2008/11/2

スダーン シューベルト 交響曲第2番&第3番 東響 シューベルト・交響曲ツィクルスV 11/1  演奏会

スダーンと東響の快走が止まらない。シューベルトの交響曲ツィクルスも、今回が3回目となり、残りは「未完成」だけなので、これでほぼ完遂したといっても過言ではない。このコンビで1−6番を聴いてきたわけだが、どの演奏も後々まで語りぐさとなりそうな立派な演奏であったことに加え、シューベルトの交響曲に対するイメージをも、大きく変えたことは特筆に価する。

それにしても、多少のメンバーの入れ替わりもありながら、どのローテでもスダーンの手足となって動くことができるようになった東響は、底力がついてきたと言えるのだろう。なお、前回は大谷コンマスだったが、今回は1&4番を演奏した初回に、大成功を収めた高木コンマスが帰ってくる。

【ルケシーニは、華麗な代役だった!】

さて、交響曲にサンドウィッチされたコンチェルトも、今日は素晴らしかった。ベートーベンのピアノ協奏曲第4番は、私事ながら、筆者がこよなく愛する1曲だ。独奏は当初発表のピアニストのキャンセルにより、同じイタリア人のアンドレア・ルケシーニが選ばれた。代役ということになるが、カシオーリのキャンセルは早めに決まっていたので、ピンチ・ヒッターという感じではない。

そのルケシーニが、素晴らしいピアニストだった。弾きだしの演奏で「おっ」と思ったが、そのあとをオケが継ぎ、再びピアノが入る部分で、その印象は確信に変わる。これは、ベートーベンを弾くのに申し分のないピアニストだ! どんとした落ち着きがあり、薫るように芳醇な味わいをもつ、ゴージャスなピアノの響き。ヴィルトゥオーゾ系にありがちな弾き飛ばしなどあり得ず、不用意なデフォルメもなく、ゆったり堅固にフォルムを織り上げていく「だけ」。それなのに、噛みしめれば噛みしめるほど味が出る。

第1楽章後半のカデンツァは、この曲に込められたベートーベンの、奥深い情念を一気に捉えたものだった。一方、テクニックの面では、トリルの美しさが無類。構造をしっかりと形にしていくオーソドックスな演奏だが、必要な場面では、ドラマティックな部分がさっと前面に躍り出てくる。また、このパートに限らないが、慣習的にアクセントがつけられるような拍を見なおしており、平たく弾いている部分が散見されるので、「あれ?」と驚いた聴衆も少なくないはずだ。

カデンツァの部分をさらに掘り下げたような第2楽章は、通常よりも悲劇的な演奏になっている。ちょうど「英雄」交響曲の〈葬送行進曲〉を思わせるような雰囲気があり、重いオーケストラの合間に、弱々しくも確実な足取りを刻む、冒頭のピアノ独奏は強烈に印象に残っている。これが、帝国化したフランスの歩みに抵抗し、仏軍将校の目前での演奏を拒否したエピソードに関係があるのか、歌曲「希望に寄す」を献呈したヨゼフィーネとの間の、悲しい恋に関係しているのかどうかは、定かではない。だが、何かやりきれないものを叩きつけるかのような雰囲気がある。

通常、後半の2つの楽章は切れ目なく演奏されるが、今回は第2楽章の雰囲気が素晴らしく、それだけで完結するだけのものがあったため、あるいは、いったん間を置くべきかとも思ったが、スダーンはあくまでアタッカを要求した。そうすることによって、優美な第3楽章に絶えず翳が寄り添うことになり、その判断はやはり正しいと思われた。そして、そうであるからこそ、ロンド・フィナーレがコーダに向かっていくまでに、その重みを乗り越えていくときの歓喜が一方のものではなくなるのだ。

こうして、代役・ルケシーニの演奏は、カシオーリの不在を惜しませないような成功に終わった。しかも気が利いているのは、アンコールとしてシューベルトの即興曲 op.90-2 を演奏したことである。シューベルトにピアコンがないのは残念だが、彼なりに東響のシューベルト・シリーズに花を添えてくれたのだろうか。

【シューベルト 第2番も大絶賛!】

さて、メインは、シューベルトの交響曲第2番である。この曲は、今日からみても斬新と思われる部分が多い。モーツァルト、ハイドン、ベートーベンの影を追いながらも、この時期のシューベルトが、いかに豊富なアイディアを胸にしていたかは、既にこのシリーズで明らかとなってきてはいるが、この2番は極めつけだろう。私はシンフォニーを聴くというよりも、非常に巨大なウィンナー・ワルツを楽しんでいる感じがした。それだけお洒落で、舞踊のイメージが丁寧に織り込まれ、とろけるように甘い、しかも、たっぷりのユーモアと、すこしの皮肉を含んだ作品だったということである。

管主体の透明な序奏を、まずは丁寧に作り上げる。この交響曲シリーズでは、ストーリー・テリングを主導する弦・・・外枠をつくる金管・・・とともに木管への目配りが効いている。しかし、全体としては、やはり弦が骨組みの中心となる曲である点は、木管にストーリー・テリングまでも委ねた、前回の6番の演奏とは異なる点だ。

第1楽章の無窮動は緊張感に満ちていたが、第2楽章の変奏形式も耳に新しい。おばあさんが孫に語りかけるような優しいテーマから、ぞっとする、おぞましい、本来の意味での「メルヒェン」を思わせる響きが立ち上がる部分は、わかっていても、本当にドキリとする。最後、甲藤さちの吹くフルートが、あやしい色気を放って残るのも印象的。全体としては、第1メヌエットという感じで、輪を描き、ワルツの原型となるような軽妙な響きが、シューベルトのいる華やかなウィーンの社会を想像させる。

前の楽章の印象的な部分を押し出しながら、ガツガツと始まる第3楽章は、徐々に第2メヌエットとしての印象が広がっていく。この楽章では、ヴァイオリンとフルートのたおやかな二重奏が織り込まれ、それが全体の響きのなかに、すっと溶け出していくような構造が面白い。高木コンマスの独奏は、抑えながらも、ゆったりと伸びていく淑やかなもので、素晴らしい。この楽章がおわったあと、良い演奏には必ずなにか応えるスダーンが、彼のほうを向いて熱い視線を投げていたのは、笑える。ちょっぴり照れる、コンマス氏!

最後の楽章では、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ2本(以上だと思う)による室内楽が入っていて、これがまた、熱い紅茶に放り入れた角砂糖のように、甘くとろけていく。全体的にはギャロップ・ギャロップ、ズンタララの拍子で畳み掛ける。一体感のある演奏で、アーティキュレーションが美しい。素晴らしすぎて、ほとんど言うことがない・・・というか、言うことがありすぎて書ききれない。とりわけ、この曲では弦の扱いに格別の思い入れがあるようで、例えば終盤の部分でも、チェロをガツガツ鳴らして厚いビートをつくり、アーティキュレーションの核にもってきているのは、なるほどと膝を打ったところだ。

終演後、2番の親しみやすさにはフロアーからも大きな支持が寄せられ、もちろん、演奏の素晴らしさについて、熱心なオヴェーションが続いたことは言うまでもない。

この曲に関しては、どのパートもよく演奏していて、いちいち書くことができないほどだ。室内楽もやった弦五部のほかでは、弱奏でも柔らかい音をキープしたホルンのハミルや、もはや名物奏者となったマルティのトランペット輝かしき音色。甲藤の艶やかで喰いつきのよいフルート。ヌヴーのクラリネットの慎ましやかな響き。オーボエのベテラン・池田肇は、前半の曲目ではやや艶がなかったが、後半は頑張った。なにしろ、杉浦首席が引退してから、いまの東響はオーボエ首席が一人だけだ。早くオーディションの結果が出て、良い奏者に席についてくれればいいのだが。福井蔵のファゴットは、いつも安定感がある。

出てくる音とは関係ないが、ハミル、ヌヴー、福井のスキン・ヘッド軍団は、見かけからして微笑ましいものがあった。

【3番は管による切り替えが興味深かった】

第3番も、非常に良い演奏であった。立ち上がりは、ちょうど週のはじめのほうに聴いた古楽アンサンブルの響きが身体に残っていて、私のほうが切り替えられない感じだった。だが、オケのほうも、弦のボウイングなどがすこし硬い印象だ。徐々に調子を上げ、第2楽章以降はぐっとコンディションが上がっていく。

面白かったのは、すべての楽章で、弦による切り替えが印象的に使われていることだ。例えば、第1楽章ではカリカリするような、センシティヴな響きが構造のなかに埋め込まれているが、パウゼからクラリネットの響きで逆転し、たおやかな響きとなる。1〜3楽章では、クラリネット(ヌヴー)、最後の楽章はオーボエ(池田)を中心とした切り替えがおこなわれる。

メヌエットまでは妥当な解釈であるが、終楽章のプレストは、本当に速くするだけの単純な解釈で、それはそれで妥当性もあったが、やはり、すこしフレーズが潰れる部分があり、音色も物足りない部分がる。この曲に関しては、まだ工夫のしようもありそうなもの。一方、後半、この流れを遮るようにのんびりした響きが混ざりこみ、プレストの基本的な流れと対比される部分の面白さは、この率直な解釈でわかりやすい。

いずれにしても、このテンポでも、ほとんどつけきっていた東響のアンサンブルは、ここのところの、楽団の驚異的な成長を印象づけるものだろう。

【まとめ】

3番の冒頭で、主和音を勇壮に鳴らすベートーベン・スタイルではじめ、そのベートーベンによる、「独創的な」コンチェルトを真ん中に置く。ルケシーニが、アンコールでシューベルトへの流れを継ぎ、ベートーベンの1番、3番、5番、「プロメテウスの創造物」序曲などを想起させる第2番へ。この演奏会は、シューベルトの交響曲をめぐる今回のツィクルスのなかでも、とりわけ引き締まった内容をもっていた。おまけの「未完成」と「ロザムンデ」を残しているが、全交響曲ツィクルスは、既に一定の成果をみたとしても、早計ではあるまい。

帰りのラウンジを歩いているとき、シューベルトは聴きやすい、また聴きたいという女性の話し声が耳に入ってきた。これこそ、スダーンの望んだ反応だろう。しかし、彼が思っていたよりも、このシリーズはずっと実りの大きなものとなったのかもしれない。聴衆にとっても、楽団にとっても!

なお、聴衆サーヴィスの一環として1000円で限定発売されている、このシリーズのプライヴェート録音は人気が高く、1&4番は既に売り切れ、サントリーホールに持ち込んだ第2弾の分もすべて売れたということだ。私は、ムーティ&ウィーン・フィルの全集をもっているのだが、正直、スダーン&東響盤のほうが、はるかに聴きごたえがある。次回は、いよいよ最終回となる。

なお、ヴィオラにもうひとり、仲間が加わった。鈴木まり奈は、2004年の東京音楽コンクールの優勝者。楽団に対する影響力の高い大友直人が関わるだけあり、ここのところ、このコンクールから東響に入ってくる人が増えているようだ。また、高木コンマスのお宅では、待望の長男が誕生ということだ。ハレルヤ!


【プログラム】 2008年11月1日

1、シューベルト 交響曲第3番
2、ベートーベン ピアノ協奏曲第4番
 (pf:アンドレア・ルケシーニ)
3、シューベルト 交響曲第2番

 コンサートマスター:高木 和弘

 於:サントリーホール
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