2008/9/21

ペーター・レーゼル ピアノ・リサイタル ベートーベン ピアノ・ソナタ全曲演奏会 T 9/20 A  演奏会

ペーター・レーゼルのリサタルについてのつづき。前日の記事に続き、今度は29番「ハンマークラヴィア」についての感想を書きます。20番のシンプリシティ、17番の精緻な構造美を踏まえて、29番では、思いきってダイナミックの表現をとったレーゼルでした。例えば、第4楽章では、まるでバッハの管弦楽付きコラールを聴いているような、空間の広がりを感じるような演奏が展開しました。コーダの圧倒的な印象は、この大曲を閉じるにまったく相応しいものです。

一方、前半はテンポも速めで、いささか意表を衝かれました。第1楽章のアレグロから第2楽章のスケルッツォまで、揺るぎのない流れで進みました。「勢い」や「激しさ」が感じられる一気呵成の演奏ではありますが、それらは単なる見せびらかしの技巧性とは一線を隠し、むしろ、構造的なものを強調するように、逞しいラインが力強く伸びていくのです。太陽の光をいっぱいに受けて、元気に伸びていく植物の蔓のように、フーガのラインが活き活きと伸び、絡んでは解けていく。こうしたスタンスが終楽章の演奏にも繋がっていくわけですが、ここで先人・バッハの遺した見事な対位法の輝きに、ベートーベンが接近していくときに、彼独特の思いきった筆づかい、鋭い和声の切れ味といったものを武器としていることは、レーゼルの演奏で明らかであります。

例えば、第1楽章では、ぶつかる和声を隠そうともせず、ガツンと叩きあわせて、石と石をぶつけあわせて道具とした、石器時代のような野性味を印象づけています。こうしたものは、バッハのなかにありそうで、実のところ、あまりないのではないでしょうか。それはラルゴによる冒頭部分の、素っ気ない弾きっぷりにも現れているのですが、「ハンマークラヴィア」にこのような弾き方があるというのは、ひとつの発見であったと思います。

スケルッツォも揺るぎない流れですが、中間部から再現に移るブリッジでのゴチャゴチャが、なんとも印象的です。この部分に頂点があわされ、その後の再現はむしろ素っ気ないほど。千切れるような弾きおわりもユニーク。アダージョ・ソステヌートは引きずらず、リラックスした雰囲気が特徴となります。全編における肝とも言いたくなる部分であり、ベートーベンの「精神性」を表現するには、もってこいの部分です。ところがレーゼルは、まず和声のほのかな甘さを細やかに拾いつつ、響きの睦みあいを丁寧に表現していく。20番で印象づけたシンプルな構造の強さ。それを印象づけながら、そこに染み出していく、ベートーベン後期に独特の渋みが、最後に搾り出されます。

全体において、胸のすくような技巧性が遺憾なく発揮された演奏であり、この曲のもつ難しさを真正面からカヴァーして、なかなか真似のできない完璧なパフォーマンスをみせたレーゼルだったといえそうです。演奏会をとおしても、レーゼルの発するピアノの清々しい響きは、なんとも印象的。そして、楽曲(プログラム)の構成も、よく練られたものといえそうですね。この演奏会の模様は、キングレコードから、この冬からリリースされる予定ということで、これは楽しみです。なお、今年は来週のKSTとの共演を挟み、10月にもう1度リサタルがあり、来年は10月に再来日することが決まっています。私は、来週の「皇帝」を楽しみにしています。
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2008/9/21

ペーター・レーゼル ピアノ・リサイタル ベートーベン ピアノ・ソナタ全曲演奏会 T 9/20 @  演奏会

紀尾井ホールで、ペーター・レーゼルのリサイタルを聴いてきました。このシリーズは4年越しで32曲、ベートーベンのソナタ全曲を演奏することになります。ここのところ、日本ではこの手の企画が多いのですが、レーゼル自身にとっては、こうした全曲通してのシリーズは初めてとなる模様です。日本人もやっていますが、ベートーベン全曲だけでも、他にオピッツのシリーズが進行中、ティル・フェルナーのシリーズもこれから始まるので、ベートーベンのソナタの勉強をするには、いま、日本ほど素晴らしい環境はないでしょうね。

今回のレーゼルによるツィクルスは番号順ではなく、調性を関連づけながら、聴き手とのコミュニケーションも考えた形で、プログラミングされたらしく、既に初回から第8回までの構成が発表されています。第1回は29番「ハンマー・クラヴィーア」をメインに、20番と17番「テンペスト」が前半に置かれました。プログラム・ノートによれば、レーゼルは20番と29番を対照物として、「もっとも簡単なソナタと最もややこしいソナタで始めるのはいいアイディア」であると述べたそうです。ただ、それだけではなく、この3曲を演奏することで、ベートーベンを弾くということは、ハイドン、モーツァルト、そして、何よりもバッハを弾くことであるという、その原則をしっかりと印象づけることも狙っていたのではないかと思います。

まずは、20番(ト長調)。2楽章で構成された小規模な作品ですが、モーツァルトのように純粋で、無駄なものの少ない曲想を、レーゼルがしっかり音楽にしていきます。もともと表情のゆたかではない楽曲ですが、レーゼルは弾きだしからぱっと耳を惹く美音で、さらさらと奏でていきます。まず、この音の清らかさが図抜けています。ツィメルマン、エマール、ブロンズ、ケフェレック、岡田など、これまで聴いてきたどのピアニストにも増して、レーゼルのピアノの響きの清澄さは目立つものでした。

17番(ニ短調)と29番(変ロ長調)は、一般的のアプローチとは逆に、17番で構造的にどっしりとした演奏を、29番では情熱的で駆け抜けるような演奏に徹したものと思われます。そして、これらの曲目では、対位法的な響きが効果的に生かされ、それぞれの曲目にオリジナルな形で埋め込まれていることが、はっきりと印象づけられたのです。

私がもっとも深い感銘を受けたのは、ニ短調のソナタです。しばしば、鼻息荒く前のめりに演奏されるような激しさのある曲ですが、レーゼルは、そうしたものには踊らされません。ベートーベンにつきものの「精神性」などは、彼にとっては後からついてくるものでしかない。そうした一切の固定観念を封じ込めて、レーゼルが相手にするのは芸術=音楽そのものでしかなかったのです。序奏のラルゴの音色の深みからして息を呑むものですが、アレグロで急にテンポを上げず、じっくりとフォルムを象っていくときの風格が素晴らしかった。その後は、信じられないほど丁寧に拾い集められ、粒だった響きが、しかし、少しも堅苦しくなく、優雅なレガートを成しつつ、上品に構造が浮かび上がっていくのです。

すこし悩むような即興的なブリッジから、次の主題が生み出されるときには、正しく、いま楽曲が生まれたかのような、ナマの逡巡が追体験できます。一方、歯切れのよい強音で率直な句点を打つときの、思いきった表現も胸を打ちますね。ひとつひとつのパーツが、磨き上げられていて、その組み立ては自然そのものなのです。ト長調のソナタで端的に示したように、彼のピアノには基本的に、見せびらかすような要素はほとんどありません。そして、指のまわりはもちろんのこと、強弱、フレージング、リズム、テンポ・・・すべてが完璧にコントロールされているようでした。特に、ほとんど目立ったアクションを加えることなく、きれいにコントラストのついていく強弱の調節については、驚きを禁じ得ません。

また、楽器の響きも十分に生かしており、すこしはわかっていたつもりでもあったのですが、この日ほど、スタインウェイのゴージャスで、深みのある響きのありがたさを思い知ったことはなかったと思います。

第2楽章(アダージョ)では和音を丁寧につきあわせ、ベートーベンが潜ませた対位法の効果を、実に見事に印象づけています。放っておくと、風のように吹き流れていってしまう曲想を大事に繋ぎあわせ、独特の叙情性が浮き上がってきたのは、その構造を隅々まで丁寧に生かしきったことによります。アタッカ気味にアレグレットに入っていくような演奏が多いなか、この楽章のおわりをしっかりと区切って間を置いたのは、アダージョの雰囲気がそれだけで完全に独立できる重みを有するという、明確な意図に基づいています。

こうして前楽章から切断されたアレグレットの入りは無理がなく、そのため、ずっとまろやかな響きになります。リズムやテンポにも落ち着きがあり、勢いだけではない、この曲のもつ本来の味わいが漂ってきます。忙しいピアニストのアクションに目をまわすことなく、やはり、随所に対位法の響きを和音として仕込み、しかも、すぐにはそれと気づかれない周到な構造美があるのに、私たちは気づくことができます。繰りかえしが深まるごとに、私たちはそこにバッハの拭い去れない幻影を、いよいよはっきりと拝むことになったのです。

さて、夜も深まってきたため、29番については、次のエントリーにて!
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