2008/6/2

ボロメーオ・ストリング・クァルテット クァルテット・ウィークエンド 〈フェスタ〉 6/1  演奏会

【TANの新機軸】

トリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)と第一生命ホールは、国内外から優れた室内楽グループを招き、水曜日に演奏会を催す「クァルテット・ウェンズデイ」を続けてきた。この度、同プロジェクトは週末に移行することなり、同時に、企画をパワーアップさせるべく新機軸を導入した。企画は、「ガレリア」と「フェスタ」にわかれる。ここでリポートするのは、「フェスタ」公演の一コマであるが、これは・・・

@キュレーター(学芸員)と呼ばれるキャリアのあるクァルテットが、全企画を監修する。
A2週間程度の間に、キュレーターが中心となる6回のコンサートを行う(通し券あり)。
Bより若いゲスト・クァルテットが共演し、より幅広い楽曲のフォームにも対応する。

以上のような特徴をもつ。今回のキュレーターは、米国で活躍する中堅のボロメーオ・ストリング・クァルテットで、30日が初日だった。ゲストは、前身の「ウェンズデイ」のシリーズで出会い、私が応援しているクァルテット・エクセルシオである。これは、3日目となる6月1日の公演である。もちろん、会場は、第一生命ホール。

【珍しいハウェルズの曲目】

まずは、クァルテット・エクセルシオ(エク)が単独で、ハウェルズの「ファンタジー」を演奏する。このハウェルズというのは初耳だが、1892年、英国に生まれ、1983年まで生きていたという作曲家。かなり保守的な作風で、ヴォーン・ウィリムズを思わせる牧歌的な旋律が清らかに流れる冒頭部分から、いかにも繊細な郷土愛がにじむ響きが印象的だ。エクの透き通った響きは、この作品のもつ清々しい印象とよく合っているが、一方で、見逃されがちな構造の細い芯を丁寧に浮かび上がらせており、それには、この楽曲にとって重要な第2ヴァイオリンと、ヴィオラの、内声が遺憾なく貢献しているようだ。そのおかげで、単一楽章のわりには内容が詰め込まれ、やや冗長な感じさえ与える楽曲であるのに、印象が拡散せず、聴衆の集中力を最後の脱力まで引きつけることに成功している。

もちろん、クァルテットの顔である第1ヴァイオリン、西野ゆかの落ち着き払って、華も色気もある響き、そして、私がもっとも評価する大友肇のチェロは、このクァルテットの「哲学」を語るふかい音色、明確なフレージングで、全体をまとめあげている。

【ボロメーオのバルトークは・・・】

つづいて、ボロメーオ・ストリング・クァルテット(ボロメーオ)が登場し、バルトークの1番で、華やかな演奏を披露する。エクと比べると、ボロメーオの個性はまるでちがう。エクの場合、どんな難しい曲であっても、すっと聴き手の内側に入ってきて、聴き手との間に壁をつくらないで、作品世界を遺憾なく味わわせてくれる。一方のボロメーオは、あなたはあなた、私は私という感じで、どすんとした個性が一本の樹木のように、聴き手の前に根を広げる。どちらがいいというような話ではないが、ここまでちがうと、コラボがどうなるのかと心配になる(あとで述べるように、それは杞憂だったが!)。第1ヴァイオリン、ニコラス・キッチンの伸びに伸びる自由な音色と、ヴィオラの元渕舞の濃厚な音色は、いちど聴いたら忘れられないだろう。

率直にいうと、このボロメーオ自体は、あまり好きになれなかった。先程のような特徴のこともあるが、細部において拍節が粗い部分があるのと、いかにも米国らしい突き抜けるような音楽づくりの単調さ。それに、バルトークの演奏に重要と思われる、ダイナミックな構造の展開が曖昧で、彼ららしい音色へのこだわり、表現の重厚さというものを生かしきっていないように思えたからだ。バルトーク弦楽四重奏団のフェアウェルを聴いたときの、あの一時も気を抜けないような、完璧な構成美みたいなものは、彼らの演奏からは聴こえてこなかったのである。

【コラボは成功した!】

その点、エクからヴィオラの吉田とチェロの大友が加わった、チャイコフスキーの弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」は、素晴らしい演奏になった。既に述べてきたような2つのクァルテットの特徴が、それぞれの弱い部分をがっちり補強しあって、6人は1つのオーケストラのようなダイナミックな表現と統一感を獲得し、それに加え、細部まできっちり構造を織り上げていく点にも、不満がなかった。キッチンと元渕の外核の堅固さが遺憾なく、内側のチェロ、第2ヴァイオリンの響きに溶け込んでいくのに無理がないのだ。とりわけ、バルトークではまるで感じられなかった構造のスパイスが、ボロメーオのともすると単調になりかねない派手派手な音楽づくりを、きっちり支えているのがわかる。

そういう意味で、もっと印象的なのは第2楽章である。序奏から、十分なパウゼをおいて、リードとバックにわかれて、ワルツともバルカローレともとれるリズムが展開する部分が、特に面白い。この不思議なフォルムの揺れが、いかにも華やかな舞踏の響きを内側から支えているのがわかる。中盤、大友のチェロの独奏を契機に、以後は完全なバルカローレ風に変わり、先程までの優雅さは、長閑で、ゆらゆらと落ち着いた響きになっていくのがわかっただろう。思うに、チャイコフスキーが純粋な「フィレンツェの思い出」を書いたのは、このチェロの部分までではないだろうか。その後の作品は、「思い出」というには、あまりにも甘い響きに聴こえるからだ。チャイコフスキーと、無事ならば、この作品を捧げられることになったであろうフォン・メック夫人との関係について、私はあまり詳しく知らないが、その「うわさ」を応用すれば、明からさまなラブレターのような響きであるようにも思った。

第1楽章では、確かに、太陽のように明るいイタリーの美しい都市の雰囲気が、煌びやかに描き込まれているし、そのことは、キッチンを中心とした今回のメンバーの、清々しい音楽づくりで明らかだ。繊細な第2楽章の優れた表現を別にすれば、この最初の楽章の、オーケストラ然としたダイナミックな表現も驚きに値するだろう。さて、第2楽章に入ると、フィレンツェの華やかな舞踏会がまだまだ描き込まれているが、徐々に明らかになっていくのは、早くも感じはじめた故国・ロシアへの想いだ。後半のバルカローレに乗って回想されるのは、既にフィレンツェの思い出ではなく、ロシアに残してきた愛しい人の面影である。ヴェネツィアではないが、舟が去っていくイメージを舞踏会の華やかさなワルツのリズムに張りつけ、チャイコフスキーはもはや、ラテンの晴れやかな光のなかにありながら、サンクトゥペテルブルクへの帰路をとっている。最後、フィレンツェの美しさが、すこしだけチャイコフスキーの袖を引くが、その指をさっと払って、立ち去っていくときの響きが、なんとも余韻を引く。

後半2楽章で、ロシア風の音楽がふんだんに使われるのは、ペテルブルクへと逸る気持ち抑えがたく、自分のあたまのなかには、既に、あなたのことしかない、というチャイコフスキーの想いが詰まっているようだ。そのことを想像すると、私はこのラブレターを受けるはずだった幸せな女性の気持ちになって、胸が熱くなってくるような気がした。ところで、この部分の疾走するような情熱的な表現のなかで、私たちは相変わらず、どっしり根の張った響きを楽しむことができたことを、忘れてはならない。あまりのエネルギーに浮き上がるりそうになるマシンを、緻密な空力で押さえつけるF1カーを思わせるように、キッチンらの力強い推進力を無駄なく地面にグリップさせるために、実に緻密な配慮があったことは論を待たないだろう。

ボロメーオとエクは、まるでちがうグループだ。しかし、ここに至って、ボロメーオのはっきりした表現、地に根を張るような響きの逞しさと、緻密に構造を織り上げ、どこまでも繊細な響きを聴き手に届けるとともに、そのこころのなかへダイレクトにアクセスできる、エクの特徴が、はっきりと1つになっているのがわかるだろう。主催者がここまで見越していたかどうかはわからないが、結果的にみれば、聴き手にとって、なんとも贅沢なマッチングが、ここに実現していることを素直に喜びたい想いである。このチャイコフスキーは、堂々たる名演である。

【今後の予定】

さて、このあとボロメーオは単独で、ショスタコーヴィチ、バルトーク、ベートーベンを披露したあと、最終回で再びエクとの共演を果たし、それぞれシューマンとシューベルトを披露したあと、メンデルスゾーンのオクテットで花火をあげることになっている。このオクテットは傑作中の傑作であるが、名手・8人を寄せ集めてもなかなか良い演奏にはならないので、クァルテット×2、しかも、この相性抜群のコンビで聴けるというのは、願ってもないチャンスであろう。


【プログラム】 2008年6月1日

1、ハウェルズ ファンタジー
 (演奏:エク)
2、バルトーク 弦楽四重奏曲第1番
 (演奏:ボロメーオ)
3、チャイコフスキー 弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」
 (演奏:ボロメーオ、va 吉田有紀子、 vc 大友肇)

 キュレーター:ボロメーオ・ストリング・クァルテット

 於:第一生命ホール
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