2008/9/29

レーゼル ベートーベン ピアノ協奏曲第5番 紀尾井シンフォニエッタ東京 9/27  演奏会

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)、新楽季の幕開けは、ヘンヒェンのドレスデン音楽祭で勇名を馳せたレーゼルとの、ベートーベンを中心としたプログラムだ。多分、音楽祭のつながりで、ミュンヘン室内管のコンマスを務めるダニエル・ギグルベルガーがゲスト・コンマスに迎えられた。指揮は、ユハ・カンガス。

そのベートーベンは、やや期待外れであった。否、レーゼルの完璧なピアノのコントロールについては、この日も健在だったが、指揮者がいけないのである。このカンガスは2005年以来、KSTには2度目の登場となるが、前回はラングラメ&吉野のハープが活躍した華やかさもあり、少なくとも悪いイメージはなかった。しかし、この2−3年で当方の趣向が変わったものか、今回の客演では感心しない場面が多かった。このベートーベンでは明らかに工夫がなく、フレージングもアーティキュレーションも朴訥、しかも、強弱と速い/遅いのコントロールしかないのである。折角、レーゼルがひとつひとつの音に微妙なニュアンスをつけているのに、指揮者のほうは無頓着に細かいコントロールを怠っていた。かなり細々とした演奏のできるはずのKSTに対して、とにかく要求が低すぎるのである。

正直、今回のベートーベンを指揮したカンガスは、フィンランド製コバケンとでもいうべき、ニュアンスに乏しく、解像度の低い演奏に徹していた。時代の最先端を走ったはずのベートーベンが、あわれ、ボンの田舎でもがいていた印象である。終楽章のみ、妙に遊びのある、大胆なリズムの処理がみられたが、ことここに至ってはいびつな印象を残すだけだった。

レーゼル自身は、冒頭の優雅なパッセージからして立派で、オーソドックスではあるものの、完璧に美しいピアノのコントロールを、この日も楽しませてくれた。緩徐楽章では、オケの「騒音」(こう言ってしまおう!)が少ないだけに、その透明な音色の優しさにホロリと来る場面も少なくない。特に、第2楽章から第3楽章へ移るとき、次の楽章のロンド主題を漂わせながら進むブリッジの部分の美しさは、それだけでお釣りが来る演奏であったと言える。「ウン・ポコ・モート」(すこしだけ活き活きとして)の指示を生かし、引きずらない展開であったことだけは、ソリストと指揮者のアイディアが合っている。

終楽章も妙にいじくらず、自然体で、きれいなフォルムを出すレーゼルのピアノが堪能できた。元来のロンド主題の変奏形式が表情ゆたかで、変化がつけやすいだけに、オケのほうも前2楽章の借りを、少しだけ返すことができたと思う。最後、近藤のティンパニーとシンクロして、ゆったりと減衰していく部分の音色の繊細さも、特筆に価する。最後の締めも上品に盛り上がり、印象が良かった。

レーゼルの素晴らしさは、アンコールのブラームス(op.117-1)の、渋い、渋い、渋すぎて、泣けてくる演奏を聴くだけでも、十分に立証されたはずだ。それだけに、なおさら惜しいのである!

休憩後の、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」に関しては、ゲストの池田昭子の吹くイングリッシュ・ホルンの見事な音色のコントロールもあり、さすがにお国ものというニュアンスを示すことができた。だが、彼の場合は、こうした演目といえども、かなりイメージが硬い。コンテンポラリーのような怜悧な美しさがあり、シベリウスのたおやかな作品(その温かみのある音色は出せているのだが)と独特の化学反応を見せる。

モーツァルトについては、得意とするところであろう。北欧の指揮者らしく明るい音色を選び、揺るぎない展開のなかでも、上手にタイトなフォルムをつくっていた。しかし、これだけ感情ゆたかな楽曲において、再びニュアンス不足に陥るのは、あまりにもアイディアが平板である証拠というほかはなかろう。からっとしたサウンドの流れが、小気味の良い演奏であるとも言えるかもしれないが、普通にやれば、もっと自然に浮かび上がってくるはずの、表情の変化があまりにもデッドなのに驚いた。シンプルというよりは、筋張ったモーツァルトの演奏と聴こえ、演奏に触れての特別な感興がなかった。

なお、ギグルベルガーのリードは良かった。彼はバレエダンサーのような柔らかい上半身の動きを生かして、独特の楽器コントロールを見せたのが面白かったし、統率力も高そうである。メンバーはゲストが多めで、仙台での活躍が未だに印象に残っている千葉清加(vn)、エクの大友肇(vc)、都響の鈴木学(va)などの姿が、KSTの舞台で見られたのは意外だった。一方で、リーダーの澤、青木、玉井、安藤、篠崎(友)、丸山(泰)など、常連のメンバーが見当たらないのは、すこし違和感があった。身重のはずの難波薫がフォア・ザ・チームというべきか、この日、元気に出演していたが、安産をお祈りしたい。

前回のカンガスの指揮では、実は、ヴァスクスをやったのがもっとも印象ぶかい。そうした曲目をやるときには、彼の知的構築の鋭さや、音色の明るさが存分に生きてくるだろう。だが、今回のパフォーマンスは、私としてはガッカリした。KSTとしては、近年で、特に低調なパフォーマンスだったといえる。今回、2日公演がソールド・アウトとなったが、タイミングが悪かったと思うほかはない。


【プログラム】 2008年9月27日

1、ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
 (pf:ペーター・レーゼル)
2、シベリウス トゥオネラの白鳥
   〜「レミンカイネン」組曲
3、モーツァルト 交響曲第40番

 コンサートマスター:ダニエル・ギグルベルガー

 於:紀尾井ホール
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2008/9/28

スダーン シューベルト 交響曲第6番 ほか 東響 サントリー定期 9/27  演奏会

東京交響楽団のサントリー定期を聴いた。今回は、5月のコンサートで幕を開けた音楽監督、ユベール・スダーンの肝煎り企画、シューベルトの交響曲ツィクルスの2回目である。前回の1&4番によるキックオフは大きな盛り上がりを見せ、楽団としてもその気になったようだ。自主制作の限定ディスクが今回のシリーズにあわせて1000円で発売されるなど、これは特別なことが起こったというリアクションであり、いかにも微笑ましい。

さて、今回は5番&6番である。普段はほとんど聴くこともない曲なので、薄っぺらなレビューになりそうだが、ご勘弁ねがいたい。それにしても、対照的な演奏であった。5番はサロン風、もしくは室内楽風と言ってもいいぐらい、小ぶりな交響曲。概ね2管編成だが、フルートは1本、クラリネットはない。金管はホルン2が指定されているが、きわめて控えめで、もちろん打楽器はない。スダーンはこれをまったくデフォルメなく、当時、貴族の居館かどこかでやっていたような感じで演奏する。一方の6番の編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニー、弦5部である。これもベルリオーズ的な巨大編成ではないが、より大きく、パブリックな空間を意識した曲であることは、一見して明瞭だろう。

5番の演奏は決して悪くはないのだが、如何せん、サントリーホールで演奏するには向かない曲だろうし、そういうスタイルの演奏でもあった。それこそ、紀尾井ホールのような手ごろな空間で聴けば、かなり印象がちがったと思う。音量不足を畏れることなく、mp 以下を頑固に守って、必要以上に強奏しない。ほとんどフルート協奏曲的な感じもあり、相澤のシャープな演奏が光る。この日の2つの交響曲は、いずれもフルートを多用しているのが特徴だ。しかし、最後を締める楽器であることからもわかるように、チェロも重要である。ボーマンを中心としたチェロ部隊の、さほど目立たぬにしても、緊張感あふれる努力については言及しておかねばなるまい。ただし、前回のようなダイナミックな成果に期待していた向きには、肩透かしを食った感もあっただろうか。

6番は、この会場規模にも十分に対応できるボリュームがある。だが、ガツガツ行くような、厚手のシンフォニーでもない。世の中にはいろいろなタイプの交響曲があるが、この曲では、2管編成の木管楽器をこれでもかと浮き立たせ、弦の推進力に頼らない独特のスタイルを有している。弦のストーリー・テリングの合間に、優美な木管のフレーズが表情づけをするという一般的なスタイルではなく、管の主体性が揺るぎなく維持され、その裏づけがなければ、何も進まないように書かれているのだ。かといって、管がいっぱいに強音を張らなければいけないというわけでもなく、それぞれの楽器のスイートな部分が生きるように、全体が抑えられたりして繊細な工夫がみられるほか、強く吹かねばならないときでも、うまく響きを重ねて、弦や打楽器の響きに負けないように配慮がなされている。

・・・という印象は、この日の東響の演奏によるところが大きいのかもしれない。とにかくスダーンは、まるで木管楽器のための協奏曲という感じで、フィジカルな弦の旋律線を、ほとんど木管のサポートのために使いきってしまったかのように見えた。

第2楽章のアンダンテが、きわめて優美な演奏だった。慌てず騒がず、ゆったりしたフォルムを織り上げ、隙はないが、余裕のある管と弦のダイアローグを組み立てている。プログラムでは、こうした緩徐楽章では初めて、トランペットとティンパニーが使われたことを挙げ、従来の交響曲の緩徐楽章よりも「堂々たるイメージ」を与えるとするが、この日の演奏ではそうしたものよりも、mp ぐらいでじっくり木管の音色を引き出しつつ、その通り道を計算しながら、キビキビと骨組みを構築していく様子が面白かった。

シューベルトが舞踊楽章において、メヌエットではなくスケルッツォを採用したのは、この曲が初めてのことだという。その形式自体がベートーベンの影響によることは明らかだが、旋律線もどこかで聴いたベートーベンの響きに似ている。トリオの部分が面白い。跳ね上げるようなボウイングで、フレーズが不連続的に切り刻まれ、そこに管の響きが絡みつくことで、全体が微妙なフォルムを保っていく。非常に新しいスタイルであるようにも見えるし、また一方では、とても古い舞曲の形式とも感じられる。にしても、この部分をかくも思いきってスパスパと切り刻んでいくスタイルは、スダーン独特のものであろう。

アレグロ・モデラートによる終楽章は、特徴的なリズムをしっかり刻みながら、やはり、管の響きが明るく踊っていく。まるでウィンナー・ワルツの遠い先祖をみるような、ゆったりして、生気に満ちた拍子のいたずら。フルートやクラリネットを中心とした木管を十分に歌わせ、ときどき遊びを入れながら、優雅に音楽が進行していくのだ。これこそ、この交響曲の真骨頂とでもいうべき部分ではなかろうか。楽曲は徐々に盛り上がって華やかなフィナーレを築くが、最後までガツガツとしたアタックはなく、上品に響きを織り上げ、束ねあげて、じっくりとフォルムを積み上げていくのだ。

今回の演奏は、勢いだけではどうにもならないシューベルトの難しさを示している。だが、それを「難しさ」とは捉えず、洒落の効いた遊びとでもいうように捉えているのが、スダーンの演奏の興味ぶかいところだ。大谷コンマスを中心とした弦セクは逸る気持ちをコントロールしつつ、こころなし前に出て響きを抑える指揮者に合わせて、猫背に身体を畳んだりして、エネルギーを響きの遊びのなかに溶かし込みながら、上手に逃がしていくようなアクションもみられた。第3楽章のトリオの処理もそうだが、ユベール・スダーンという指揮者は、そのように、尽きせぬアイディアをもっている音楽家である。結局のところ、彼こそが、このコンサートをいちばん楽しんでいるようにもみられた。

それにしても、2つの作品が書かれた年代は、僅かに1−2年のちがいである・・・ということには驚きを禁じ得ない。前回のコンサートで演奏した4番にしても、5番の数ヶ月前に書かれたものだという。この時期のシューベルトは、日進月歩というよりは、あらゆるアイディアに満ち溢れていたのだろう。それぞれの交響曲に与えるべき「志」によって、様々なタイプの交響曲を自由自在に生み出していた跡が、これらの交響曲から窺われる。そのことがスダーンの筆さばきで、なおさら判然とする。そうした意味でも、あと2回となった今後のツィクルスは、絶対に聴き逃せないのである!

2つの交響曲の間では、A.S.ムターらのサポートを受けてブレークしつつある、ヴァイオリンのアラベラ・美歩・シュタインバッハーがベルクの協奏曲を披露した。彼女の演奏はとても丁寧で、印象が良い。昨年、私の尊崇するF.P.ツィンマーマンが弾いたのが凄かったので、このレヴェルでも、まだまだ突き抜けるものが足りないと感じてしまうのは止むを得ないだろう。だが、ベルクが哀悼の意を捧げた少女のことをダイレクトに連想させることもあり、こうした若く腕の立つ女性が弾くベルクというのは、また格別の味があった。オケも悪くはないが、やや準備不足なのは否めないところか。シュタインバッハーは音色のコントロールが冷静で、ヴァイオリンそのものが自ら歌いだす、師匠・チュマチェンコの境地には遠いものの、聴く者をうっとりさせる、ふくよかな美音の持ち主でもあった。倍音の鮮やかな効果に恵まれた、バッハのアンコールも絶品!

なお、新たにヴィオラ首席で入団した青木篤子が、早速、ヴィオラのファーストの席次を占めて、堂々たる演奏を披露していたことを付け加えておく。今後の、一層の活躍に期待する。これまでは西村の負担が大きかった印象があり、なかなか良い補強だったように思われる。これで西村眞紀、武生直子とともに、ヴィオラの首席が3人となったが、いずれも女性であるのは面白いことである。


【プログラム】 2008年9月27日

1、シューベルト 交響曲第5番
2、ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
 (vn:アラベラ・美歩・シュタインバッハー)
3、シューベルト 交響曲第6番

 コンサートマスター:大谷 康子

 於:サントリーホール
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