2008/6/14

在京オーケストラ三題 日フィル  クラシック・トピックス

日本フィルは、若いオーケストラを除くと、在京オケの中でも、バランス・シートの悪い楽団であると言われている。N響・読響のような強力なバックボーンがあるわけでもなく、東響=すかいらーくのような固定的な出資者がいるわけでもない。決まったスポンサーを置かず、演奏会ごと、もしくはシーズンごとに、スポンサーを見つけていく形をとっている。そのせいだけではなかろうが、赤字が多く、厳しい運営であることが指摘されている。

その危機を乗りきるべく、日フィルは新体制を打ち出した。音楽的な「顔」をコバケンからラザレフに替えた上で、RCOエグゼクティヴ・ディレクターであるヤン=ウィレム・ロートを人事面での顧問、岡山尚幹、平井俊邦をマネジメントのブレーンに加え、一挙に運営の近代化を図ったのだ。ビジネスについてはよくわからないし、今後の成果を見るときであるので、ここでは言及しない。さて、ラザレフが正式に就任となる9月以降の新楽季のプログラムの一部(東京/横浜の定演)が公表されているので、ここから読み取れる情報を分析しよう。

まず、メリハリのついた運営が目につくところだ。就任時にも、岡山らがどうやって立て直すかという話をしている横で、ラザレフの熱く語ったのは、専らプロコフィエフのプロジェクトについてだった。それを中心とした東京定期は、それぞれの指揮者が持ち味を出して、奥へ奥へと抉っていくようなプログラム。一方、横浜定期は、指揮者、ソリスト、演目のライン・ナップをみても、これまでの日フィルの、大衆路線を踏襲したプログラム構成となっている。

東京定期は、紀尾井シンフォニエッタ東京への客演でも知られる、ハルトムート・ヘンヒェンの指揮で幕を開ける。曲目は、シューベルトの「未完成」交響曲とブルックナーの9番。ヘンヒェンは、現在はドレスデン音楽祭のディレクターとして知られるが、オランダでの活躍もあり、ロートのコネクションが窺えるほか、KSTにも出演する菊地知也、丸山勉、難波薫、南方総子などの推薦があったものとも考えられる。このシーズン・インは、楽しみである。

首席であるラザレフの出演(東京定期)は2回で、いずれもプロコフィエフのプロジェクトに属する。この2回があることで、全体のプログラム構成がぐっと締まった印象を受ける。初回は、比較的に有名な1番で幕を開け、最後の交響曲(7番)で締めるという迫真の構成だ。真ん中のコンチェルトは煌びやかな協奏交響曲で、ヴァイオリンに漆原朝子、ヴィオラに今井信子というゲストも豪華である。2本目(2009年6月)は、メインが2番と地味なこともあり、1曲目にチャイコフスキーを予定している。ただし、こちらも組曲第4番「モーツァルティアーナ」と渋い。派手なソリスト、ヴィジュアル系のニコラ・ベネデッティのコンチェルトは内容が決まっていないが、1曲目の曲目からいくと、普通に考えればモーツァルトになるのではないか。

ラザレフ以外の指揮者陣を概観すると、2つのタイプに分かれる。ひとつは、かつて日本フィルのポストにあり、楽団のことをよく知っている指揮者たち。すなわち、小林研一郎、沼尻竜典、広上淳一。それと、この範囲には入らないが、客演の多い尾高忠明もカッコに入れることができそうだ。一方は、先程のヘンヒェンのほか、ギュンター・ヘルビッヒ、ジョセフ・ウォルフといった、多分、ロートのコネクションによって引っ張られた有能な指揮者たちである。

ヘルビッヒは日フィル初登場ではないと思われるが、ドイツの劇場育ちの叩き上げで、腕のいい指揮者だ。また、優れたオーケストラ・ビルダーの一人としても知られている。この人とオピッツで奏でるベートーベンのピアノ協奏曲第3番は、楽しみなプログラムだ。ウォルフは、大学在学中にドレスデン室内管を立ち上げ、ギルドホール音楽演劇学校の研鑽中にも、ロンドン・ニムロッド・アンサンブルを結成するなど、早くからオーケストラ・ビルディングの才能を発揮していた・・・という。ヘルビッヒとは対照的に、これから頭角を表してくるかもしれない若手である。彼は、母国・英国のエルガーのシンフォニー(第1番)を指揮する予定だ。

これらのライン・ナップから読み取れるのは、日フィルのアンサンブルを育て上げながら、上昇させていくことのできる指揮者が、周到に選ばれていることだ。ヘンヒェンも、KSTでの活躍からわかるように、室内楽的な響きを発展させて、いかにもドイツ的ながっしりした響きを組み上げることのできる指揮者である。こうした要素は、ラザレフとロートの就任会見で、諸氏が発言した内容とも符合している。

こうして見てくると、立ち遅れた日フィルの再建も、いよいよ端緒についたことが明らかとなるのである。ラザレフは、ポストが音楽監督でないことからもわかるように、楽団のマネジメントにはあまりタッチしないようだ。ラザレフは楽団の顔としてプロコフィエフに専念し、細かいことは日本人に任せる体制だろう。

今度、プロコフィエフの記事を書きたいと思っているが、この魅力的な作曲家は、この国でどういうことか、あまり人気がないのだ。ピアノ協奏曲第3番や交響曲第5番のような屈指の名曲が、なぜか苦手という愛好家が少なくないのは不思議である。その原因のひとつは、往年の時代を代表するような指揮者(実力はともかく)、例えば、カラヤンなどが得意としなかったのも影響していると思う。ラザレフのプロジェクトで、どれぐらいの目覚めがあるのかはわからないが、客が呼べないといわれるプロコフィエフの評価に、多少なりとも繋がることがあれば、私としても嬉しい。また、それを達成しなければ、日フィルのジリ貧は解決しないのである。是非、日フィルの評価を覆してもらいたいのだ。健闘を祈る!
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