2008/11/25

パユ & ケラス & ラングラメ ザ・フレンチ・コネクション・イン・トウキョウ 2 @王子ホール 11/24  演奏会

ザ・フレンチ・コネクション・イン・トウキョウは、フランスにゆかりの深い世界有数の音楽家を集めた室内楽の小さな祭典といったところか。昨年の第1回は、フルートのエマニュエル・パユ、チェロのジャン=ギアン・ケラス、ピアノのエリック・ル・サージュという顔ぶれだったが、今回はル・サージュが、ハープのマリー=ピエール・ラングラメに交代し、紅一点を添えることとなった。

有無をいわさぬ名演とはいかないが、急ごしらえのプログラムでも、決して消えてしまうことのない個性を、この3人は確実にアピールしている。まずは、ブルッフの「8つの小品」より、1、2、5番を抜き出しての演奏から。原曲は、クラリネット・ヴィオラ・フルートが基本だが、ヴァイオリン・チェロ・ピアノでも演奏できるように書かれているそうで、今回はパユのフルートがヴァイオリンのパートを受け持ち、ピアノはハープに置き換えての演奏である。無理はないものの、やはり、すこしバランスがとりにくいそうな印象は残る。

パユの笛は、いつもながらのフィジカルで、旺盛な運動性を訴えているが、この日は、なかなか思うような演奏ができないように見受けられた。その後、フルートとチェロで、エリオット・カーターの作品が演奏されたが、立奏になって、パユがすこしもちなおす。無伴奏フルートによる「スクリーヴォ・イン・ヴェント」(風のなかで書く)は、中音域でぶら下がるような響きがつづくなか、時折、強烈な破裂音を伴いながら、ユーモラスな発展をみせる。フルートは現代音楽では可能性の少ない楽器とされるが、カーターの機知にかかれば、一見、身動きがとれないこの楽器にも、まだまだ可能性を見出し得る。また、ここで演奏されるカーターの4つの作品は必ず、途中でそれまでの響きが解体され、破裂するような部分をもっており、特にパユは、そこに不思議な共感をもって演奏している。

編成が原曲どおりである、ジョンゲン「三重奏のための2つの小品」(op.80)が、この日の白眉である。やはり、3つの楽器の響きが据わりよく、カチカチと決まっていくのはいい。この作品は民俗的なテーマも踏まえながら、3つの楽器に均等な見せ場が用意されている。素直に、アンサンブルの受け渡しを愉しむ第1楽章に対して、第2曲の思いきったアタックは、生き馬の目を抜く華やかさ。ケラスの弾くチェロの淡泊なベースと、要所で滲み出る歌ごころのふくよかさに対して、パユの笛の音の類い稀なるスピントの強さ、そして、ラングラメのはじくハープの音色のカラフルなこと。コーダの快活な響きは鮮やかで、フレージングの力強さ、積極的で、チャレンジングなアクセントの処理、3本の楽器の多彩なアーティキュレーションで、一瞬も集中力を乱すことができない。思わず、(呼吸を忘れて)息が苦しくなるような演奏だった。

後半は、全員参加によるジョリヴェ「クリスマスのパストラール」から。〈星〉〈東方よりの三賢人〉〈聖母マリアとみどりご〉〈羊飼いたちの入場と踊り〉の4楽章だが、1・3曲と、2・4曲は雰囲気が似ており、対になっているように聞こえた。いずれの曲も、表現力の高い3人の演奏だけあって、楽曲のもつユーモラスなキャラクターが、よく表れていた。

〈星〉は静かな空に浮かぶ広い世界、まさに星屑のなかから選び出された、ひとつの星(=イエスのことか)の輝きが最後、劇的に描かれる。〈三博士〉はすこしひょうきんな感じで、プレゼントをくれるという現代の三博士にちかいイメージか。〈マリアとみどりご〉は、母親が子どもをあやすような、優しい雰囲気を醸し出している。最後は子守唄のようになる。〈羊飼い...〉は、彼らの愉快な踊りが目に浮かぶような演奏だ。

箸休めに、フォーレの3曲が差し挟まれるが、ここでは独奏を含め、ラングラメの妙技にうならされることになる。まず、パユとともに、「幻想曲」。フルートのレパートリーとしては、名品中の名品。この日は、いささか不調気味のパユも、このあたりになると、いつもの柔らかさが帰ってきた。ピアノ伴奏が多い曲目だが、ハープの伴奏ともなると、しなやかで相手の響きに溶けやすいだけではなく、伴奏の響き自体が、とても優美で、華やかに輝く。ハープ独奏の名品「即興曲」の演奏では、まさしく「しびれが来た」。ラングラメの演奏は、様々なハーピストが決め手とするこの曲のなかでも、飛び抜けてしなやかで、「優美」である。「優美」とは「優しくて美しい」と書くが、正に、その優しさが溢れ出た演奏である。アルペッジオの透き通るような清らかさ。ほんの僅かにみせる力みまでも、たおやかだ。

チェロをパートナーに替えての「シシリエンヌ」も、名曲といえるだろう。ケラスの演奏は、すこし節度のある辛口の演奏だった。ハープの伴奏はピアノよりも上品で、モザイク的な適度な硬さがある。一転して、「パピヨン」は外向的な演奏で、ケラスのつくるクッキリした輪郭が、かえって蝶々のしなやかな羽ばたきを想起させる。この曲もいろいろなチェリストが弾く曲だが、ケラスの演奏はとびきりの柔らかさを誇るとともに、細かい音符の動きをおざなりにせず、見るも美しいラインを描きながら追いかけていく。ハープの伴奏もよく、ピアノに比べて、チェロの自由な歌いくちを引き出してくれるかのようだ。ハープの指さばきと、チェロの左手の押さえが、まるで蝶々のひらひら舞うようにも見えた。

最後は、再び3人でラヴェルの「ソナチネ」であるが、構造をしっかりと押さえ、最後を丁寧に締める意図が十分に伝わった。

アンコールでは、さすが耳の良いパユの流暢な日本語のコールで、イベールの「2つの間奏曲」より第2番を演奏し、再び観客を興奮させる。鳴り止まない拍手がつづき、今度はケラスが「ブルッフのbis2番です」とコメントして、この日の最初の曲目をリピートしたが、先程よりはゆったりした演奏で、うまく聴き手をクール・ダウンさせた。オペラのつづいた週末だが、最後は大人の休息という感じで、しっとり締めるコンサートとなった。
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2008/11/25

ゼッダ マホメット2世 ROF 日本公演 11/23 A  演奏会

前回は、作品全体についての考察が中心だったが、今回の上演について、演出とキャストの面から触れておこう。

【演出はつかず離れず】

演出は、ミヒャエル・ハンペだ。大きな枠組みとして、最初の記事で述べたように、すべての困難にも愛は勝るという大テーマを、2つの場面で強烈に印象づける以外は、つかず離れずの中庸な演出だったといえようか。

印象に残ったのは、第1幕、女たちの祈りの場面で背の高い十字架が、象徴的に使われていること。この場面以降、前景に十字架(オスマン軍が来ると彼らの旗に置き換えられる)、後景にあとで問題になる砦が浮かんでいて、このあたりの処理も手堅い。天幕のなかで、アンナとマホメットが向かいあう場面では、サルタンが入ってきた瞬間、目を隠して女中たちが出ていく場面や、サルタンという立場から1人のオトコに戻っていくときに、マホメットが帽子を脱いでアンナに向かいあうところなど、繊細でいい。

最後の墓前のシーンでも、霊廟の内壁や墓の蓋に十字架があしらわれており、なんといっても、この作品の重要な、だが、あまり声高に語られない要素が、やはりロッシーニの信仰心であることを象徴している。大詰め、アンナが自らにナイフを突き刺しながらも、マホメットに抱きつくように倒れる場面は、すこしウェットだが、感動的な場面となる。この死が、父やカルボ、ほかの虜囚の女たちだけでなく、マホメットさえも救ったように、私には思えたのだが、どうだろうか。

【キャストについて】

キャストは、大体において役柄によくあっており、それぞれの持ち味を発揮しやすい場所で、歌手たちが魅力的に歌い演じた。

既に述べたように、レベカの活躍は誰からみても明らかだろう。父親のエリッソは、フランチェスコ・メーリが、もの凄いスピントを効かせて大活躍し、観客を驚かせていた。メーリは確かに凄いのだが、長く聴いていると、すこし飽きが来る(なんと贅沢な耳!)。だが、アーダー・アレヴィ(カルボ役,Ms)が深みを添え、レベカの親密な声が全体を凝縮してくれるので、メーリの驚くべき強靱な声が、何倍にも表現力を増して聴こえる。アレヴィは前半、すこし声のキレが鈍い感じがして、さして美声でもないが、長く聴いているうちに、だんだんと内側に染み込んでくるような、柔らかさをもった表現がある。最後の三重唱で、レベカとデュオになるときの、艶やかな低音が印象に残る。その前の、長大なアリアも聴かせた。彼女については、全体に、よく鍛えられた声という印象をもった。

父娘が芯の強い声質なので、マホメット役のレガッツォはすこし辛かった。新国で「フィガロ」を聴いたときは、もうすこし強い声に聞こえたが、今回は相手が悪かったのだろう。レチタティーボの巧さなど、やはり光るものがあるが、この作品はほかの作品と比べて、レチタティーボの占める重要性は低い。特に、マホメットはそうで、むしろ、短い歌のなかで力強さを表現しなくてはならず、レガッツォ向きの役という感じがしないのだ。新国とは箱の環境もちがうが、やはり、8掛けくらいに聞こえたので、やはり好調とはいえない。特に低音の伸びが彼らしくないし、タイトな部分ではあまり歌いすぎないように、慎重な歌いくちが目立った。

最初の一場面だけだが、コンドゥルミエーロ役のテノール、エンリーコ・イヴィッリアも、良い歌手になりそうな素質を感じた。まだ声に若さが残るものの、身体の支えも逞しそうな強いテノールなので、将来、メーリを追いかけていくような存在に育つだろうか?

【まとめ】

もっと書きたいことがあるが、とりあえず、このあたりで筆を止めておこう。ロッシーニの作品のなかでも、まったく知られていない演目だったが、終演後の反応を見ても、ROF日本公演は、観客の期待に応えたといえるのではないだろうか。私も、主に作品の素晴らしさと、それを引き出したプロダクション全体の一体感から、すこぶるテンションが上がってしまった。ロッシーニは凄い!
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