2008/12/20

東響も新シーズンのプログラムを発表 A  ニュース

私にとってすこし忙しい季節のおかげで、前編から1ヶ月くらい記事が飛んでしまったが、一応、書き上げておこう。前回は指揮者を中心に概観してきたので、次に、プログラミングそのものを見てみよう。

【プログラミングの特徴】

その中心として、スダーンが取り上げるシューマンとブラームスの曲目があることは、前回も触れたとおりだ。来季も、音楽監督の要請により各定演にシューマンの曲目が入っている。例外は首席客演のルイゾッティだが、その代わり、ブラームスの交響曲第4番を入れ、シューベルト=シューマンの作品の偉大なパイオニアであった(そのことは来季プロに寄せたスダーンのコメントにも言及あり)、メンデルスゾーンをブリッジに入れている。

それ以外の特徴は、取り立てて見出せない。オペラシティ・シリーズでは、昨シーズンの「アンコール」ともいえる、スダーンのハイドン・プログラムが組まれているのが注目に値するぐらい。2009年は、ハイドン・イヤー(歿後200年)でもあるのだ。また、東京の看板企画ともなっている、ヤナーチェク・オペラの年にも当たっており、「ブロウチェク氏の旅行」が取り上げられるのも話題だ。

議論の的となっているのは大友プロデュースの芸劇シリーズで、5月のオープニングに、映画やテレビ・ドラマ、アニメの主題歌などをプログラミングし、物議を醸している。厳しい批判もあるが、どちらかといえば、評価する声のほうが高いと思う。内容は、次のとおりだ。

1、服部隆之:TBS日曜劇場「華麗なる一族」より
2、坂本龍一:映画「戦場のメリークリスマス」テーマ曲
3、三枝成彰:NHK大河ドラマ「太平記」より
4、三枝成彰:映画「優駿 ORACION」より
5、羽田健太郎:交響曲「宇宙戦艦ヤマト」
       (テーマ・モチーフ:宮川泰、羽田健太郎)

確かに、「現代音楽」の新鮮さは味わえないが、演奏は面白いものとなるだろうし、クラシックとそうでないものの間をクロスオーヴァーする、このような企画は、いかにも大友らしいと思う。特に、「ヤマト」が楽しみでならない人は、私(もうすぐ30代に!)よりもさらに年配の人たちに多いことだろう。ソリストも当団の看板コンマスである大谷康子、実力では国内有数と目されるピアニスト・若林顕、ヴォカリーズには二期会公演で大きな評判をとった安井陽子など、洗練されている。

これを皮切りに、人気と演奏効果の高さで群を抜く曲目が並び、ある意味では、大友の危機感を示すプログラムであるとも言える。次は、「ヤマト」主題歌の歌詞からとった。

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誰かがこれを やらねばならぬ 期待の人が 俺達ならば

花咲く丘よ 鳥鳴く森よ 魚すむ水よ 永久に永久に

別れじゃないと 心で叫び 今紫の闇路の中へ
 銀河を離れイスカンダルへ はるばる臨む 宇宙戦艦ヤマト

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よし、頑張れ!

【ソリストはやや小ぶり】

ソリストについては、やや小ぶりであることは否めない。最大のビッグネームは、ベートーベンやブラームスのピアノ演奏における伝統継承者であるゲルハルト・オピッツか、英国のスター級テノール歌手のボストリッジということになる。これに並び、英国では、ピアニストとしてだけではなく、室内楽の名手、敏腕プロデューサーとしても知られるキャサリン・ストットは、有名だ。彼女はミューザのアドバイザーで、大友とも親しい小川典子と親交がふかく、フィトキンの2台ピアノで共演もしているが、今回は新しい(独奏)ピアノ協奏曲でお目見えということだ。もちろん、指揮者は大友である。

若手が多く、国内でもお馴染みのガヴリリュクのほか、欧米で引っ張りだこのチェリスト、ダニエル・ミュラー=ショット、ヴァイオリンのヴァレリー・ソコロフなどが注目される。

これらの人たちの曲目を見ていくと・・・

オピッツ:ブラームス ピアノ協奏曲第1番
ボストリッジ:ヘンデル アリア集
ストット:フィトキン 委嘱新作の協奏曲
ガヴリリュク:チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
ミュラー=ショット:シューマン チェロ協奏曲
ソコロフ:ブラームス ヴァイオリン協奏曲

このように、プログラムの骨組みをつくる大事な場面を任されていることに気づくだろう。ほかでは、「熱狂の日」などを通じて来日の多いベテラン奏者、レジス・パスキエ(vn)。アンサンブル・ウィーン=ベルリンのメンバーとしても共演した、ベルリン・フィル首席のシュテファン・ドール(hrn)。ポーランドを代表するピアニストのひとり、ペーテル・ヤブロンスキなどがいる。

あまり知名度のないところは、調べてみた。ジェニファー・ギルバートは、指揮者のアラン・ギルバートを兄にもち、父母もNYPで弾いていた音楽一家の令嬢。本人もリヨン国立管のコンマス。演奏曲目は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ピアノのベンジャミン・グローヴナーは、10代前半から英国で活躍する「天才少年」。英国の場合、天才といったら本当の天才だ。まだ、日本でいうところの高校生ぐらいだろう。演奏曲目は、リストの協奏曲第1番。ホン・クヮン・チェンは台湾人のピアニスト。1982年のブゾーニ国際コンクールで2位。演奏曲目は、ブラームスのピアノ協奏曲第2番。

ヴァイオリンのインゴルフ・トゥルバンは、チェリビダッケ時代のミュンヘン・フィルでコンマス。その後、ソリストとなり、錚々たる指揮者たちと共演している。演奏曲目は、ブラームスのドッペル・コンチェルト。パートナーのウェン=シン・ヤンも台湾人のチェリスト。かつての、バイエルン放送響の首席奏者。ソリストとしても広く活躍。ミュンヘン音大で教授を務めており、教育分野にも名を刻む。セドリック・ティベルギアン(pf)は1998年、フランス人としては久しぶりにロン=ティボー・コンクールの覇者となり、5つの特別賞をも占めた(うち1つは聴衆賞だが)。世界の有名なホールや音楽祭に出演、名を成した。現在も一線級のオケと共演、室内楽を得意とし、ハルモニア・ムンディのアーティスト。注目。

日本人では、小山実稚恵を筆頭に、昨年のマリア・カナルスを制した河村尚子(pf)、バンドネオンの小松亮太、モーツァルト演奏などに定評のある菊池洋子、チャイコフスキー・コンクール、ヴァイオリン部門で最高位=2位(いつまで通用するか?)の川久保賜紀。ロン・ティボー2位入賞の若手ヴァイオリニスト、南紫音。ベテランの戸田弥生(vn)など。

【まとめ】

厳しい環境にもめげず、来季の東響は歯ごたえを保った。同時に、危機感を窺わせるプログラミングもあり、民間所有のオーケストラらしい経営感覚は、他のオーケストラにも見るべきところがあろう。楽団の評価は上がりつつあり、スダーンとの長期契約、ルイゾッティの参加も目を引く。

来年はこれまでの支援制度に加え、「TSOフレンズ」なる小規模なパトロネージュ・システムを組織する。ファンとの親密化を図るとともに、若干の経済的基盤を生み出そうとするものだ。私はこの「フレンズ」をもっと上手に使って、楽団の活動の中心部分に喰い込めるようなコア・システムに成長させられないかと思っている。例えば、フレンズに割引などの特典をつけるのではなく、曲目や指揮者、ソリストに対する意見を聞き、供給側と受け手のマッチングをおこなうものにするとか、リハーサル公開だけではなく、何らかの方法でコミュニケーションの方法とすることが考えられる。

オケと聴衆、その関係はしばしば一方的だ。そのような弱点に切り込めるような「フレンズ」の制度であれば、支援者たちも特に割引特典などがなくても、楽団を贔屓にしてくれるのではないかと思う。私も定期会員になれないときは、「後援会員」として名を連ねたりするが、しばしば寄付金額を割引金額が上回ってしまったりする。これでは、「後援」したことにはならない。それゆえ、2口を寄付するしかないのだ。

不況に負けず、いまの好調が少しでも長くつづいてほしい。そのことだけが、私の願いだ。
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2008/12/18

ファジル・サイ・プロジェクト in Tokyo 2008  第4夜 デュオ with コパチンスカヤ A  演奏会

公演から日にちを経ても、なかなかまとまらないのだが、このコンサートにはいくつかの絡みあう要素が隠れており、それこそが本当に大事なものということを示したいと思っているところだ。

まず注目してほしいのは、4つの作品はどれもヴァイオリンとピアノのための作品だが、それらの関係が主従になっておらず、フラットだということである。ベートーベンの「クロイツェル」ソナタは、そうした作品の原点にちかいところにある。後半の曲目はずっと後世の作品であることもあり、もはや両者の完全に独立した表現性がなければ、楽曲そのものが成り立たないまでになっている。とりわけ、この2人の演奏では、そのことがいっそう顕著となる。

例えば、ラヴェルでは、ピアノの弾き崩しが過剰になると、まったくラヴェルらしい作品ではなくなってしまうため、コパチンスカヤのヴァイオリンに自らのもつ独特の表現スタイルを託して、ピアノはなるだけベースを守ろうとする傾向を貫く。これが効き、ラヴェルの演奏は後半の3曲のなかではもっともバランスがよく、従来のイメージを大きく覆すダイナミックな表現でありながら、適度にフォルムも守られており、この日の白眉を成したのである。

このデュオの著しい特長に、相手に対する全幅の信頼、それに基づくシンクロ度の高さがある。兄妹のようだと前回のレビューにも書いたが、あるときは恋人同士のようでもある。特に、サイのような強烈な個性をもったピアニストにとって、完全に自分の表現を託せるようなパートーナーが現れたということは、奇跡にちかい。だが、それは起こった。例えば、サイの自作品のソナタにおいても、コパチンスカヤは多分、彼が思っていたものよりも多くのものを引き出し、作曲者はじっくりとピアノに集中することができた。初演のヴァイオリニストはマーク・ペスカノフということだが、コパチンスカヤの演奏がそれを越えたことは想像に難くない。

最初の記事にも書いたように、トルストイはベートーベンの「クロイツェル」ソナタをもとにして、愛憎の絡み合う夫婦の悲劇を描いた。そうしたイメージを膨らませるような響きの結びつき、その親密さが今回の演奏を貫いていたように、私は思った。だが、男女の恋愛の理想は、ただ馴れ合うだけではない。サイとコパチンスカヤのルーツ、ちかくであって、そうでないものを含む2人のちがい。それらがうまく折り重なってこそ、本当の感動がある。そして、最終的に、それがサイのソナタの終わりで「別れ」によって閉じられるのは、いかにも興味ぶかい。

バルトークの友人であったセーケイの編曲を使い、「ルーマニア民俗舞曲」を演奏したことも、コパチンスカヤの祖国のお隣さんで、トルコからもちかいからといだけでなく、正に、バルトークの「友人」が編曲しているという、そのこと自体に意義があるのかもしれない。

よくよく考えてみると、この演奏会は、様々な関係について、音楽を通じて考えてみるという試みであったようだ。共演者、表現のパートナー、恋人同士、兄妹、夫婦、友人、民族と民族、クラシックとジャズ、正統性と即興性、ヴァイオリンとピアノ、作曲者と演奏者・・・そして、サイとコパチンスカヤ。この2人の録音も出ているが、正直、そこに入れられたパフォーマンスについて、日ごろ、手もとに置きたいような感じはしない。だが、こうしてライヴでみたときに、彼らが「彼ら」としてやったことの意味は、数倍して実感できたのである。

意欲的、かつ、意義ぶかい公演であった。
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