2007/9/24

アルミンク 喜歌劇『こうもり』 新日本フィル 9/23  演奏会

新日本フィルのオペラ・コンチェルタンテのシリーズは、最初のベートーベン「レオノーレ」から、回を重ねるごとに評価を高めてきた。今回はいよいよアルミンクの故郷、ウィーンを代表する作曲家、ヨハン・シュトラウスUの喜歌劇「こうもり」が上演された。演出は三浦安浩。楽譜はラチェック監修のヨハン・シュトラウス協会版のものに基づき、第2・3幕で一部カットを施したものという。

これまでの上演では、舞台はステージ後方からオルガン席にかけて立体的に組まれていたが、今回はステージ下手で半ばまで迫り、ステージ奥やや左手を角に、上手側は短いというL字の舞台が組まれていた。中央のいちばん広いスペース、下手にすこしあがったところの屋根裏部屋的なスペース、そして、舞台上手にすこし下りた場所の小スペースと、ここが役者たちのおもな活躍の場である。このため、これまでの公演と比べると、より通常の舞台上演にちかい動きの要素が盛り込めるようになったし、どの観客からも見やすい。トランペットとトロンボーンのあたまに、すこし天井が被さるが、これらの楽器は前方へ首が長いため、音響的にも影響がないという仕掛けである。

全体を通して、遊びの多い演出と演奏であり、歌い崩し、弾き崩しを多用して、台詞部分にはアレンジも加えて、日本語も混じるというような感じである。第3幕では、冒頭にフロッシュ役がアルフレートとのやりとりでコメディを演じるところだが、今回は、フロッシュ役の太っちょう、ゲルハルト・エルンストが劇そのものからは脱線して、自身の日本体験談を交えた片言の日本語とドイツ語で、観客に話しかける形をとり笑わせた。第2幕では、シュトラウス作曲の曲目にあわせてバレエが挟まれるような伝統があるが、今回の上演でも仕掛けがあった。バレエはさすがに無理だが(それでも助演のダンサーがすこしだけ振りをつけた)、シャンパンの歌と締めのワルツの間に、同じくウィーンの現役作曲家、W.リームの暗鬱なワルツが挿入されたのである。また、第1幕でも、ロザリンデとアルフレートのやりとりをもじって、「トラヴィアータ」の「乾杯の歌」の前半部分が、オケ・合唱付で挿入されたのもビックリだった。

これで、歌役者たちが駄目だと話にならないが、今回はキャスティングが素晴らしかった。ロザリンデ、アイゼンシュタイン、アルフレート、フランクを固めた外国勢がいずれも素晴らしかったほか、オルロフスキーの加納悦子、小澤の音楽塾出身のファルケとアデーレも好演、若手で定評あるブリントの萩原潤、ほとんど台詞役だがイーダの星川美保子と、例のフロッシュ役まで、どこにも穴がなかった。

特に、男声マニアの私としては、アルフレートのカルステン・ジュースに注目した。彼はヘルムート・リリンクが盛んに起用しているだけあって、とてもきれいな歌声をもった軽めのテノール。色男のアルフレート役を愛嬌たっぷりに演じて、他とはものがちがう印象である。同じ役名で繋がった「乾杯の歌」のオマケもうまかった。ファルケの高田智宏は、キール歌劇場の契約歌手。よく通るスッキリしたバリトン。本場仕込みのドイツ語も巧みに、「こうもりの復讐」の演出家として十分な存在感。ハン・キュウウォンのフランク刑務所長も、ニュートラルな発声ながら、味わいのある表現力の高い低声を響かせた。

アイゼンシュタインのリッパートは、これがロール・デビューというのは意外だ。ものすごく上手だという感じではないが、安定感のある歌唱で、感情の起伏をつけたアイゼンシュタイン役。世代的にダイレクトに共感できる部分が多いためか、はまり役とも思えた。

女声は、加納のオルロフスキーが締めるところを締めてくれて、貴重な存在だった。ロザリンデ役のベッティーナ・イェンセンは、アルミンクのルツェルン時代に劇場のアンサンブル・メンバーだった人らしく、そこから、ベルリン・コミッシェオーパーへと羽ばたいていったという。アルミンクとは第2幕のチャルダーシュのところで、絡みもあった。すごく声の出る人ではないが、艶やかで透き通った声の持ち主で、魅力がある。さらに、「カルミナ」ではもう一息だったアデーレ役の松田奈緒美が、かなりの進境をみせたのも特筆に価する。どんどん経験を積んでいくと、さらに良くなる可能性が高い。星川は今回の役どころでは、本来、あまり述べるところがないが、台詞がレチタティーボのように音楽的で、いちばん味があったので、一言しておきたい。

三浦の演出意図は、第2幕のオルロフスキー邸での出来事を、ファルケの悪戯(復讐)と捉えるとともに、ある種のアナザー・ワールドとして捉えた、独特の発想になっていることは、アルミンクとのプレ・トークからも予想できた。実際、そのアナザー・ワールドを、さらにショービズのなかの世界のような雰囲気で捉えなおしており、ファルケは台詞外の簡単な日本語の注釈をつけるなどして、テレビの司会者のように振る舞っている。

第1幕は、大きなビニール・ボールがビリヤードの球になぞらえられ、キャラクターたちが金属のキューを渡しあい、主導権を争うような感じになった。また、アルフレートの厚かましい動きが強調され、ロザリンデの歌のなかに混じる「Ah」などという感嘆詞が、アルフレートの動きに反応して歌われるなどするのは面白かった。それ以外はさほどかわったところもなく、コンサヴァ。台詞まわしは外国勢を含めて、やや硬いが、そのなかでジュースの演技が自由でよい。

第2幕は、ミラーボールを使ったり、ダンスホールのような雰囲気で始まる。ある種のショーとして、会場まで巻き込んでいくようなスペースの使い方になっている。例えば、ロザリンデのチャルダーシュは、ステージ前方に出てきて歌われ、一部は、会場に入り込んで歌われる。ある種の歌謡ショーのような雰囲気。マスは恒例のTシャツ姿は止めて、今回は華やいだ衣装で雰囲気をダイレクトに伝える。オケのほうも、男性はさほど色気のない服装だが、女性は色とりどりのドレスや洋服(これは最初から)。

オルロフスキーは、カウンター・テノールが歌う場合もあるが、今回は加納悦子のメッツォである。「彼」はロック歌手のような格好だが、歌い崩しは少なく、「彼」が入ってくるとアンサンブルにまとまりが出る。

ファルケの屈辱的なエピソードを話すアイゼンシュタインの場面では、照明が暗めになり、本人以外の人たちは、徐々に顔を背けて、必ずしも楽しんでいないことが表される。というよりも、こういうことを喜んで話すアイゼンシュタインの姿が、いかに人でなしであるかという表現であろうか。こういう演出は前後の関係がつづかなくなり、あまりやりすぎると、流れを切断してしまう。今回もその傾向がなかったわけでないが、その後のオーケストラの立てなおしは機動力が高く、素晴らしい。三浦演出への音楽面からの参加でもある、リームのワルツも暗鬱すぎて、会場がシーンとなってしまった。だが、これも一興。それをひっくり返すような、フィナーレの追い込みは見事だったといえる。こんな夜が長くつけばいいのにと歌う、最後の合唱はなかなか感動的だった。

第3幕は、指揮者とフロッシュ役のエルンストが、24型ぐらいのテレビを押しながら入場する。アルミンクはワインの瓶を片手に携え、指揮台に躓いてみせる。冒頭にフロッシュのやや長めの漫談があり、アルフレートが歌で茶々を入れる。今回のフロッシュは、役人の偉そうなところがなく庶民的だ。フランクが会場側から、口笛を吹きながら帰ってくる。お客をいじりながら、徐々に舞台に戻り、上手の小舞台の事務所でひっくり返る。フランクもさほど偉そうではなく、すこし頼りないが、無害な気のいいヤツとして描かれている。アデーレの長大なアリア「田舎娘に扮するときは」は技巧的な部分での、松田の高そうなポテンシャルを示す。彼女のアデーレはある意味で真面目すぎる。もっとハッタリを効かして、ハジけてしまったほうがいい。最後のタネあかしを終わって、フィナーレの一体感は素晴らしかった。

シュトラウスの「こうもり」といえば、即座にクライバーを連想するというファンも多かろうが、この舞台もなかなか面白かったと思う。全体をまとめたアルミンクの指揮は、とても細かい音楽づくりで、興味ぶかいものだった。新日本フィルだったら、もう一段、弦セクに豪華なサウンドもあり得たのではないかと思うが、音色のゆたかさなど、十分に及第点であろう。
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2007/9/19

地方オーケストラ 三題B 〜京都市響・広上淳一〜  クラシック・トピックス

最後に、広上淳一と京都市響についてでる。まず、京都市響であるが、現任者の大友直人は、2001年4月から、実に7ヶ年の実績を積み上げた。この間、大友自身のステータスも上がったが、そのもっともスイートな時期に、彼の指導を仰げたというのは幸運だったのではなかろうか。

現在の大友は、京都市響のほか、東響の常任指揮者としてのポストをもち、「東京芸術劇場シリーズ」と子ども向けの定期公演のディレクターを務めている。また、2004年からは、大賀典雄館長の下で、東京芸術劇場の音楽監督を務めてもいる。三枝成彰氏との親交もあり、六本木男声合唱団の指揮者としての副業もよく知られており、また、その副産物というべきか、幅広いコネクションを誇る国内屈指の実力者に成長した。

大友の京都市響での実績については詳しくないが、7年という任期は、先々代の井上道義に次ぐものであり、今後も桂冠指揮者として関係を保つということから、楽団の基盤を整えた指揮者であるとは言えそうである。

そのあとを継ぐ広上淳一は、コアなクラシック音楽ファンから、絶大の信頼感を得ている指揮者だ。北欧などでキャリアを積んだが、いちど、その成果をリセットして、意識的に充電期間を置く決断をした。その後、近年はフリーの活動でコスモポリタン的に各所で指揮活動をおこなっていたが、2006−07シーズンから、米国のコロンバス響にポストを得て、新たなキャリアを積み上げた。コロンバス響での成果は不明だが、楽団のHPにはNHK「芸術劇場」で取り上げられた、広上のドキュメント(日本語、英語字幕付)が見られるようになっていたり、自分たちのシェフを盛んにフィーチャーしている。

コロンバス響での仕事について、結構、ざっくりしたことを、広上自身が喋っている記事があったので紹介する。

 おでかけ アメリカ快適生活サポートHP:
 http://www.odekake.us/index/brilliant_people41.htm

8月には、コロンバス響のコンサートマスターが、ヴァイオリン独奏者として京都市響の舞台に迎えられており、2つの手兵を交流させようという構想もあるようだ。出来上がったオケだけが素晴らしいのではなく、自分が来たことで、オーケストラに息吹きが入ったということになれば、自分の再出発としては理想的だ・・・と語った、広上のインタビューが思い出される。どちらのオケも、まだまだ完成したというには早いだろう。

広上に選ばれた2つのオケが、どのように育っていくのかは、なんとも興味ぶかい。
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