2008/6/8

飯森範親 ペトルーシュカ 東響 サントリー定期 6/7  演奏会

【ミッコ・フランクが突然の降板】

東京交響楽団のサントリー定期は、指揮者のミッコ・フランクが直前で指揮ができなくなり、急遽、飯森範親が駆けつけるという緊急事態となった。お気に入りのコンマス、高木和弘氏のブログによると、心配された脊髄の病気ではなく、椎間板ヘルニアにより、前日午前までの稽古までつけたあと、振れなくなってしまったのだという。それならば、いのちに関わることではないから、すこし安心というものだが・・・。

ミッコ・フランクは前回の出演で目覚ましい活躍をみせており、東響のファンは大きな期待をもっていたほか、欧州でも注目される指揮者の待望の来日だけに、突然の降板は残念という反応も多い。だが、この日の演奏会に関してみる限りは、フランクのプローベも十分に効いていたし、加えて、難しいスコアにつよい飯森のアクロバティックな音楽づくりが、プラスに作用して、とても良い演奏に仕上がった。

【シューベルトとプロコフィエフ】

最初は、東響定期、今期のお約束になっているシューベルトで、歌劇「フィエラブラス」序曲であるが、冒頭部分こそ、「お!」と思わせる緊張感のある弱音が静かに広がったが、その後は全体的にすこし雑に聴こえる。構造的に山谷が深く、入り組んでいて、力感と柔らかさが交互に求められる曲だったし、難易度は高いのだろう。フランク王国とムーア人の王国のふたつに引き裂かれた恋人どうしの物語は、ペトルーシュカを生み出した世界観とも通じるものがある。

ロン=ティボー・コンクールを僅か16歳で制した(といっても5年前)山田晃子をソリストに迎えた、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。立ち上がりの深い音色からして、まだ20歳そこそこだが、優れた音楽性をもっていることは明らかだった。独奏は、全体のリードとなる第1楽章の存在感もさすがだが、第3楽章、アレグロ・ベン・マルカートでのハキハキしたヴァイオリンの響きが印象的だ。あまり強い音は使わないが、ゆったり膨らみのある美音の持ち主で、経歴に恥じない力量を示した。

全体としては、第2楽章で特に雰囲気があり、両端の部分で奏でられるヴィオラの刻みには耳を奪われた。単にヴィオラ・パートが頑張ったというのではなく、そこの響きに全体がじっくりと耳を傾け、それに寄り添うようなハーモニーがすっと広がっていったせいだろう。この姿勢は楽曲全体に貫かれており、第1楽章では、ヴァイオリン独奏を中心に、ドッペルゲンガーのように張りつく、襞のような弦の美しさや、それとはまったく関係のなさそうなところに生じながら、ぐるっと回って、やはり独奏に結びついていく管の響きが、丁寧に、3D的に構築されたデザインが見事である。

全体のイメージは、プロコフィエフの尖鋭な手法にフォーカスしたものであり、勢いに流れない、しっかりした演奏だ。これは、あとのペトルーシュカにも共通する。

【ペトルーシュカは一体感のある好演】

その「ペトルーシュカ」(ストラヴィンスキー,1947年版)は、一体感のある素晴らしい演奏であった。先月のシューベルトほど、高い完成度には至らなかったが、それでも各パートが渾身のパフォーマンスで隙のない仕事を続けて、一種のオケコンのような曲目を、ゆたかな音色で聴かせた。特に、トランペットのマルティは、硬軟をきれいに描き分けたパフォーマンスで、終演後にも、聴衆の圧倒的な賞賛を受けた。だが、フルート、ファゴット、ホルン、トロンボーン、チューバ(バス)、クラリネットなど、それ以外のパートも健闘が目立った。

さらに重要なことは、これらのパートがよく聴きあって、響きが丁寧に重ねられていく点にある。これはプロコフィエフにも言えたことだし、ミッコ・フランクがなにを大事にするのかは、ここではっきりとわかった。ひとつは、この聴きあいというキーワードで括られようか。もうひとつは、自主性である。ふたつというよりも、言ってみれば、背中あわせの要素ともとり得るのであるが・・・。

フルートの開始から、金管→弦・木管と主役の変わる一連の流れでは、まずもって、東響自慢の金管が鮮やかな響きで、耳を惹く。下げ弓主体の弦の歯ごたえある響きと、これらが重ねあわされ、コシのある響きがつくられる。太鼓の転換は大げさではないが、拍節感の処理が丁寧なので、場面の切り替えもスムーズだ。徐々に明らかになっていくが、全体的にバレエの雰囲気を自然に掴みきった演奏で、劇場主体のキャリアを築くフランクの下拵えが、しっかりしていることは明らかである。

細かくあげていくとキリがないが、「馭者と馬丁たちの踊り」の弦セクションは、とりわけ圧巻だった。序盤と同じように弓を引きながら、逆に、外側に放射していく響きの伸びやかな展開は、この場所に来られなかったフランクまでも、届かせようかという気迫に満ちており、もちろん、聴いている我々にはダイレクトに伝わってくるものだった。高木コンマスを中心とするヴァイオリンもいいが、その正面で、渾身の弓さばきを見せているのが、チェロ首席のボーマンほか。それを外側から盛り立てる管の響きも、美しく、芯のある層をつくっていた。

もちろん、全体的にハキハキした演奏ではあったものの、轟音だけでお茶を濁すような質の演奏ではなく、例えば、ワルツの部分のたおやかな響きも印象に残る。休みのつづく弦が見つめるなか、管が繊細に音色を交わすあたりの充実は、最近の東響の好調を物語るものだ。こうした響きがぎっしりと織り込まれるなかにも、必ず忍び込んでいる舞踊のリアリティが、いつもわさびのように効いているのが、なんとも興味ぶかい演奏である。

終幕に入り、〈乳母たちの踊り〉の華やかさは鮮やかだし、〈熊を連れた農民たち〉でのクラリネットのしなやかな響きはとても素朴、〈ジプシーたちの踊り〉から〈馭者と馬丁たちの踊り〉への流れは、全体の頂点を打つに相応しい流麗さだった。さて、音楽は本来、謝肉祭の喧騒から、ペトルーシュカの「殺害」へとフォーカスを移していくわけだが、今回の演奏では、ペトルーシュカの首が斬り落とされるまでの、演奏会用の短縮版を選んで終止を迎えた。

解釈としては正攻法の響き重視で、ペトルーシュカのウェットな部分、また、もしくは、アイロニカルな響きの主張こそ物足りないが、初演後、わざわざ30年以上ものちに編曲したストラヴィンスキーの意図を、淡々と汲みとった演奏である。その分、ひとつひとつの響きへの拘りは妥協が許されず、これで聴き手を説得するのは簡単ではないが、この日の東響は非常に高いレヴェルで、その要請に応えたといえそうである。なお、正月にあまり良い印象をもたなかった菊地裕介がピアノ・パートを受け持ったが、このようなからっとしたイメージに相応しい演奏をしていた。今回の演奏はピアノ・パートをさほど重くみていないが、その範囲で、上出来といえるのではないか。

【メンバーに安心感あたえた飯森】

飯森は急な代役ながら、優れたリーダーシップで、東響のメンバーを元気づけて、最後の一押しをしてくれたように思える。やはり、彼なしには、この演奏会は成り立たなかったのであろう。普段はドイツがベースで、山形や関西にも拠点がある人だが、来週にマーラーの演奏を控えて、スケジュールを空けてくれていたのが、楽団にとっての幸運となった。待望のフランクが離脱したのは「悲劇的」だったが、結末としては大満足というところである。フランク氏には早く元気になっていただいて、来年あたり、再登場を期待したいところである。


【プログラム】 2008年6月7日

1、シューベルト 歌劇「フィエラブラス」序曲
2、プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番
 (vn:山田 晃子)
3、ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」

 コンサートマスター:高木 和弘

 於:サントリーホール
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