2008/5/13

濱倫子 ピアノ・リサイタル トッパンホール 5/11  演奏会

こういう言い方は好まないが、濱倫子というピアニストは天才的だと思った夕べであった。彼女はデュオなどで聴いたことはあったが、ソロでは録音もなく、未知数であったから、今回のリサイタルを体験して、本当にびっくりしたのである。

ショパンのロ短調ソナタが、なんといっても素晴らしい。オーソドックスな演奏ではあるが、豊富な演奏伝統を踏まえながらも、非常に自由な息遣いが聴かれ、正しくエレガントとしか言いようのない、滑らかで、清潔なフォルムの美しさは、比類がない。多くの演奏家がすこし溜めていたり、お決まりになっているようなフレージングにも、聖域をつくらず、楽譜に忠実といえそうな、スッキリした解釈が爽快だ。第1楽章のアレグロ・「マエストーソ」については、特に感心した。三角/四角のフレーズをパズル的に組み上げて、カツカツと硬いラインをつくるのではなく、ルバートをうまく使うことで(特に左手で)拍節感を生かし、いかにも「マエストーソ」的な決然とした雰囲気を出しながら、全体としては、実に柔らかい響きを印象づけた解釈が、見事である。

一筆書きともいえる第2楽章の優雅なラインにも見るべきものがあったし、第4楽章の技巧の精確性は、師匠であるウゴルスキ譲り。彼の演奏を、2003年の東響のコンサートで聴いているが、プロコフィエフの2番(協奏曲)を信じられないくらいに、豊穣な響きの色彩感で表現した巨匠のスピリッツは、濱のなかにもしっかり溶け込んでいるようだ。あれだけ鋭い打鍵を拝めるだけでも凄いのだが、バラードに通じるような内面的な深さ、スケルッツォにも通じる響きの諧謔性、エチュードなどに見られる技巧の輝きが、わっと目の前に広がっていく演奏は、知的としか言いようがない。とりわけ、バラードの詩情が深く感じられ、コクのあるロンド主題は濃厚ながら、しつこさがないのはいい。最初に転調するときに、ぐっとこみ上げるものがあったが、後半はむしろ、からっとした墨絵の美しさだ。

第3楽章だけは、すこし動かしたりして工夫していた。でも、どちらかといえば、何もしない穏やかな経過句において、はじめにクープランを弾いたのが効いていて、面白く聴けたように想う。この日は、もうひとつの軸に置かれるべきバッハの姿は、周到に隠されていたが、この楽章だけは、それを節々に感じさせるのは、ショパンがいかにバッハの影響をつよく受けていたかということの証拠となる。

濱のショパンは、勢いや打鍵の厳しさだけで、なんとなく通過してしまうような部分というのはまるでない。音色の粒立ち、打鍵の鋭さ、左手の強烈なハンマー、ルバートのしなやかさ、拍節感、どれをとっても申し分ないのに、それらは丁寧に洗練されて、むき出しで使われることがない。それゆえ、彼女のピアノは、とても上品で、エレガントな印象を与えるだろう。

ラヴェル「クープランの墓」は、第一音から、都会的なラヴェルの特質がはっきり現れた音色が聴かれ、濱の優れた才能を示す一端となっている。6つの曲はどれも終結の部分で煙が立ち昇るような寂しさが、ちょこんと立ち上がって、ただ華々しい曲ではないということを、しっかり印象づけているのも憎い。メヌエットの高雅な響きは、ジェロニモ修道院で演奏したベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート(TV放送)で聴いた、ブーレーズの演奏にちかい、響きのエレンガンスと、落ち着いた曲の運びを思い出させ、まだまだ若いといえる女性の演奏とは思えなかった。

フーガの響きはすこし現代風な感じで、広がりがあり、ジャズ風のしっとりしたフォルムのフォルラーヌは、シャープなフォルムがきれいに浮かび上がって、美しい。リゴードンは華やかだが、どこか戦場の厳しさを思わせる部分が、あまりにも優美な響きのなかに、ちらりと垣間見える気がして、興味ぶかかった。1曲ごとによく練られた演奏が聴かれ、同じラヴェルといっても、すべて響きの質がちがうというのは驚きである。

クープランの演奏はすこし誇張気味だが、クラヴサンの原曲をつよく意識していて、早いパッセージの扱いに工夫がみられた。スクリャービンの詩曲「焔にむかって」は、あとのソナタの2楽章にも通じるような一筆書きで、呆気にとられたものだ。技巧性が高く、若いピアニストがよく弾きたがる曲目だが、濱の演奏はかなりアイロニカルな気がして、いかにもこの人らしいユニークな演奏と思った。

アンコールも3曲ほど弾いたが、なんといっても「夜のガスパール」のオンディーヌの演奏には痺れた。水の香りのする響きは、正しくオンディーヌ(水の精)以外のなにものでもなく、彼女に縛られてしまうかのような、きりっとした響きの締まり、そして、ふわりと風に吹かれるように飛び去ってしまうときの愛らしさなど、どれも文句もつけようがなく、イメージどおりなのに驚いた。これは見事というほかない。

なんというピアニストであろうか! つい先日まで、ラ・フォル・ジュルネで、優れたピアニストの演奏をたくさん聴いていたから、ちょっとやそっとのことでは驚かないでつもりでいたが、予想をはるかに超えていた。少なくとも、こうしたプログラムにおいては、濱倫子というピアニストの可能性は計り知れない。ウゴルスキとともに、思い出したのはサンソン・フランソワだ。比べるつもりはないが、すこしは影響があるのかもしれない。

聴衆はすこしお年を召した方が多く、きっと、音楽厨房さんが盛んに働きかけたのであろう。あちこちで挨拶があわされ、何十年ぶりの同窓会に迷い込んだみたいに、すこしばかり居心地悪い感じもある。でも、演奏は、そんな耳の肥えた貴紳を納得させるだけのものだろう。迷い込んでいいものならば、喜んで、迷い込んでしまおうというところ。次回は、どういうフォームになるかわからないが、いまから楽しみになる。濱のソロは貴重な機会だが、本人としては、アンサンブルのほうが楽しめるのかもしれない。今回、彼女にしては、終始、表情が硬かったように思うから。でも、素晴らしかった!

【プログラム】 2008年5月11日

1、クープラン ヴェルヌイユの女、修道女モニク、騒がしさ、感動、
         ティク・トク・ショク、あるいは、オリーヴ搾り
         〜クラヴサン曲集第3巻/第18組曲より
2、ラヴェル クープランの墓
3、スクリャービン 詩曲「焔にむかって」
4、ショパン ピアノ・ソナタ第3番

 於:トッパンホール
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