2007/9/17

地方オーケストラ 三題@ 〜札響・エリシュカ〜  クラシック・トピックス

地方オケの動きが、活発である。ここでいう「地方オケ」とは、東京圏以外のオケという風に解釈してほしい。常時活動するプロ・オーケストラとしては、北から、札響、山響、仙台フィル、オーケストラ・アンサンブル金沢、群響、名フィル、セントラル愛知響、京都市響、大フィル、関西フィル、大阪シンフォニカー、大阪センチュリー響、広響、九響がある。このうち、特に進境著しいのは、仙台国際音楽コンクールのステータス・アップや、「せんくら」音楽祭の開催もあって、東北の音楽首都となりつつある仙台の、仙台フィルであろう。パスカル・ヴェロの常任指揮者への就任から、1年半ちかくになろうとしているが、急速に力をつけ、今年の東京公演も好評だった。

また、従来より、大植英次&大フィル、高関健&群響のしっかりした活動については知られている。広響・九響はともに、国内屈指のオーケストラ・ビルダーである秋山和慶をトップに迎えて、着実に足もとを固めつつあるようだ。山響も、飯森範親との出会いが幸運であったようで、面白い存在になりつつある。

さて、ここで取り上げるのは、名フィル、京都市響、札響の動きについてである。これらの楽団はそれぞれ、ティエリー・フィッシャーの常任指揮者就任(2008年4月〜)、広上淳一の常任指揮者就任(同)、ラドミル・エリシュカの首席客演指揮者就任(同)を発表しているが、その話題を中心に置く。この3人は、国内での知名度こそさほどでもないが、これらのオーケストラに絶大な影響を及ぼしてくれそうな3人だからである。

まず、エリシュカから。彼の地位は最高ポストではないため、楽団に及ぼす影響は他ほど決定的なものではない。しかし、財政破綻危機などをひとまず乗りきった札響にとって、久しぶりに華々しい話題であるから注目される。しかも、この人事は、なかなか望み得るものではないことにも留意したい。なぜならば、エリシュカは本場・チェコのドヴォルザーク協会の会長というステータスにありながら、ほとんど国外では活躍することのない指揮者だったという事情があるからだ。

多分、そのことには2つの理由がある。1つは、エリシュカの郷土愛が圧倒的に強く、拠点を他に移すことを考えることがなかった。もう1つは、ビエロフラーヴェクやコウトのように、他国で活躍するときに必要なインターナショナリズムを嫌い、一途に郷土的な演奏を貫きたいと考えていた。また、その魂を自国の若い人たちに伝えようとすることに熱心だった。これは推測であるが、当たらずとも・・・というところであろう。少なくとも、彼は国外で華々しく活躍することよりも、自分の愛する土地で、彼らにとっての魂ともいえる音楽を伝えていくことに、強い使命感を抱いていたのは確かである。

2006年12月、札響とエリシュカは、正しく運命的な出会いを体験した。遠く離れた関東では話題にもならなかったが、他に大阪センチュリー響にも客演している。関西での公演はともかく、札響でのプログラムは以下のようなものだった。

 @スメタナ 〈ボヘミアの森と草原〉〜連作交響詩「わが祖国」
 Aドボルザーク 交響詩「金の紡ぎ車」
 BR・コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」 

12月8日と9日の2日公演だったが、いままで聴いたこともないようなチェコのベテラン指揮者には、誰も注目していなかったらしい。だが、8日の公演が終わるや、会場は興奮に包まれ、翌日の公演は語り草になるほどの大盛況となったようだ。エリシュカのほうでも、常ならぬ手応えがあったのであろう。この2日間を忘れられない聴衆たちのために、札響はいままでなかった「首席客演指揮者」のポストをエリシュカのために用意して、オファーをかけたところ、大げさにいえば門外不出というところだった、この老匠が、意外にもポストに就くことを内諾したのである。

こんな作り話みたいな展開が、実際にあったようなのである。

残念ながら、2007年の来日予定はないが、ポストに就く2008−09シーズンには、必ずや、指揮機会をつくってくれるであろう。そのときは、私のように遠い土地からも興味をもつ音楽ファンが少なくないと思っている。だが、地元での評判も考えれば、そう簡単にチケットは入手できないかもしれない。

札響は、国内でもつとに評判のいい札幌コンサートホール「Kitara」を根城に、夏のPMF音楽祭のホストとしての活動もあり、一時の危機が嘘のような充実を目指しつつある。エリシュカとの奇跡的な出会いは、その伝説とともに、全国の音楽ファンの関心を呼んでいる。
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2007/9/17

地方オーケストラ 三題A 〜名フィル・T.フィッシャー〜  クラシック・トピックス

つづいて、名フィルに大改革をもたらしつつあるティエリー・フィッシャーに注目することにしよう。フィッシャーのキャリアは、フル−トから始まっている。彼は、かのオーレル・ニコレの弟子であり、ハンブルクやチューリッヒの劇場で首席を務めていた。当時のチューリッヒは、アーノンクールが気勢を上げているような場所であったから、彼は貴重な体験をしたことになる。

指揮者転向は1992年ということなので、早くも15年のキャリアを数えることになる。アルスター管(愛)でのキャリアを振り出しに、北・中欧のオーケストラや、機動力のある室内管に多く客演し、現在はBBCウェールズ・ナショナル管の首席指揮者になっている。ここには、首席客演として尾高忠明がいることで、日本のファンにもお馴染みだ。

ティエリー・フィッシャーは、東京圏でいえば、新日本フィルのアルミンクの手法にちかいやり方で、プログラミングをした(しかし、ルツェルンで修行した彼よりも、上のような来歴をもつフィッシャーのほうがより洗練された意図をもつ)。まず彼は、最初のシーズンを「ツァラトゥストラ・シリーズ」と名づけた。そして、各コンサートの小題として、R.シュトラウスが接したニーチェの言葉が、そのまま引用されている。楽団のページには、その意図が次のように直訳で書かれていて、面白い。

「私は、背景の哲学的な考えと共に、なぜこのような作品でプログラムを組んだのかを我々が知ることが、指揮者と演奏者をインスパイアする作品でプログラムが組まれていると私が感じられることが、良いと思っています」

最初のコンサートは、「ツァラトゥストラ―答えのない質問」と題され、昨年、紀尾井シンフォニエッタでも取り上げられた、アイヴズの哲学的な作品「答えのない質問」が最初に演奏される。これにつづき、ハイドンの交響曲第22番「哲学者」(!)、B.A.ツィンマーマンのトランペット協奏曲「誰も知らない私の悩み、そして、ズバリ、R.シュトラウスの「ツァラ」で締める。これがフィッシャー自身のプログラムかと思いきや、さにあらず。バッハの専門家と思いきや、現代音楽にもつよいマックス・ポンマーの指揮なのである。

なお、「答えのない質問」は、シーズンの終盤で「終わりのない質問」という別のテーマで受けられている。その最初のプログラムは、シューベルトの「未完成」交響曲だ。

指揮者起用も思いきっていて、ポンマーのほか、マイケル・クリスティ、マーティン・ブラビンスとか、よくわからない。クリスティはまだ30代前半の若い指揮者で、オーストラリアのクイーンズランドに首席客演指揮者のポストをもつ(首席指揮者が最高ポストでヨハンネス・フリッチュがその任にあるようだ/他に桂冠指揮者兼芸術顧問としてタン・ムーハイを戴く)。一方のブラビンスは、1994年から11年間、BBCスコティッシュ管のアシスタント・コンダクターを務めたあとは、ドイツでいえばバーデン・バーデンのような位置づけにある、グロスターシャーのチェルトナムという温泉保養地で、国際音楽祭のディレクターを務めているという。NAXOSアーティストでもあり、スコット、バックス、ブリテンなどの録音がある。

ポンマーも含めた共通点といえば、現代音楽など、多彩なレパートリーを持つことにあるようだ。

ソリストも知名度より、実力が重視されている。ヴァイオリンのペッカ・クーシストなどは有名なほう。他に、NYP首席のトロンボーン奏者であるというジョゼフ・アレッシ。愛国出身、J.オコーナーの弟子で、クララ・ハスキル・コンクールを制したピアノのフィンギン・コリンズ。ジャンドロンやロストローポヴィチの弟子で、既に「エクス」音楽祭で活躍する、チェロのソニア・ヴィーダー=アサートン。これに、タチアア・ヴァシリエヴァ、ネルソン・ゲルナーらが加わる。

取り上げる作曲家は、近現代にウェイトが置かれ、アイヴズ、B.A.ツィンマーマン、ケクラン、ホリガー、メシアン、武満、アデス、アダムズ、藤倉大と、多彩な顔ぶれ。ベートーベン、ベルリオーズ、シューベルト、ブラームスといった有名どころでも、室内楽曲の編曲版など、すこし角度を変えたプログラムが選ばれていて、注目される。先のBBCウェールズ・ナショナル管でも、傾向はさほど変わらないので、彼をトップに据えるということは、こういうことなのであろう。

さて、岩城が興し、コバケンが育てた名フィルが、かつてない高みに上り詰めていくのか、玉砕してぶっ潰れるのか楽しみなところである。岩城もきっと、あの世で面白がっているのに違いない。
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