2008/9/14

二期会 エフゲニー・オネーギン コンヴィチュニー演出 9/14 @  演奏会

東京二期会の公演で、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」を観てきた。今回は、ペーター・コンヴィチュニーが来日し、2005年の「ティート帝の慈悲」以来の演出を担当するのが話題である。プロダクション自体は10年以上も前にライプツィヒでプレミエを迎えたもので、数箇所で上演した歴史もあるカスタマー・プロダクションというべきだが、それでも演出家自身が来日していることもあり、少なくとも日本だけの舞台をつくるという意思が感じられる。

【演出はプーシキン原作を織り込んで】

さて、今回のプロダクションは、コンヴィチュニーとしては無理な解釈も少なく、最後の幕でグレーミンが演説をぶってくれるため、その必要もなく、プーシキンの原作に則った素直な演出になっている。だが、もともとがシニカルなプーシキンの作品でもあり、もともとチャイコフスキーの台本もかなり端折って、筋を簡易にしているため、オペラの「オネーギン」しか知らない人にとっては、ちょっと意味のわかりにくい部分があったかもしれない。

例えば、管弦楽曲として単独でも有名な、第3幕冒頭の「ポロネーズ」の扱い方が話題になっている。コンヴィチュニーはここを、第2幕最後の決闘の場から連続させ、しかも通常であれば、グレーミン公爵家のパーティの華やかな幕開けを飾るはずの音楽を、レンスキーの弔いとオネーギンの嘆きのために使って、着飾った紳士淑女などはひとりも出さない代わりに、エフゲニーにパントマイムを演じさせ、レンスキーの死体とダンスまで踊らせたのである。この奇妙な「読み替え」に戸惑った人があるとしても、何の不思議もない。だが、原作(といっても訳本)に当たってみると、レンスキーを射殺してしまったあと、プーシキンは全編のなかでも特に印象的な感情の昂揚を伴う、オネーギンの嘆きを長々と織り込んでいるのだ。次は、その一連の嘆息を結ぶ部分である。

 だがそれはどうあろうとも読者諸兄よ
 詩人でもあり物思わしげな夢想家でもある
 この若い恋人は いたわしや親友の
 手によって殺されたのだ!

そして、おもむろに転換を図り、「ここに一つの場所がある」とはじまって、レンスキーの墓碑の描写が来たあと、僅かに後日談が語られる。さらに、死にいく若い詩人への追慕に引っ掛けて、「脚韻」への別れが語られるという重要な部分が来ている。さすがに、音楽と劇がそこまでカヴァーするのは難しいだろうが、かの名高いポロネーズを捧げることで、オネーギンの嘆きまではカヴァーできると考えたコンヴィチュニーのアイディアには、一本とられた。こうして聴くと、あの激しいポロネーズがオネーギンの苦しい胸のうちを描くのに、いかに有効かがわかるだろう。少しコケティッシュではあれ、レンスキーとの舞踏には涙を呑んだものである。

歌劇の「オネーギン」は、尺の問題もあって、オネーギンとレンスキーの友情がいかなるものかが十分に描かれないまま、決闘の場に流れ込んでいく。そして、レンスキーが死んだあと、ほんの1分弱の音楽だけが、この親友の痛ましい最期を偲ばせるにすぎない。確かに、チャイコフスキーがこのポロネーズを、そんなやり方で使うために用意したとは思えないが、コンヴィチュニーはよく原作を知っていたというべきだろう。チャイコフスキーが泣く泣く落としたであろう部分を、作曲者自身のアイディアに少しだけひねりを加えるだけで、見事に補ってみせたのだ。そして、一度だって、プーシキンの原作を読んだことがある人ならば、コンヴィチュニーのこの機知には打ちのめされたことであろう!

【手際の良いスピーディな演出】

いろいろ言う人もあるが、やはり、コンヴィチュニーの機知は、随所に効果的だったように思う。もちろん、すべてではない。農民たちの合唱のところで、なぜか木が立つ部分とか、冒頭の部分で舞台上にあがっていたハープのつれない使い方のほか、左右のバルコニーに現れたグレーミン夫妻と会衆たちの歌は、ちょうど上に座った観客にとっては、迷惑この上ないものだろう。

しかし、序奏から姉妹の二重唱、そして、母親と乳母が加わっての四重唱までで、手早く姉妹の対比を進めてしまった部分の手際の良さ。深紅の幕を使った、繊細かつファニーな心情描写の巧みさなど、思わず膝を打つ部分が多かった。例えば、第3幕でグレーミン邸の広間から応接間に移る場面では、タチアーナが幕を一挙に引くことで空間が変わり、転換になるのだが、あそこでサワサワと波打つ幕の動きだけで、ぐっと胸を打つ表現になるとは驚きだった。つまり、この幕の動きが、久しぶりの再会に揺れ動く2人のこころの波に通じているのである。

【上流階級の見栄】

さらに、メイン・ストリームとなる主要登場人物=4人(オネーギン、タチアーナ、レンスキー、オルガ)の動きが、微妙に強制されたものであることも、うまく描いている。そのことを、作曲者がどれだけ強く意識したかは、すこし見えにくい。だが、原作のプーシキンに関していえば、その要素はまったく不可欠だ。いわば上流階級の見栄のようなもののために、オネーギンはタチアーナに近づくことになり、レンスキーは決闘を申し込み、オネーギンも断れない。タチアーナがモスクワ(オペラではペテルブルクで結婚しているが、原作ではモスクワの社交界で見初められる)に嫁に行くのも、もはや、タチアーナの後戻りができないのも、上流階級の見栄によって左右されている部分が、半分以上なのだ。コンヴィチュニー演出では、プライヴェートなはずの行為にも、必ず会衆の目がある。例えば、タチアーナの手紙に応え、オネーギンが少女をたしなめる場面。決闘の場面も。最後、2人が別れを決断する場面まで!

例えば、決闘の場面では、原作では4人だけの場面だ。つまり、当事者のオネーギンとレンスキー、それぞれの立会人であるギヨーとザレーツキーである。ところが、今回の上演では、この決闘をみんなが目撃している。そして、あろうことか、打ち合いの場面では2人が会衆によってもみくちゃにされ、おしくらまんじゅうの中から、レンスキーから放り出されるようにして倒れてくる。原作では、互いに32歩ずつ離れたあと、まずは5歩、次いで4歩と差を詰めたとき、オネーギンの発射した銃弾がレンスキーを捉える。解説文を寄せた一柳某はその点について触れ、臆面もなく「正しい決闘の仕方」などと題した文章を示している。彼女は得意げに、当時の拳銃の精度のなさ、決闘が結局は勝負つかずに終わったことが多いという知識を持ち出し、オネーギンは殺すつもりなどなかった、互いに相手は死ぬはずがないと思っていた、相手を殺そうと息巻いているオネーギン像など間違いだと力説する。その執筆意図を嘲笑するかのようなコンヴィチュニーの演出。これは、何なのだろうか。それは結局、「正しい決闘」のあり方はともかく、ここでは誰がどうしたって、どちらかの血が流れるように、誰かに強制されたという表現なのではなかろうか。

さて、そのことを頭に入れて、オネーギンとタチアーナの別れのシーンをみてみよう。普通は、思いきったタチアーナが、哀れなオネーギンを残して、颯爽と去っていく。絶望のオネーギンが強く嘆いて、幕・・・という感じであろう。しかし、コンヴィチュニーはそんな気取ったタチアーナの格好よさを犠牲にして、最初の幕で彼女がオネーギンに差し出した、あの大きな手紙を粉々になるまで小さく切り裂き、最後の音が切れても、しばらくむしり続けるという醜態を演じさせている。

タチアーナが悔しそうに手紙を裂くなか、幕は開き、そこには舞踏会の客たちがきれいに整列して、見張っていた。最後の独白を力強く唱えながら、オネーギン自身もその列に加わっていく。そして、タチアーナはずっと、手紙を裂き続けているのだ。もしも彼らがいなければ、タチアナはオネーギンの哀願に応えてしまったかもしれない、というぐらいの解釈が読み取れる。このアイディア自体はやや奇抜でもあるが、しかし、プーシキンらしいシニカルさを象徴しているようにも思った。

【時代遅れだったプーシキンの文体】

実は、プーシキンが問題にしたかったのは、ここにみる若者たちのシニカルな恋愛模様などではない。彼は終止、文体を問題にしている。この作品を良く知っている者ならば、誰でもよく知っているように、プーシキンはこの時代、既に「遅れている」と思われた、古色蒼然たる脚韻ある定型詩を書いた(ロシア語はわからないが、木村彰一の訳はその点をうまく拾っている)。彼は、自らの遅れを強く意識しながらも、自分にはそれしかないと決めて、この大勝負に臨んだのだ。プーシキンが、最初の章をこのように結んでいるということは、知っておいて損はないはずだ。

 生まれたばかりの作品よ
 では行くがいいネヴァ河のほとりの市(まち)へ
 獲てくるがいい誉れの貢ぎを曲解を
 ののしり騒ぐ非難の声を!

これは、自分がこうした文体で書くことを、時代が非難しないわけはないという予見に基づいている。のちにR.シュトラウスがそんな作品を書いたように、プーシキンも、古い時代に恋々とした詩人だった。「ばらの騎士」の元帥夫人が昔を偲ぶように、オネーギンもタチアーナも昔を懐かしんでいる。否、若いレンスキーでさえ、「どこへ ああどこへ去ったのか/わが春の黄金の日々よ」といって、ほんの数日前までは穏やかだった人生を懐かしんでいるではないか。だが、時は過ぎ去っていく。押し戻すことはできない。古い時代にしがみつく者は、嘲笑われる。タチアーナの裾にしがみつくオネーギンさながらに。だが、プーシキンは、そうした自分の文体に誇りを持っている。

オネーギンは第1章から徐々に発表されていったが、最後の第9章が完結したのは1832年。5年後、プーシキンは自らの詩に描いたレンスキーさながら、細君の浮気を疑って、ジョルジュ・ダンテスという軍人に決闘を挑み、敗れて死亡している。これも半ば、周囲の目が、疑惑に目の曇ったプーシキンの引っ込みをつかなくさせたような印象を与える。プーシキンの失態は、出版物などで格好の話題となっていたようでもあるのだ。そういったプーシキンの生き方、その執筆にかける力強いプライドが「オネーギン」には直裁に滲み出しており、それがまた、この舞台を制作するコンヴィチュニーの創意を掻き立てている。このプロダクションを組むに当たって、彼としては大人しすぎるというほど何も付け加えていないのは、多分、そのためではないかと思う。

さて、まずは演出の基本的なコンセプトに注目して書いたが、具体的な音楽の出来やもうすこし詳細な内容について、次のエントリーで書き加えていく予定である。それにしても、演出がきりっと締まると舞台の進行が早い。あっという間に、3幕が終わってしまった。なお、管弦楽は、アレクサンドル・アニシモフ指揮する東京交響楽団が務めた。コンマスは、母国の作品とあってニキティンの担当である。
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