2007/10/14

ロジェストヴェンスキー 王女イオランタ 読売日響(芸劇マチネ) 10/13  演奏会

読売日響で、ロシアの珍しいレパートリーに取り組んでいるロジェストヴェンスキーだが、今回も、チャイコフスキーの組曲第2番と、歌劇「王女イオランタ」の演奏会形式上演をおこない、この作曲家のまだ知られていない部分に光を当てた。コンサートマスターは、デヴィッド・ノーラン。

まずは組曲だが、私としても、これがはじめての体験である。これまでに聴いたことがないような響きの多く見つかる曲で、当時としては独創的な作品だったであろう。もう一歩、チャイコ邸の奥座敷に入れてもらった感じで、得がたい機会であった。演奏経験は少ないが、ロジェヴェンの手引きとあれば、まったくお手本のような整然とした演奏に仕上がった。「ワルツ」の部分のやや重いロシア風のテイストや、「子どもの夢」の深い陰翳が印象的である。第3曲「スケルッツォ・ブルレスケ」では、アコーディオンが組み込まれており、金管と木管のテイストを合わせたような、その間をつなぐようなウインド的な音色がして面白かった。

歌劇のほうも、新しさと、オーソドックスさを併せもった作品で、興味ぶかい。バレエ音楽のようなリズムが終始、脈打っており、体のなかを血が流れるように、自然なうねりをもった作品だった。フランス人の書いたクセジュ文庫のオペラ史では、ほとんど、どうでもいいような扱いだが、ロジェストヴェンスキーは「最も詩的なオペラ/良いものがすべて入っている」という意見を寄せている。その両方の要素が読み取れた公演であった。

木管とホルンだけによる「盲目のテーマ」は、まずインパクトがある。ストリングスが入ると、ぐっと響きが華やかになり、イオランタと侍女のマルタが現れる。王女役の佐藤美枝子は、はじめのほうは声の飛びがやや悪かったが、全体としては好調。彼女自慢の透き通った声の味わいを、久しぶりに聴く思いがする。マルタの菅有実子は、上演を通して芯のしっかりした声を響かせた。花の唄から、子守唄まで、2人の友達を交えて、華かな響きの交歓がつづく。歌には、細かいオブリガードがいろいろに付加されて、響きの優雅さは出色。ストリングスよりも、木管のストーリーテリングが主体なのが面白いところだ。

劇は進む。王は娘の不幸を嘆き、医者に紹介する。エブン=ハキヤはイスラム系の名前なので、その歌につける音楽は東洋風だ。ただし、中東的というよりは中国的で、プッチーニの音楽を先取りしている。医者役の大田直樹、王役の成田眞も好演だ。第2幕は、恋人役のボデモン(テノール)と、許嫁のロベルト(バリトン)が現れる。ボデモンの経種廉彦はキャラクターでの出演が多いが、こうした役どころも十分にこなせる。イオランタの存在を暗示する、憧れの歌は力強く、立派だった。ただし、この役は意外にタフな感じで、王女が目覚めてからはやや精彩を欠いた。

王女が目覚め、ボデモンと光と闇について語りあう二重唱は、佐藤のリードもあって、感動的な場面を築く。バックのオーケストラも、輝かしい響きを盛り上げ、2人のやりとりを彩る。その後、いろいろあって、王女がボデモンのために手術を受け、目が見えるようになる部分は、佐藤の健気な歌いくちと、オーケストラの爽やかなフォルムが相俟って、厭でも感動を誘う。最後はオラトリオのような感じになり、荘厳な響きのなかで神を讃える。そうか、ここにこそ眼目があったのだと納得させられる。やはり西洋人にとっての信仰は、どんなときにあっても大事なものなのだ。

筋としては、盲目を王女が自覚していないというのも変な話だし、あっという間に目が見えるようになってしまうのも不可思議。でも、そのあたりは、お伽ばなしということで・・・。

上演自体は面白かったが、読売日響のやり方は、すこしく稚拙である。まず、女役4人に緑系のドレスを着せて、ナチュラルな雰囲気を出したのはいい。だが、男声は6役が皆、普通の燕尾服であるので、人間関係がわかりにくい。演奏会形式であっても、衣裳ぐらいは変えるべきであったのではないだろうか。また、キャストも出ないときは椅子に座りっぱなしでなく、出入りがあってもよかったのではないか。さらに重要なことは、字幕が見えにくい。舞台脇の席を閉鎖しなかったため、字幕板が奥まった位置になり、しかも、緑色の文字がただでさえ見にくい上に、照明を消さないので、上から見おろす場合、なおさら読みにくかった。もしも、この上演に期待されたような反響がなかったとすれば、このことが大きく影響した可能性は高い。

まあ、予算も無限ではないので、ここまでロジェヴェンの要求を通すだけでも、一苦労だったのであろう。公演時間が長くなるため、楽団は事前に葉書を出して、そのことを通知したりもしていた。そのような努力があり、このような珍しい二本立てが実現したことだけでも、我々は感謝すべきなのかもしれない。
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2007/10/14

ブルネロ 紀尾井シンフォニエッタ東京 「田園」交響曲 10/13 (ソワレ)  演奏会

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)の新シーズンは、かねて肝胆相照らすチェリストのマリオ・ブルネロを迎えての演奏会である。通常、金曜日のソワレと土曜日のマチネの開催であるが、今回は、某カード会社の冠企画で、土曜日のソワレにも特別公演が組まれた。私が聴いたのは、その最後の公演である。

メインに置かれたベートーベンの交響曲第6番「田園」が、随所に霊感の満ちみちた素晴らしい演奏だった。ブルネロの音楽づくりは、ピリオド的な裏づけなどとは無縁で、かなり自由な構成であるにもかかわらず、アンサンブルには清潔感があり、パーツごとによく練りこまれ、考え抜かれた細部の美しさに満ちていた。標題音楽であるところの「田園」交響曲というよりも、響きそのものに焦点を合わせた演奏は、ある意味ではドライであり、独特な味わいを醸し出していた。

第1楽章は、非常にゆったりした展開がベースとなっている。軽いアンサンブルでエネルギーを溜め込んで、桶がいっぱいになると、ざっと進めるという具合である。そのとき、ほとばしる響きが擦れあって、荘厳な響きが浮きあがってくるが、そこに霊的なまでの響きの神々しさが乗っていく。もうひとつ特徴的なのは、響きの厚みをヴィブラートに頼らないために、ダイナミック・レンジを広く使うようにした点である。これがKSTにはよく合っており、さすがに名手揃いだけあって、響きの出し入れがスムーズで見事なものである。また、テンポ設定からいっても、それは妥当なものだったといえる。さらにいえば、そうした響きの扱いが、先のような荘厳さを生み出すもととなるのであり、このあたり、一貫した演奏意図が明確である。

ブルネロは自ら一本一本の楽器を弾くような拘りで、どの声部も蔑ろにしない。また、一瞬たりとも、ゆるがせにしない緊張感のある演奏で、全体を貫き通した。こんな丹念な演奏は聴いたことがない。第1楽章は3つぐらいの頂点で響きを昇華させ、田園の長閑さなどは感じられないものの、その分、響きは引き締まって、厳しいほどであっても、全体としてリラックスした響きがたっぷり歌いこまれ、感動的な演奏である。

第2楽章は、本当に何もないのんびりした田園の風物を、響きそのものからイメージさせる。絵画的とはいえず、あくまで音楽的に、遠く染みわたっていくような響きで、それを実現している。ストリングスなどはいいが、前楽章と同様、一本一本の楽器を大事に扱っていく音楽づくりであるがゆえに、クラリネットの不調はやや惜しまれた。だが、それをサポートしていく全体の一体感は何ともいえない。木管による鳥の囀りは、ただ模倣的にやるのではなく、人工的なものが天然のものに変わっていくような感じを出し、独特の変容のイメージが捉えられているのは興味ぶかい。

アレグロのスケルッツォに入ると、良い意味でアマチュア的な、思いきったアタックが魅力である。通常の半分くらいの小編成であることもあるが、腕自慢の奏者たちが、こんな剥き出しの表現を敢えてするのは珍しいといえる。これも、ブルネロならではである。やや粗いともいえるが、それがなくなったら、この演奏は骨抜きになる。スケルッツォの頂点を形づくるホルンも、煩いくらいの最強奏だった。この楽章あたりから、低音の響きが俄然面白くなってくる。転調を導くチェロの動きもそうだが、その後のフォルムを象るコントラバスなどの動きが出色だ。この楽章も、あまりテンポ・アップせず、嵐の部分に辿り着くまでには、時間がかかった。

その嵐の部分は、プルト数が少ないこともあって弦のマスクがとれ、代わって、ティンパニーや金管楽器を交えた響きのデザインが独特だ。特に、名手・近藤の叩くティンパニーがスリリングな動きで、全体を印象づける。太鼓の響きが大風のような衝撃で、思わず体も動くというもの。アンサンブル全体が、吹きっ飛ばされるような勢いだ(但し、近藤のティンパニーだけに、響きそのものは美しい)。このあたりも描写的な要素より、響きの繊細に焦点が当てられており、頂点では、第1楽章で印象づけられたような神々しいまでの響きが再現し、やはり、霊感に満ちた演奏であるのは一貫している。

第5楽章に移っても、低音の重みがしばらく残って、解決が若干先延ばしされる。序盤の主題は曖昧で、コーダへ向かって響きを少しずつ積み上げながら、主題そのものを完成させていくようなデザインも独特。おわりの部分は、静まる部分での響きを減らすことなく、しかも、明確に弱奏を導いており、このマジックがどのように実現されたか、私にはわからない。最後、響きを持ち上げる部分への移行が、きわめてスムーズ。昇華する響きは、何かに捧げられるような感じであった。ほんの僅かな余韻が残る。客席から、弱い掛け声。ほぼ同時に拍手もはじまる。こうして、KST数年来の演奏のなかでも、特筆して素晴らしい演奏が幕を閉じた。

前半は、武満徹の「3つの映画音楽」から。この程度の曲は、KSTのメンバーならば朝メシ前なのであろうが、(悪い意味ではなく)余裕のある演奏で、ブルネロなりに日本を理解してくれたような演奏として、記憶に残りそうだ。「黒い雨」の葬送の音楽から、「他人の顔」のワルツへの移行が、情緒たっぷり。ニーノ・ロータの古色蒼然たるチェロ協奏曲は、管の音色などをうまく使った演奏である。独奏部は、やはり古今の名曲と比べるとインパクトが薄いのは止むを得ない。その範囲で、ブルネロもオーケストラもしっかりしたパフォーマンスをみせた。弾き振りといっても、独奏部も多く、ほとんどブルネロが独奏に専念するなかで、管のアジャストの素晴らしさは、このオーケストラの成長を感じさせるものであった。


【プログラム】 2007年10月13日(ソワレ)

1、武満徹 3つの映画音楽
2、ロータ チェロ協奏曲
(vc:マリオ・ブルネロ,弾き振り)
3、ベートーベン 交響曲第6番「田園」

 コンサートマスター:豊嶋 泰嗣

 於:紀尾井ホール
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