2008/1/20

ライナー・ホーネック モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 読売日響 1/20  演奏会

19日に1つ増やしたために、期せずして、オケ演奏会の3連チャンとなった週末です。読売日本交響楽団の演奏会(芸劇マチネー)は、前半がライナー・ホーネックを独奏に迎えた、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲のシリーズ。後半はブラームスの交響曲第3番でした。指揮は、ヒュー・ウルフ。この方、以前に来日したときはフランクフルト放送響の公演だったこともあって、ドイツ語の読みでヒュー・ヴォルフとなっていましたね。ドイツ人だとばかり思っていましたが、実はアメリカ人。フランクフルトがベースということは、カリニャーニの紹介かもわかりません。

まず、そのウルフが振った後半のブラームスの3番ですが、これは良くない演奏だったと思います。本来、とてもシンプルで、ナチュラルなこの曲をいじくりまわし、人工的な曲に仕上げてしまったので、私としては納得がいきませんでした。ウルフはオーガナイズの巧みさこそありますが、音色へのこだわりが強く、ドイツ系、フランス系の指揮者の、ちょうど中間に位置する感じです。第1楽章の冒頭で、きついルバートをかけ、あっと言わせたのはまだ良いとしても、その後もかなり作為的な動きが多すぎるのです。ここのルバートもちゃんと効いてくる場所があるんだろうとは思っていましたが、実際は、ただ引っかきまわすだけで、これが有機的に生きてくる部分はまったくなかったのでした。

オケも図りかねている感じが見受けられ、アイン・ザッツが乱れるなど、このオケらしくない初歩的なミスが散見されたのも、私は指揮者に問題があったと思います。第2楽章はもうルバートなどはなく、やはり、最初の楽章は思いつきだったとわかります。後半2楽章はオケも慣れて来ましたが、第4楽章など、滑稽なくらいに薄っぺらな印象に終始しました。ルバートをやるなら、最後の楽章のほうが面白いと思いましたが、既に放擲されたアイディアが再現することはありません。独特の音楽づくりは結構ですが、ここまで予定調和的になる表現ならば、浅ましいとしか言いようがありません。率直にいって、来季以降、この指揮者は勘弁してほしいものです。

これに対して、前半は「感嘆」の一言で、これだけでお釣りがくるパフォーマンスでした。仮にウィーン・フィルのコンマスという肩書きがなくても、ライナー・ホーネックは十分にやっていけますね。今回は、2番と3番の演奏ですが、基本的なやり方はそう変わりませんでした。溜め息が出るほど美しい音。これ以上ないほどピュアな響き。弾けば弾くほど、澄んでいく音色にうっとなりとなったものです。この日、彼のヴァイオリンに天使が宿っていたと言っても、大仰ではありません。

ところで、この2曲が並んだのは、非常に面白いことだったと思います。2つの交響曲は、ほんの3ヶ月ぐらい隔てて書かれた作品なのですが、コンチェルトとして十分に成熟した3番に対して、2番はまだ書きかけの作品のように、すこぶる簡素な作品です。この短い間に、天才・モーツァルトの筆法は、驚くべき進化を見せたのでしょうか。私は、そうではないと思います。これは筆力云々というよりは、曲のもつ性格のちがいなのではないでしょうか。2番はいわばオーディション、もしくは顔見世のようなもので、いよいよ本番というときのために、3番が書かれたと想像します。中音域でオケが出たあと、いかにもものがちがうと感じさせる、高音で独奏をはじめる冒頭部分がまったく象徴的です。2番は、ヴァイオリンが目立ちさえすればいい。オーケストラには、ほとんど見せ場もありません。3番にもその傾向は残りますが、それでも管楽器や弦にもしっかりと役割が与えられ、協奏的になっている。響きも、ずっと華やかではないでしょうか。

これは、まずはヴァイオリンの妙技で関心を惹き、いよいよ評判が高まったところで、前の作品からは想像もつかないような成熟した作品を出して、二度驚かせるというモーツァルトの演出をイメージさせます。

これらの曲は、重音を駆使してきれいに弾かねばならないとか、とんでもない指づかいがあるとかいう難しさはありませんけれども、その分、ヴァイオリニストの資質が厳しく問われます。ホーネックも、モーツァルトの場合は、ひとつの音だって無駄にできないし、透明感を出していくのは難しいと述べていますが、それだけではなく、テンポやフレージング、響きの質などが、ダイレクトに聴き手にぶつかっていくことになるわけで、しかも、2番のような曲の場合は、オケのサポートもとても薄いですね。今回のホーネックの演奏は、すこし地味な表現ではありますが、音色に温もりもあり、ウィーンの音楽に特有の優美さをも感じさせてくれる演奏でした。ゆったりした構えと、独特の柔らかい響きが印象的です。そして、本当にありがたい演奏だったと思います。

まあ、ライナー・ホーネックのソロ・リサイタルみたいな前半戦でしたが、そこに尽きる演奏会だったと思います。ウルフのシリーズは、これが最後。足の故障にもめげず、お疲れさまでした。そして、さようなら。ホーネックさんは、また秋にお待ちしております。


【プログラム】 2008年1月20日

1、モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第2番
2、モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番
3、ブラームス 交響曲第3番

 vn:ライナー・ホーネック

 コンサートマスター:藤原 浜雄

 於:東京芸術劇場
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2008/1/20

秋山和慶 家庭交響曲 東響 サントリー定期 1/19  演奏会

さて、ソワレは予ねて期待していた東響の「家庭交響曲」だが、期待を大きく上回る出来に驚愕した。1時間ちょっと前にブル8を聴いているのだから、本当はすこしテンションが振り切っていたのだ。しかし、東響は自分にとってホームのようなものだということもあり、もういちどネジを巻きなおせた。それにしても、メインが「家庭」交響曲だからというわけでもないが、「ホーム」というのが、この演奏会を語るキーワードだったかもしれない。ただ、育ての親の秋山和慶の登場だというのに、プログラムのすこしマニアックなこともあって、この日は、良い席でやや空きが目立ったのが残念だ。

演奏会が始まり、ハイドンの優しい音色で、やはり東響こそわが宿であると感じた。NJPの個人主義とは打って変わって・・・否、この日はあちらも温かい感じの演奏ではあったのだが、それに輪をかけて優しい音色なのだ。これも忘れるわけにはいかないが、ブルックナーのイメージは、いったんきれいに洗い流された。曲目は「驚愕」だが、そのニックネームよりも、ずっと柔らかく優雅な演奏である。秋山の端正なアンサンブルづくりが光り、肩肘張らず、ファニーな魅力に満ちたハイドンらしい演奏が展開した。思わず、表情が緩む。

つづく諸井誠の曲目は、大バッハへのオマージュを表現した、「T」の無伴奏フルートのための曲と1セットになるものらしい。ヴァイオリン独奏を伴い、3、4、1、2、5という数列を用いたトータル・セリーに基づいて、部分的に「音価」の要素も交えて、全体が系列化された曲だという次第。「楽」識に疎い私には、バッハとの関係性はよくわからないが、サウンド自体はノーノなどを思わせる厳しいものをイメージすべきだろう。オーケストラはバックでいろいろとやっているわりに、とてもクールで、静謐な印象を与えた。そして、前面のヴァイオリン独奏がなんとも魅力的だ。よっぽど、それはこの日のソリスト、前橋汀子の豊満なパフォーマンスが決め手になっているのかもしれない。

前橋は名前こそよく目にしていたもの、実演に接するのはこれが初めてだった。その印象は鮮烈で、なんとも巧い。弾きだしのヴィオラのような深い音、そこから高音に急に抜けていくときも、本当に美しいテイクオフを見せる。自然体の柔らかな音を響かせ、力まず、しかし、しっかりとした音を客席に届けることができる。複雑なリズムを体じゅうで受け取り、溌剌と外界に送り出していく。難しい曲だが、それを自らのなかにすっかり入れてしまい、知情意がバランスよく組み合わされた演奏だ。80歳に近づく作曲者が来席のなか、これ以上はなかなか・・・というパフォーマンスを披露した。

そして、休憩後のR.シュトラウス「家庭交響曲」は、今シーズン(東響は4月−翌年3月)でいえば、ガンバのショスタコーヴィチに肩を並べる凄い演奏になった。R.シュトラウスは、それなりに演奏すれば、聴き栄えのする音楽が多いのだが、今回はその範疇を大きく越えた。オケで演奏しているような年齢の人ならば、この音楽がもつテーマは共感しやすいものがあろう。そのこともあるだろうし、秋山のもつ優しさ(ときには厳しさ)も、東響のホームメイド的なサウンドの特質も、そして、最近、身につけてきたところの音色の豊かさ、合奏の安定性と一体感、そして、オペラへの取り組み・・・と、彼らの血肉となってきている諸要素が、ここで一体となったという感じがする。

とはいえ、私はこの曲の標題的なものに注目するよりも、単にシンフォニーとして聴くほうが健全だし、楽しみやすいと思っている。秋山の演奏も、基本的には、その線であったろう。主題やその動きを丁寧に組み立てて、フォルムを優先しているように感じられた。特に、緩徐的なアダージョ以降において、今回の演奏は輝きを増したといえよう。逆にいえば、それだからこそ、そこに寄り添うように飾られた標題的な要素が、いよいよ意味をもって匂い立ったというべきなのかもしれない。

それを象徴するのは、最後のパートで、まったく溶け合うはずのない二重フーガを、子の主題が結び合わせるという神業的な部分であることは、論を待たない。ここがハッキリ浮かび上がらなければ、標題もなにもあったものではないだろう。こうした部分が、R.シュトラウスの凄いところなのだ。最初の部分の第2主題では、夫人の主題が出る。例えば、ここで女性的な部分を強調しようとして、フォルムを犠牲にしてまで優しく弾くとすれば、それは自殺行為というものだ。その瞬間、夫人の存在は消え、全体の性格までが蒙昧となろう。ここはきっちりと、フォルムを出さねばならない。第一、シュトラウスの作品からみる限り、パウリーナ夫人はつよい女性だった!

印象的な部分を、いくつかあげておく。まず、冒頭のチェロのパート・ソロから、丁寧なアンサンブルが始まる。ボーマン首席を中心に、チェロはハイ・ポジションの難しい部分も、淡々と決めていた。弦はキビキビとしながらも、こころのこもった音色の明るさが印象的だ。子が登場する部分は、どこか出産の苦しみを感じさせるような、重みをも感じさせる。その後の愛らしい場面では、列席のみなさま、自身や近親の愛息を想像なさって楽しまれたに違いない。ただし、きっとジークフリートのような英雄になりそうな、大仰なサウンドには笑いを堪えられただろうか。ヴァイオリンとチェロの呼び交わしは、はじめ、やや交錯したような感じで、二度目はよりスイートに演奏した。大谷&ボーマンの肝胆相照らすコンビで、申し分ない。子が眠りにつく場面の、ホッとさせる響き、その後の愛の語らいなど、まず音色で聞かせているのが凄い。ダモーレをはじめ、木管が好調。アダージョを過ごし、フィナーレは、響きの構築が見事だ。シュトラウス得意のイディオムを織り込みながら、特に金管の、正しく目の醒める響きが爽快だった。とはいえ、その部分を無理に押し出すわけでなく、弦・管の響きと丁寧に調和しているのが、素晴らしい。東響の金管は、いま、在京のすべてのオーケストラのなかで、総合力と表現力の細やかさでは一番だ。

終盤、最強奏を迎える場面の響きの搾り出しは、見事なものだった。これ以上やると下品になりかねないスレスレのところまで、オーケストラを絞り上げた秋山に拍手を送りたい。弦は最後のプルトまで、しっかり押しきっているし、降り番だったであろうハミルまで助奏につけたホルンの咆哮なども、潤いがある。最後はシュトラウスらしい豪華絢爛の響きで、ちっぽけな家族の絆を彩る。いちばん頂点ですこしカクッとなったのを除けば、フィナーレの部分はまったく見事なものだった。響きと、想いが、バランスよく折り重なって、一段高いところに上がった。私などは、おわりの10分くらいは、ずっと泣いていたものである。

子を持たなければ、連れ添えさえいない私が言うべきかわからないが、夫婦で聴いてほしい演奏だった。こころが癒される。正しく、ホームの雰囲気がそこにはあった。秋山が帰宅して、彼の育て上げた家族たちとともに作り上げた演奏、秋山和慶&東響だからこそ醸し出せた温かい世界だった。実は東響は「ルプパ」以来で久しぶりだが、いよいよ好調というところ。楽曲も違えば指揮者の個性もあるけれど、ミューザ効果もあり、アンサンブルの美しさがNJPと比べても、はるかに質がよかった。音色も豊富だし、技術的にも向上の跡がハッキリ見て取れるのだ。2月には、新国で「サロメ」の演奏も控えている東響。これは期待できそう。

さすが育ての親、東響はまだまだ秋山のオケだ!


【プログラム】 2008年1月19日

1、ハイドン 交響曲第94番「驚愕」
2、諸井誠 JSBへのオマージュU
     〜vnとorch.のための協奏組曲
3、R.シュトラウス 家庭交響曲

 vn:前橋 汀子

 コンサートマスター:大谷 康子

 於:サントリーホール
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