2008/2/10

鄭明勲 ブル7 N響 (A定期/1日目) 2/9  演奏会

来週のマーラーと間違えてとってしまった、N響のブルックナーである。指揮は、チョン・ミョンフン(鄭明勲)で変わらないが、やはり彼は、私のなかでは「ブルックナー指揮者」ではない。今回の7番も、煮えきらない演奏と感じた。その大きな原因はフォルムが甘いことと、そのデザインに大胆さがないことだ。確かに、強奏部における響きの美しさとか、随所に見せるオペラティックな表現の瑞々しさ、さらに、キビキビした澱みのない表現は、特筆に価する。とりわけ、金管や低音に頼りきらない独特の響きのデザインは、世の中のブルックナー演奏に一石を投じるものなのかもしれない。

だが、フランスで活躍するチョンらしく、何よりも音色にこだわる彼の演奏は、ブルックナー演奏の肝である構造美を薄れさせる。例えば、もっともわかりやすい第3楽章のシンメトリカル構造にしても、先日のハウシルトの採ったような繊細なデザインが抜け落ちて、気持ちはいいが、味わいは淡白だ。そのほかの楽章に関しては、構造的な感覚そのものが浮かび上がってこない。

その前に・・・最初の曲目の印象がとても悪かったことがあるのだ。前プロは、チョン得意のメシアンから「キリストの昇天」だが、第1楽章を除けば、さすがに手馴れた表現の優れた演奏であった。しかし、トロンボーン、チューバ、トランペットのみでつくられる、第1楽章が酷いのだ。なにしろ、アイン・ザッツがあわない。ひとつふたつならばまだいいが、この日は逆に、合った部分のほうが少ない。和音をつける2番、3番の奏者が、メインの奏者が吹き出してから遅れて入るので、合うわけもない。なんでこんなことが起きるかというと、普段から、そういう風にやっているからなのだ。よく聴けば、後半のブルックナーでも、この曲の第3楽章でも、和音をつくる奏者が遅れて、ごまかし気味に入ってくるのが分かる。強奏部分では、こういうごまかしも効くだろう。だが、メシアンの第1楽章ではそうはいかなかったのだ。

金管に関しては、ブルックナーでは悪くなかったと思う。恐らくは、そちらのトレーニングに注力したために、メシアンのほうは十分にアンサンブルの磨き上げが及ばなかったに違いない。であるならば、メシアンをやる必要があるのだろうか? ブルックナーの交響曲は完璧に弾かなければ良さが出ず、そこまで作り上げるのに時間がかかるのだから、できれば、それ1曲で勝負すべきであると考える。今回のような感じになると、いくらブルックナーで健闘を見せても、メシアンを切り捨てた印象が残るために、素直に評価できない。

ブルックナーに関しては、既に書いたようなチョンの解釈への疑問もあるが、それ以上に、メンバーの喰いつきがイマイチと感じた。悪くはないのだが、チョンのようなアグレッシヴな指揮者を頂くのあれば、もっと随所に燃え上がるような響きがして当然だ。例えば、第1楽章のおわりも、チョンの棒振りの力強いアクションに対して、十分な響きが来ていない。弦のアンサンブルは美しいものの、特にヴァイオリンは、もっと内側から押すようなアクションがないといけない。別に、同じチョンが指揮する、東フィルのような熱演を期待するわけではない。だが、フォルムにこだわりすぎるあまり、それを超えたものが出てこないという印象が強くしたのも確かなことだ。

まあ、こういうときは、あまり長々と書きすぎても毒になるだけだ。聴衆はかなり喜び、高い支持を得たようで、その点はすこし加味しておいたほうがいいのかもしれない。だが、残念ながら、私はそのなかで取り残された存在とならざるを得ない。あまりにワーグナー寄りの演奏だったことにも、若干の違和感があった。しかし、そのために、このシリーズの優れたプログラム意図は、逆に明確になったとも言えよう。つまり、メシアンとブルックナーは、ともに信仰を中心に据えた作曲家である。一方、ブルックナーとワーグナーというのは、微妙な関係にある。2人は信仰に対するつよい問題意識をもっていたが、最終的にナショナリズムに折れていくワーグナーに対して、敬愛する先達の仕事を踏まえながらも、あくまでも信仰、もしくは、さらに純粋な音楽そのものへのこだわりを貫いたブルックナーと、並べてみると非常に示唆的なものがあるのではなかろうか。特に、今回の演奏では、ブルックナーのもつピュアな音楽性というのを強調して、興味ぶかい演奏でもあった。

それだけに、もっとできたのではないかという想いが、なおさら強いのかもしれない・・・。


【プログラム】 2008年2月9日

1、メシアン キリストの昇天
2、ブルックナー 交響曲第7番(ノヴァーク版)

 コンサートマスター:堀 正文

 於:NHKホール
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2008/2/10

トビリシ弦楽四重奏団 グルジアの響き @東京文化会館(小) 2/9  演奏会

【プロフィールと特徴】

トビリシ弦楽四重奏団は、グルジア人の3人の奏者に、ルーマニア人の奏者が1人だけ混ざっているクァルテット。共通点は、関西のオーケストラで活躍していたことで、祖国の素晴らしい音楽を紹介するための活動が、なんと10年目に入るという。ただし、そのバックボーンから、関東進出はこれが初めてとなる。第1ヴァイオリンのギアルギ・バブアゼのみが、いまも関西フィルのコンサートマスターを務めているが、もとは大阪シンフォニカーのコンマスとして招かれた。第2ヴァイオリンのチプリアン・マリネスクがルーマニア出身で、大阪シンフォニカーの元団員。ヴィオラのザザ・ゴグアは同団の元首席奏者。チェロのギア・ケオシヴィリは、同団から関西フィルに移って、2007年3月まで首席奏者を務めていた。つまり、クァルテットが誕生した98年には、全員が大阪シンフォニカーの団員だったわけだ。

前置きが長くなったが、そのような背景を別としても、彼らの演奏は素晴らしいものだった。今回のプログラムは、響きの美しく、親しみやすい作品から、やや難解な響きのする作品まで幅広かったが、そのどれもが印象的であり、かつ、クァルテットの個性的な響きも楽しむことができた。言葉では表現しにくいが、彼らは4人で1つの独特の「声」をもっていた。実際、ハイテクなスポーツ・カー的グループが台頭するなかで、こういう味のあるクァルテットは逆に少なくなっている。ときには、1本1本の楽器が、壁を突き破ってほしいという瞬間もないではない。だが、彼らにとって、何にも増して大事なものは、この「声」なのであろう。それを潰すことがないように、全員がよく聴きあう良いグループだった。

【親密なアザラシヴィリとツィンツァゼの作品】

演奏会は、現在のグルジア作曲家協会の長であるという、ヴィジャ・アザラシヴィリの「祖国グルジアの風景」(全8曲)より5曲の演奏にはじまる。これは音楽のアカデミズムからは距離を置いた作品で、フランス近代音楽や国民楽派の作風から一歩も進んでいないが、それにもかかわらず、非常にシンプルなカンタービレが効果的で、じんと来る作品だった。前半3曲は1曲ずつ、キャラクターを描きわけて弾いていったが、「ユーモレクス」と「チェラ」は一対のように演奏し、硬軟織り交ぜた「ユーモレスク」の柔らかい表情を枕にして、沈鬱な「チェラ」の深みのある叙情性を、うまく引き出していたのが印象に残る。

スルハン・ツィンツァゼの「弦楽四重奏のための8つの小品」は、彼らのもつ表現の柔軟性をアピールするには打ってつけの素晴らしい曲目だ。チェロがほぼベースに徹しての、カントリー風の「スリコ」に始まり、ファルセットだけを使ったヴィオラの超絶技巧が印象的な「インディミンディ」、全員のピッチカートによるジャズ風の「チョングリ」と、次々に表情が変わっていくのだが、それでもなんとなく繋がっていくのは、例のクァルテットの「声」が歌いだすものであるからにちがいない。後半の4曲では、グリッサンドなどの特殊奏法も増えていくが、それらは全体の流れのなかに自然に溶け込んでいる。軽快な「口うるさい女房」の前に置かれた「蛍」では、こころを打つピュアな響きに、そのような奏法がうまく生かされていた。

【バルダナシヴィリの寂しげな作品】

第2ヴァイオリンとヴィラが抜けて、大隅靖子がピアノで加わった3曲目は、ヨセフ・バルダナシヴィリのピアノ三重奏曲「ビゼーの思い出に」。序奏/提示部/展開部/再現部/コーダという古典的な展開を踏んでいる保守的な作品で、構造はわかりやすい。再現部の型どおりの繰り返しがやや冗長な感じを与えるが、ここを踏まえて、コーダの引き伸ばされていく印象を聴くと、アイロニカルな感じがして面白い。前半は、2つの弦楽器がピアノ伴奏をバックに、それぞれ単独で長めのフレーズを弾く部分があり、「ピアノ三重奏曲」というよりは、ヴァイオリンとピアノ、チェロとピアノの二重のソナタという印象を与える。一見、コンサヴァティヴでありながら、このように少しずらした視点が導入されており、ピアノの内部奏法なども効果的に使われる。全体的には、とても寂しげな雰囲気が刻まれており、最後、内部奏法のピアノを下地にして、2本の弦が静かに眠るように減衰して、厳かなフィナーレを迎えるのが象徴的であった。

あとのカンチェリと似ている面もあるが、アイディアがいささか拡散している感じがあり、その句読点の多さをまとめきれていない印象も受ける。また、バブアゼとケオシヴィリは仲間うちでも対照的な特質をもっており、アンサンブルの完成度の点では、やはりクァルテットの曲目と比べると差があるようだ。なお、使用ピアノは、チラシに「協力」の名前を刻んでいたはずのベーゼンドルファー(当日ののプログラムには名前が入っていない)。弾いている田隅自身の個性でもあろうが、ニュートラルなスタインウェイと比べると、ずっしり重心の低い響きが印象に残った。

【タクタキシヴィリの作品を聴いての拙い私見】

ヴァイオリンとピアノによるオタール・タクタキシヴィリの「3つの小品」は、プログラムによると「悲しみの表情」「服喪儀式を想起させるような悲しいモチーフ」などということが強調されているが、その解説には違和感がある。また、同じメイン・テーマを共有する円環のような曲という解説も、私にはわからない。専門的なことはわからないので、あまり自信はないのだが、私には次のように聴こえた。

1曲目は、ショパンの「華麗なる大円舞曲」のテーマに似た響きであり、序奏はやや憂さを帯びて、そこから徐々に軽い曲想に移っていく。2曲目のアンダンテは、同じくショパンの「葬送ソナタ」のマルシェ(第3楽章)を思わせるものがあるが、響きはずっと明るい。ただテーマが引きずるように保持されて、曲が進んでいかない印象を与える。ショパンのトリオに当たるような部分が、明→明で導入されて展開し、新たに非常に優しい響きが立ち上がる。ところが、A部に戻ることなく、その楽章はおわる。アレグロ・モルトは、ファリャ「恋は魔術師」のピース(だったかな?)に似たテーマが使われている。ヴァイオリンのバブアゼと、ピアノの田隅はよく息があっており、カラッとした表現で全曲を駆け抜ける。

【完成度の高いカンチェリ】

この日のプログラムで、世界的に名を知られている唯一の存在というべきは、ギア・カンチェリであろう。弦楽四重奏曲「夜の祈り」は、4部作『クリスマスのない生涯』という作品の最後のピースに当たるという。後半、はじめ男の僧のハスキーな祈りの声がテープで挿入され、テープの雑音などもバック・グラウンドに使われる。しまいは、ソプラノの祈りの声のイメージが静かに引き延ばされ、それとクロス・オーヴァーする弦の最弱奏が、丁寧に織り込まれて弾きおわる。

最後のテープの導入を含めて、この曲目も句読点が多く、そこにひとつずつアイディアが嵌め込まれていく形で、大胆な展開をみせる。しかし、前半のバルダナシヴィリと比べると、なるほどカンチェリの作品は、そこを貫きとおす構成力の鋭さで図抜けたものがある。とりわけ、「夜の」「祈り」という2つのキーワードが醸し出すイメージが、全体を結わえる役割を果たしている。これらのイメージはいずれも暗さを伴っており、雰囲気的にも似通った部分があるので、ともすれば平板さや停滞に結びつきかねないが、そこを避けるために、カンチェリは句読点の部分で鋭い角度をつけ、聴き手を迷路から救い出すようなデザインを配している。

この曲目のように、4つの声部が明確に区切られている曲目では、彼らの「声」は十分に機能しない。だが、その代わりに、彼ら個々のキャラクターが俄然浮かび上がるのとともに、聴きあいのレヴェルがひとつ上がる。第2ヴァイオリンの重視は、ツィンツァゼの曲目とも共通するが、カンチェリの場合は、その活躍をよりヴィオラにちかい音域に定めて、明確な役割づけを与えているように思われる。そのため、この曲目では第2ヴァイオリンを起点とした展開も数箇所で見られ、そこがまたきわめて印象的だった。

【まとめ〜マドロップ!】

3曲目以降は、やや難解なイディオムも含んでおり、客席は必ずしも大喜びという展開ではなかった。しかし、その演奏の素晴らしさは、既に書いたように疑いないと思う。アンコールで演奏したアザラシヴィリの「ノクターン」は、彼らにとってのスペシャリティであると聞く。確かに、叙情的でシンプルなこのような作品のほうが、彼らの「声」にはよくあっているのかもしれない。ただ、そのような甘さばかりでは、音楽表現が成り立つとは思わない。バルダナシヴィリの寂しさや、カンチェリの厳しく、背筋も伸びるような雰囲気がなければ、それらは決して生きることはない。

とても良いコンサートで、右脳/左脳がバランスよく刺激されたというべきか。なお、今回は正しく「ビッグ」なゲストとして、グルジア・トビリシ出身の力士、黒海関を迎えた(もちろん、特別席を設えてあった)。また、主催の「冬のチェンバロの会」は、有名な「朝日訴訟」をサポートした郡安ひろこ女史と、女性だけのスタッフに支えられる組織であるとのことだ。当会は、阪神大震災の年から準備が始まり、翌年、「冬のチェンバロ<大江光の音楽と上條恒彦のうた>」と題するコンサートをきっかけに、音楽の喜びをより多くの人たちと共有することを願って、13年にわたる活動が続いている。

そんなバックボーンも私の気を惹いたし、今回に関しては、関西のオーケストラの一時期を支えた人たちの集まりであるという付加価値もあった。だが、それ以上に、内容の素晴らしさがまず語られねばならない。勉強していったグルジア語の「ありがとう」=「(グ)マドロプ(ト)」は、ついにタイミングを逸して使えなかったが、ここでその言葉を刻んでおきたい。

 マドロップ! ヴィヴィ、マドロップ!


【プログラム】 2008年2月9日

1、アザラシヴィリ イメルリ/あなただけに/ラヴ・ソング
           /ユーモレスク/チェラ
           〜「祖国グルジアの風景」より
2、ツィンツァゼ  スリコ/インディミンディ/チョングリ
           /サツェクバオ/ツィンツカロ/ソブルリ
           /蛍/口うるさい女房
           〜弦楽四重奏のための8つの小品
3、バルダナシヴィリ ピアノ三重奏曲「ビゼーの思い出に」
4、タクタキシヴィリ ヴァイオリンとピアノのための3つの小品
5、カンチェリ 弦楽四重奏曲「夜の祈り」

 pf:田隅 靖子

 於:東京文化会館(小ホール)
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