のコンビ。この2人は白寿ホールのリクライニング・シリーズでもコンビを組む予定になっている。特に、小山のフルートの音色は、モーツァルトらしい優しさと気品を同時に備えたもので、技術的にも優れている。音コン以来、評判のいいフルーティストだが、現在は慶應の工学部に在籍している。今回、内藤の指示もあってノン・ヴィブラート奏法に挑戦したが、そのこだわりが、ここだけはしっかりと生きていた。

もしも、小山のような優れた奏者でなければ、この奏法を採ると、味も素っ気もないものになると思う。例えば工藤重典だったら、絶対に拒否するような演奏だろう。究極的には、機械にでもできそうな演奏だからだ。しかし、小山はノン・ヴィブラートで拍をしっかり守り、行きすぎた感情表現を厳しく抑制しながらも、その控えめな息遣いが一体、どのように歌に変わるのかを我々の前にうまく提示したと言えるだろう。

いやに苦言の多いレビューになったが、結局のところ、小山の成功が彼らに足りないものを示しているように思うのだ。もういちど、言おう。「オーセンティックにやるためには、まず、それに見合うだけの技術がなければいけない」。そのことが演奏の余裕となり、様々に工夫する余地を生み出すからだ。これが、ニューシティ管にとって喫緊の課題であろう。アマチュアでも個性の強いところは、すぐに特徴を申し述べることができるが、このオケに関しては、ノン・ヴィブラートに異常なこだわりがあるという以外、響きや演奏に対する特徴というのが、俄かに見当たらない。プロ・オケとしてあるからには、是非、その点を煮詰めていってもらいものである。

【プログラム】 2009年1月11日

1、オッフェンバック/ビンダー 喜歌劇「天国と地獄」序曲
2、モーツァルト フルートとハープのための協奏曲
 (fl:小山 裕幾 hrp:篠崎 和子)
3、ラヴェル ボレロ
4、J.シュトラウス ワルツ「春の声」
 (S:鵜木 絵里)
5、ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ「憂いもなく」
6、同 ワルツ「わが人生は愛と喜び」
7、J.シュトラウス 山賊のギャロップ
8、同 「侯爵様、貴方という方は」〜喜歌劇「こうもり」
9、ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ「短いことづて」
10、J.シュトラウス ワルツ「美しく青きドナウ」

 コンサートマスター:浜野 考史

 於:北とぴあ(さくらホール)
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