2008/11/13

読響も新シーズンのプログラムを発表 A  演奏会

さて、前回は指揮者に焦点を絞った話をしたが、プログラムそのものに視点を移してみようと思う。

【記念年にこだわったプログラム構成】

そこで気づくのは、アニヴァーサリー/メモリアルに当たる作曲家の作品が、異常に多く選ばれているという点である。試みに、列挙してみよう。

〈2009年〉

○黛敏郎(生誕80年)・・・涅槃交響曲
○R.シュトラウス(歿後60年)・・・町人貴族、家庭交響曲
○ホルスト(歿後75年)・・・惑星
○メンデルスゾーン(生誕200年)・・・記念プロ U〜W
○レスピーギ(生誕130年)・・・ローマ三部作
○ヘンデル(歿後250年)・・・王宮の花火の音楽
○シュニトケ(生誕75年)・・・オラトリオ「長崎」ほか

〈2010年〉

○バーバー(生誕100年)・・・交響曲第1番
○マーラー(生誕150年)・・・記念プロ T〜U
○ショパン(生誕200年)・・・ピアノ協奏曲第1番
○シューマン(生誕200年)・・・交響曲第1番

安直といえば安直、しかし、ここまで徹底すれば、なにか見えてきそうな気もする。例えば黛敏郎とR.シュトラウスに注目してみよう。黛が生まれてから80年、R.シュトラウスが亡くなってから60年だから、黛が生まれてから20歳になるまで、R.シュトラウスは生きていたということだ。そして、その作品は片や「涅槃交響曲」、片や「家庭交響曲」。生きているうちは常に新しさを追った黛と、いつも後ろを振り返っていたR.シュトラウスの人生が20年間、クロスオーヴァーしている。

また、黛ばかりで恐縮だが、彼とレスピーギというと、随分と遠い時代の人だと思いがちなのであるが、わずか50年の差でしかない。この短い間に、音楽がどれだけドラスティックに変化してきたのか、この「空間」を想像するだけでもよくわかるというものだ。

これまで、キラー・コンテンツであるモーツァルト・イヤーを中心に、生誕何年/歿後何年ということが、主に商業的に利用されてきたものだが、こうしてこだわって並べてみると、音楽史の一筋縄でいかない迷走を見ているようで、興味深いものがある。

【プログラムはバランス重視】

内容自体は、現代作品が少ないことは海外のオーケストラと比べて見劣りするが、スタンダードな曲目だけではなく・・・

@有名な作曲家ながら、銘品に隠れて注目されていない作品。

 ex.)
 ロジェヴェンのチャイコフスキー・プロ
 シベリウスの交響曲第1番
 ドヴォルザークの交響曲第1番
 メンデルスゾーンの交響曲第1番/第2番

A歴史の波のなかに埋もれがちな作曲家の作品。

 ex.)
 バーバー 交響曲第1番
 ヒンデミットの作品
 
B軽視されている作曲家の作品。

 ex.)
 シュニトケの作品
 スッペの喜歌劇の序曲

これらがうまく混ぜられているいる点は、素直に評価すべきだろう。しかし、放送オケであることもあり、ある程度、バランスを重視したプログラムであるのは止むを得ない。

珍しいところでは、現代のハイドン的作曲家、セゲルスタムが指揮者の役得で、彼の198番目の交響曲を自作自演する。

【ソリストは注目度低い】

ソリストは、少し控え目な印象だ。すでに触れたマイヤーとルイサダに加え、ピアノのアンドレ・ワッツ(ベートーベン)とチェロのウィスペルウェイ(ヒンデミット)、それに、モーツァルト・シリーズを継続するホーネックを除くと、パンチ力のないライン・アップとなっている。

ただ、そのなかには、知名度こそ十分ではないものの、デヤン・ラツィック(ラフマニノフ)、イリナ・メジューエワ(チャイコフスキー)のような才人も含まれている(ただし、彼らに向いているとは思えない曲目なのではあるが)。ヴァイオリンのリザ・フェルシュトマンは、オランダでは非常にステイタスの高い音楽家であるようなので、本邦では無名であるが、注目したい。彼女は、ニュー・イヤーのコンサートで、ドヴォルザークのコンチェルトを演奏する予定だ。

【まとめ】

スクロヴァチェフスキ、カンブルランがいないときは、ヘンゼルとグレーテルの兄妹よろしく、下野が留守番中に大暴れ。あとは各客演の創意に任せる、従来型のスタイルは変わらない。やや保守的ではあるが、一年を通して楽しめそうなプログラムにはなっている。1本ずつのコンサートの構成がガチャガチャしている回が多いなどの問題点はあるが、やたらと批判的に見ても仕方あるまい。少なくとも、都響、東フィルよりは、興味深い1年と言えそうに思う。

さて、そうこうしているうちに継続案内が来たが、どうしたものか・・・。
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