2008/11/23

広上淳一 チャイコフスキー 交響曲第5番 コロンバス響  CDs

広上淳一が、任期途中にしてコロンバス交響楽団の音楽監督のポストを辞任した。2006年7月、米・オハイオ州の州都、コロンバスのオケに招かれてから2年となるが、あと1年、務め上げられなかったのは、コロンバス響を襲った財政問題と、それに伴う労働争議に巻き込まれたせいだ。

米国経済をぶっこわした住宅ローンに端を発する金融恐慌は、大都市、クリーヴランドとシンシナティの中間にある、中規模のオハイオの街にも打撃を与えた。米国の多くのオケは、民間を中心とするコミュニティの支援によって成り立っている。その地盤からの資金供給が厳しくなったものか、コロンバス響の理事会は、50名ちかくの団員を30名程度に削減、活動の縮小などを決定した。これに対し、団員らは反対を表明し、集団で理事会との争議に入った。広上は現実的な判断をもっていたが、「一緒に美しい音楽を奏でていこうと約束した彼らに、背を向けることはできなかった」と振り返るように、団員側について理事会と対立した。

これは異例なことで、どんなにアーティスティックな演奏力があっても、しょせんはブルー・カラーと見做される楽団員に対し、管理者としての指揮者が公然と味方につくのは、珍しい事例である。例えば、舞台関係者がストに入った公演で、大野和士がピアノ編曲までして指揮を振り、成功させた例は、いわば「スト破り」でもある(批判すべきことではないが)。また、あのムーティでさえ、スカラ座の内紛では、子飼いの団員たちから経営側に色分けされて、批判されている。

結局、労働協約は成立したものの、それは基本的に理事会側の意向に沿ったものであり、結果的に争議のリーダー格となった、広上の辞職が合意の条件となった。もともと、オハイオは共和党の強い地盤(マケインは落としたが)であることからもわかるように、保守的な地域であり、就任時から広上の登用に難色を示す理事もいたという(人種の問題であろう)。そんななかで、この騒ぎに乗じて広上下ろしを企む人がいたとしても、何ら不思議ではない。

米・コロンバス響と、京都市響のトロイカ体制で、人事交流なども行い、大きな枠組みのなかで、活動の発展を狙っていた広上だが、その構想は実現しなかった。広上の代になり、観客動員なども増加していたということで、残念な結果になった。

さて、前置きが長くなったが、DENONの製作によるこの録音は、本年3月に収録されたものである。3日間のライヴから音源が採られるはずだったが、2日目に大雪が降って公演が中止され、残りの2日間で収録したという。昨今、省コストのライヴ盤CDは珍しくないが、この録音は広上と、楽団員・聴衆の結束を示すナマの資料として、そうであることの意義があるだろう。残念ながら、その絆は強制的に切られてしまったが、この一枚はせめてもの思い出になるかもしれない。

演奏は広上らしくオーソドックスで、細かい部分を練り上げたもので、特に独特のリズムの揺れと、アーティキュレーションの繊細なコントラストが魅力的だ。就任直後、ストリーミングでベートーベンを配信していたのを聴いたが、それと比べると、オケに長足の進歩があったことを窺わせる。さすが広上、というところだろう。コロンバス響は歴史こそあるものの、いまは若い団員が多いのではなかろうか。広上のタクトに素直に反応して、真っすぐな音楽を聴かせているのが清々しい。

前半もいいのだが、後半2楽章に、いかにも広上らしい音楽の明るさが溢れている。折しも、この演奏会の直前、広上の父親が亡くなり、終演後は黒いリボンをかけたワインが、マエストロに贈られたというが、そういう暗さは微塵もない。否、第1楽章の冒頭には、葬儀に帰ることなく、指揮を全うしたマエストロへの感謝が、不思議な緊張感となって音に詰まっている。だが、そうした硬さは2日目に降った大雪が太陽に溶かされていくように、徐々に解消し、そこに力強い一輪の花を咲かせる。第4楽章は、あの広上スマイルが目に浮かぶような、活き活きとした演奏だ。金管が元気よくテーマを奏でだすと、いかにもアメオケらしい響きになるのだが、弦や木管もその瞬間ごとに、自分をぶつけるようにモチーフを拾っていくのがわかり、感動的な演奏となる。

コーダの誇らしい旋律は、どうだ、見てくれ・・・という瑞々しいオケの主張を聴くようで、胸が躍る。痛快な広上のタクトにつけて、コロンバス響の団員たちの自信に満ちた音楽の運びが聴かれるだろう。広上は、以前にも寒いところで仕事をしていたが、大雪が降ったというコロンバスも、きっと冬は寒いのだろう。そんな寒さに、ぱっと火を灯すような温かい演奏となっている。終演後のオヴェーションは、温められた聴衆たちの、こころからの興奮を端的に示す。

楽団員から熱烈な指示を受け、こうして聴衆からも歓迎されたマエストロの辞任は、腑に落ちない。辞任といっても、それは実質的に一方的な解任であり、クビでは広上のキャリアを傷つけるからということで、辞表を出させたのだろう。このCD録音は、明らかに、広上とコロンバス響の明るい未来を描き出しているのに、実際の世の中では、それとは反対のことが起こったのだ。

日本の指揮者は運が悪いというべきか、佐渡のコンセール・ラムルー響、阪のアイゼナッハ歌劇場など、音楽外の問題で、楽団(劇場)が傾いてしまうところに遭遇し、本当に残念だ。広上はコロンバス響の活動をベースに、京都市響の活動などを構築していたので、今後、どういう影響が出るのかには不安要素もある。再び就職活動をしなければならないとなると、広上の活動も逆に制限されてくるだろう。広上は言う。「音楽を愛する心は決してお金に代えられるものではない」。だが、音楽をするにはカネがかかる。皮肉である。
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