2007/11/4

ゲルギエフ マリインスキー劇場管 『火の鳥』ほか 横浜公演 11/4  演奏会

来年1月は、オペラでの来日が決まっているマリインスキー劇場の管弦楽団が、芸術監督のゲルギエフとともに、これから半月で11公演をおこなう。初日の横浜公演を拝見した。ストラヴィンスキー「火の鳥」を中心としたプログラムで、ほかに、この楽団ならではのリムスキー=コルサコフの珍しい管弦楽曲が舞台にかかった。

【帳尻はあわせた〈踊る〉火の鳥】

メインの「火の鳥」は全曲版での演奏だが、やや完成度に欠けるものの、指揮者も楽団も得意のプログラムだけに、さすがに帳尻はあわせてくる。冒頭のゆったり踊るバスの響きからして、ダンサーの動きを意識した演奏である点は、さすがにゲルギエフというべきだ。前半は、崩しすぎず、組み立てすぎず、ストラヴィンスキーの描くフォルムの複雑さを知的に捉えて、形を整えていく。

全体に弦はいいのだが、木管や金管の安定感に欠け、解釈の厳しさに対して、実践が伴わない印象だった。それでも、やはり本場ものの音色はいいもので、何となくもたせてはいたものの、「カッチェイ王の踊り」の盛り上がりなどに入ると、やはり金管の粗さなどが目立ち、少しくがさつに聴こえるのは仕方ない。風を切る転換の鮮やかさはあるとしても、それが後ろに繋がっていかない。整然とあわせこむというよりは、各パートが受けもつべき役割のなかで、どれだけ自分の内面的なものをぶつけられるかということに、集中が傾けられているようにも感じた。これは、劇場のオケならではのものかもしれない。

ただし、あとで述べるように、前半の曲目では強奏部での響きの美しさが出色だったが、このあたりまでは、弱奏部の繊細なアンサンブルで場をもたせている感じもある。カッチェイ王のあとも、ララバイの深みのある音色で一気に取り戻す。さらに、柔らかなホルン・ソロですべてが浄化され、火の鳥の飛翔する様子が雄大に描かれるところの、アンサンブルの美しさは、それまでのパフォーマンスを吹き飛ばしてしまう。急速にギアが入り、ゲルギエフが手を下ろすごとに、強烈な圧力で閃く響きの切れ味はさすがだ。幕切れの部分も、全体が響きを覆い被せるようにして、最後のエネルギーを燃焼させるかのように一閃して、音が切れた。

【オードブル】

遡って、演奏会は金管五重奏とパーカスによる歌劇「ムラダ」のピース〈貴族の行進〉ではじまる。明らかに練習不足だが、サーヴィス・プログラムだろう。つづく歌劇「プスコフの娘」の序曲で、いよいよゲルギエフが顔をみせる。なかなか豪壮な演奏。弦の美しさが際立っている。見せ場は、おわりのほうにあるホルンの高速タンギングだが、上手に決まった。

【フェヴローニャと名演の金鶏】

そのあとの2曲が、この日の聴きものだった。まずは、歌劇「見えざる街キーテジと聖女フェヴローニャの物語」の組曲。これは以前、テミルカーノフのオケで聴いたことがあるが、明らかに、こちらのほうが優れた演奏だ。オペラ的に雄弁な演奏で、状景が目に浮かぶようだ。長閑で美しい街の風景が木管を中心に浮かび上がり、金管による凄惨な争いの描写から、水底にゴボゴボ沈んでいくときの表現の細かさも印象的。フェヴローニャの印象がやや希薄だが、浮かび上がる街の奇跡的な光景には息を呑むほかない。

よく練られた演奏ということでいえば、メインの「火の鳥」よりも、このフェヴローニャと、つづく「金鶏」の組曲が上である。リムスキー=コルサコフの最高傑作ともいえる「金鶏」の組曲版は、作曲者自身による管弦楽曲版を弟子のシテインベルクが4曲に編みなおしたものだ。この日の演奏は、この1曲で最高の高みに達した。なにしろ、響きがすこぶる良い。金鶏の鳴き声もトランペットの鋭い高音なのだが、マリインスキー劇場の柔らかい金管の音で聴くと、なんと愉悦的なことであろうか。アルメニア風の舞曲風の旋律が、典雅な響きで奏でられる部分も、優雅な気品に満ちみちた美しさだ。隅々まで行き届いたアンサンブルの美しさが、薄膜を重ねるように敷き詰められ、小さなエピソードでも隙なく続いていく。

もっとも優雅な「シェマハの館でのドドン王」が、ひとつのヤマである。ここでは、女王に歓待されて夢見心地のドドンの様子が、中間でしっかりした緊張を保ちながら描かれているのが出色だ。ファンファーレはやや控えめにして、「ドドン王の結婚と不幸な最期」には、ほぼアタッカで突っ込んでいく。グロテスクな幕切れを暗示する冒頭部分だけ、やや煮込みが足りないものの、宴が始まると、弦楽器や金管、木管のエピソードが整然と展開していき、強奏部に入るほど響きが美しくなる。王の最期にしっかり休符が埋め込まれたあと、結びの颯爽とした弾きおわりまで、素晴らしい集中力だった。

【結びついていくプログラム構成の妙】

この日のプログラムは、よく計算されている。「プスコフの娘」と「フェヴローニャ」の運命は似通ったところがあるが、片や悲恋、片や祝福の婚礼で幕を閉じる。その2つの要素が、「金鶏」に入り込んでいる。ドドン王は祝福のうちにシェマハの女王との婚儀をあげるが、それは自らの死と結びついていた。これは一見、幸福なフェヴローニャの奇跡が、プスコフ総督の娘の悲劇と、隣り合わせであったことを示唆する。そして、今度は、金鶏から火の鳥への連想となるが、カッチェン王によって踏みにじられたあと、王子が火の鳥の力を借りて魔界を滅ぼし、再生するという部分は、再びフェヴローニャの世界を想起させるのである。

【心配されるキーロフ劇場のアンサンブル】

このような要素もあり、充実した演奏会であったことは間違いない。ただ、この劇場は今後、上げ潮だとはいえないのかもしれない。クラリネット・フルート・オーボエのトアングルを中心とする木管のアンサンブルや、持ち味であるはずの金管などにも綻びが出ており、これで弦が傷んでくると、一時、世界を席巻したマリインスキー劇場の権威も危うくなる。歌劇場のオケとしての、一球入魂の思いきったパフォーマンスなどは評価するとしても、その精度は、やはり気になるところだ。「フェヴローニャ」と「金鶏」でウルッと来たものの、前回のワーグナー(@所沢MUSE)ほどの感動は得られなかった。それに、ホールの響きの悪さもあったであろう。しかし、そうであっても、ゲルギエフにハズレはなかったとも言い添えておきたい。


【プログラム】 2007年11月4日

1、R=コルサコフ 貴族の踊り〜歌劇「ムラダ」(金管五重奏)
2、R=コルサコフ 歌劇「プスコフの娘」序曲
3、R=コルサコフ 歌劇「見えざる街キーテジと
            聖女フェヴローニャの物語」組曲
4、R=コルサコフ 歌劇「金鶏」組曲
5、ストラヴィンスキー バレエ音楽「火の鳥」(1910年 全曲版)

(アンコール)リャードフ 交響詩「バーバ・ヤガー」

 於:横浜みなとみらいホール
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2007/11/4

大塚直哉 監修 ディドとエネアス @浜離宮朝日ホール 二期会CP公演 11/3  演奏会

さて、今日は文化の日。こんな日にこそ、素晴らしい公演は待っていた。この日、浜離宮朝日ホールでおこなわれた、パーセル「ディドとエネアス」を中心とする公演は、池田直樹を代表とする二期会の子カンパニー、直樹企画(二期会コンサートプランニング)によるもの。この有限会社は、二期会の本公演とは別に、所属の歌手を使った公演企画を任されることになっているそうだ。その仕組みはよくわからないが、世界的に有名なコンティヌオ、鍵盤奏者である大塚直哉を音楽監督・指揮者に迎えたことで、思いも寄らないような成果をもたらした。

メンバーは、ロールをうたう歌手とコーラスの一部が二期会所属のプロ歌手。管弦楽は、桐山建志をコンマスとする臨時編成の古楽アンサンブル、コーヒーカップ・コンソート。これに、東京女学館の高等部で音楽を選択する(音楽専門学校ではない)生徒のうち、有志17名がコーラスに加わった。ここがポイントのひとつになる。

さて、演奏会の前半は、器楽のみによるプログラム。ヴァイオリンと通奏低音によるソナタから、大編成の曲までが演奏される盛りだくさんの内容だった。まず、桐山と大西律子のヴァイオリンによる「2本のヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ、通称「黄金のソナタ」で幕を開ける。2つのヴァイオリンの安定度が高く、コンティヌオのチェンバロ(大塚)とガンバ(西谷尚巳)が目一杯に暴れられる。

2曲目には、この日の主役であるヘンリー・パーセルの弟、ダニエルによる秘曲「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」が演奏される。これが前半の演奏の白眉となったが、大塚=桐山という、このコンサートの大黒柱2人による堂々たる演奏により、兄よりも敬虔な感じで、しかも、こころの深いところをぐっと抉るような曲想が、見事に浮かび上がった。あとで舞台となる部分に上がった桐山のヴァイオリンの、伸びやかで色彩ゆたかな演奏につけて、大塚のチェンバロも雄弁にうねりを見せる。緩徐楽章ではチェンバロがリードになっており、そうした部分での大塚の繊細、かつ、ダイナミックなパフォーマンスには瞠目させられた。チェンバロの醍醐味でもある表現のダイナミックさと、それとは対照的でさえある繊細な詩情が、ここまでバランスよく融和したチェンバロ奏者には、なかなか出会えないものだろう。

3曲目の「7声のイン・ノミネ」からは、弦楽合奏になる。バロック・オーボエとリコーダーが華やかにうたうシャコンヌ(劇音楽『中国人の男女による踊り』より)から、あとのオペラをも想起させる多彩な感情が詰め込まれた「シャコニー」、そして、再び木管楽器が入って華やぎ、曲名とは裏腹に上品な舞曲が、ときに型を打ち破るように暴れだす「怒涛の踊り」(歌劇『予言者、またはダイオクリージャン』より)までは、続けて演奏された。特に、真ん中の「シャコニー」に織り込まれた音色と感情の豊かさは、コーヒーカップ・コンソートの卓越したアンサンブル力を証明し、後半への期待を増幅させるものだった。これらの曲目では、大塚がヴァージナルを弾きながら指揮をした。ここまでで、相当な満足感あり!

演奏会形式によるオペラのほうは、前半で見せつけたコーヒーカップ・コンソートのフォローもあり、安心して見られる舞台となった。管弦楽の後方に小舞台が設えられ、簡単な演技がついた。魔法使い役の村林徹也がストーリー・テラーを兼ね、あらすじを説明しながらの舞台進行は、二期会の研究会などでお馴染みのやり方である。村林だけは帽子を被り、それらしい衣裳に身を固めている。

歌手たちは、大塚のセレクションによるものか、バロック向きのアジリタの利く、基本のしっかりしたきれいな声の持ち主ばかりが選ばれている。特に、二期会本公演ではワルキューレのうちの1人でワーグナーに出演することが決まっている、北沢幸のディド役が一歩抜けているように感じた。ふくよかな体つきながら、見かけによらない丁寧な発声で、伸びもいい。ヴィブラートは必ずしも抑えていないが、それにもかかわらず清潔感のある歌声が凛々しく、ディド役にはピッタリだ。終幕の大事なアリア「私が地に伏すとき」は、後奏の美しいコーラスと合奏を引き出すにふさわしい気高さを讃えていた。

一方のエネアス役の三塚至も、第2幕で、魔女扮するゼウスの使いにイタリア行きを命ぜられ、涙のうちに旅立ちを決意する場面で、先のディドの嘆きの歌と対をなす繊細なパフォーマンスを見せた。また、敵役のバスを歌った村林は、歌唱の面でも存在感が抜群であった。そのほかの歌手も小粒ではあるものの、よく劇を支えてくれたと思う。

さて、今回の上演のポイントは、合唱であった。二期会所属のコーラスに、17人の高校生が加わったアンサンブルを、積極的に浮かび上がらせたのが成功の要因である。特に、学生ほど熟しきっていない高校生たちのコーラスが、むしろピュアな音楽的愉悦となって、素直に響いていくるのが効いた。いろいろな役割で随所に埋め込まれている合唱を引き立てるために、この若い声が果たした役割は重要だった。東京女学館では昭和5年から受け継がれるという、青いシルクのリボンが飾る、オーソドックスながら洗練された白いセーラー服の美しさも、目を惹いた。

パーセルの音楽はシンプルだが、要所にふかい陰翳を散りばめ、明るく典雅な舞曲風のシーンとの対比が興味ぶかい。チェンバロ・ヴァージナル、ガンバ、リュート・ギター、ヴィオローネによる通奏低音セットが、厳しく音楽を緊張させている。中でも、栗田涼子の弾くヴィオローネの響きは、忘れがたいものになりそうだ。2本のガンバ(西谷、深沢美奈)もよく効いているし、佐藤亜紀子のリュートやギターもこころをくすぐる。

どこが良い/駄目というよりは、全体のチームワークが、非常に高い次元で結びついた理想的な公演である。前半から楽しくて仕方がなく、オペラおわってからは、今年いちばんの感動を覚えた。見事な企画!

【プログラム】 2007年11月3日

第1部 古楽器による合奏

 ・2つのvnと通奏低音のためのソナタ ヘ長調
 ・vnと通奏低音のためのソナタ ヘ短調 (D.パーセル作)
 ・7声のイン・ノミネ
 ・シャコンヌ ハ長調〜中国人の男女による踊り
 ・シャコニー ト短調
 ・怒涛の踊り〜歌劇「予言者、またはダイオクリージャ」

第2部 パーセル 歌劇「ディドとエネアス」(演奏会形式)


 管弦楽:コーヒーカップ・コンソート(コンマス=桐山 建志)

 音楽監督・指揮 大塚 直哉
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