2007/9/30

トレーケル&原田英代 白鳥の歌 + シューベルト歌曲 9/30  演奏会

浜離宮朝日ホールで、バリトンのローマン・トレーケルが、原田英代(pf)とのデュオで、シューベルトの歌曲を取り上げた。前半は、歌曲集「白鳥の歌」から10曲、後半は「ます」「さすらい人」「魔王」などの有名歌曲のプログラムだ。

トレーケルの声はブラームス(マゲローネ・ロマンス)の録音などで知っているつもりだったが、実際はかなり個性的というか、バリトンとしては珍しいともいえる、基本に忠実なベルカーント方式の発声で、癖がある(これが正しい歌い方なのであろうが)ので、耳に馴染むまでに多少の時間が要った。それに、前半はやや抜けが悪いような気もしたが、夏から一気に秋へと突入した東京の、すこぶる気まぐれな気候が影響した可能性もある。ハイネの詩による5曲を先にして、「漁師の娘」「海辺で」「都会」「彼女の絵姿」「アトラス」と歌っていく。

トレーケルは、来日中の海外劇場の公演ではクルヴェナールを歌っているように、ワーグナーまでしっかり歌える歌手だが、リートでは、非常に丁寧な歌いくちを維持している。スタイリッシュな歌のフォルムは共通で、ダイナミズムの使い方が美しい。「愛の便り」「セレナーデ」と、レルシュタープの詩になってから、言葉の抜けも良くなってきたように感じられる。「−en」という語尾の言葉が多用され、普通に読むだけでもかったるい「遠い国で」の、柔らかくも締りのある言葉の歌いわけは、少しずつ盛り上がっていく曲の雰囲気とともに、ひとつのハイライトを成す。「すみか」を丁寧に歌い上げたあとは、’Ade! (さよなら)’のキーワードを様々な音色で歌いわけた「別れ」で、しみじみと泣かせた。

有名歌曲群のほうがより聴き慣れていることもあるのか、後半のほうが、トレーケルの良さがはっきりと伝わってきたように思う。「ます」は原田のピアノがピチピチはねる魚の動きを活写し、トレーケルがそれにつけるような感じ。「漁師気質」も正しく題名のような、わかりやすい素朴で活きのいい歌である。「月に寄す」の深いソット・ヴォーチェには息を呑む。「海の静けさ」はピアノと一体となった表現で、海の男たちの不安が歌い上げられる。

「小人」のあと、「さすらい人」の練り上げられた丁寧な歌は、正しく凝縮された美しさを湛えており、この日の白眉である。とりわけ、’Ich wandle still, bin wwenig froh, Und immer fragt der Seufzer:wo?’の部分は、我々が絶対に真似することのできない、ディクションの美しさを示した。「君こそは憩い」のゆったりした歌詞を、じっくりと描いたあとは、「夜と夢」「水面に歌う」と、持ち前のシャープな歌いくちで、スッキリとした印象を残す。ピアノの充実した劇性が、トリとなる「魔王」の雰囲気へ一気に聴衆を誘う。トレーケルは無駄な抑揚をつけず、緊迫した場面をしっかりと歌い上げる。最後はピアノとともに千切れるようにおわり、楽曲の特徴をよく捉えたフォルムの美しさも見事に、演奏会の最後を締めた。

アンコールでは「音楽に寄す」と「菩提樹」が演奏され、特に、後者の独特なフレージングは印象的だ。ピアノ共々、歌詞を朗々と歌い上げることを避け、現代風のきっちり締まったフォルムをつくって、聴衆に新しい刺激を与えた。全体として、シューベルトを聴いたというよりは、このようなトレーケルのつくるフォルムの目新しさと、技巧の凄さに耳を奪われた印象である。CDのジャケットでも印象的な、フロック・コートを颯爽と着こなしたトレーケルの格好よさも目立ったが、原田英代の伴奏も、彼に負けない素晴らしさだ。下手な自己主張は控え、歌い手をがっちりサポートする原田のピアノは、トレーケルというF1エンジンを制御する、超一流のギア・システムともいえる。

私は、トレーケルが理想的なリート歌いだとは思わなかったが、彼のようなしっかりとした技術をもつ歌手が、こうのようなリサイタルをもってくれることは願ってもないことだ。そこに、原田という筋金入りのリート伴奏者を得たうえに、朝日ホールという適切な器まで揃ってくれば、もはや言うことはない。トレーケルの器用さに感謝するとともに、圧倒的にセンスのいい歌いくちには敬服させられた。
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2007/9/30

スクロヴァチェフスキ 読売日響(芸劇マチネ) ブラ1 9/29  演奏会

9月半ばからつづいた読売日響のスクロヴァチェフスキ・シリーズも、この日が最後となる。常任となって最初の4月のシリーズは、レヴェルの高い公演がつづいたが、今回のシリーズは跳びあがる前の一屈みという感じもなくはない。この日の演奏は、先週と比べると響きもずっと力強く、このホール向けのアジャストが効いていた点は、素直に評価したい。

まずは、バッハの「トッカータとフーガ」の、スクロヴァチェフスキ編の管弦楽版による演奏だが、これは非常によいパフォーマンスだった。弦管のバランスが素晴らしく、編曲者自身が振っているので当然だが、どのような意図によって編曲がおこなわれたのか、はっきり明確になっている。スクロヴァチェフスキの編曲は、弦管の音色をうまく使い、オルガンの音色やストップの機能を、きれいに模倣している。それだけならば、オルガンで弾けばいいことだが、オケの楽器による模倣と、オルガンそのもののテイストは微妙にずれており、そこを意識的に使うことで、スクロヴァチェフスキは単純な名曲の編みなおしではない、知的な効果を生んでいるのである。最後のトッカータの再現が特徴的で、直前のほんの僅かな切れ目で、突如として模倣的な世界から響きが新鮮になり、バッハの時代から近代の音楽まで、タイムマシーンに乗ったような効果を生んでいるのが面白い。

つづくショパンのピアノ協奏曲第2番は、母国の魂ともいえる作曲家だけにスクロヴァチェフスキは得意としており、この日の共演者であるクピークのほか、ルビンシュタインやワイゼンベルクとの録音もある。この日の演奏は、その拘りを随所に聴かせるスタイリッシュな演奏だった。独奏のエヴァ・クピークは、やや省略気味の打鍵には弱点もあるが、あまり鍵盤を叩かないわりには存在感のあるピアノで、不思議な清潔感がある。とても上手なピアニストという印象はないものの、オケの音をよく聴くし、誠実な演奏と言えた。第1楽章が白眉で、2つの主題が丁寧に対比され、構造的に非常にわかりやすい演奏であり、それがクピークのスタイルにもよく合っている。ショパンの知・情・意ということでいえば、合理的な「知」の部分を象徴した演奏といえるのかもしれない。通奏低音のように使われる、低音弦の動きは興味ぶかいところが多かった。

スクロヴァチェフスキは演奏終了後、裏へ引っ込むときに、ときどき小さなガッツ・ポーズを繰り出すが、今回もその動作を確認した。彼なりに納得のいく演奏だったのであろう。今日の白眉は、確かにここであった。

メインのブラームスの交響曲第1番は、全体として帳尻はあわせたものの、よい演奏にしたいという想いが空回りして、すこし大事に行きすぎてしまった感があり、そのために瑕の多い演奏であった。そのことは、第2楽章のおわりのほうに多用される、小森谷コンマスのソロに現れていた。丁寧に弾こうとするのはいいのだが、やや硬くなってしまって、音色に柔らかさがない。それを気遣うあまり、全体的に硬さが目立ってしまった。第2楽章は、ゆったりした構えのいい演奏だったのに、最後で印象が悪くなってしまった。

両端楽章がよかった。第1楽章は、大体においてオーソドックスな解釈であるが、はじめのほうは抑制が効いており、ちょうど「ドイツ・レクイエム」の入りを連想させるような感じであるところが独特だった。ここから尻上がりに盛り上がっていく展開が、明確に示される。シューマンでは響きの厚みにこだわったスクロヴァチェフスキだが、今回は路線を変えて、キレのいい響きを前へ前へと引っ張るようなコントロールが目立った。第4楽章は、悠然としたベースを作りながら、要所でぐっとギアを入れるようなドライビングである。ねじを巻くようなヴィオラの響きに導かれる、弦楽合奏による主題演奏のコクが印象的だ。おわりの部分は、この楽団が現在、最大の武器とする精密なアンサンブルが効き、圧倒的な緊張感を生み出す。ただし、やはりこの楽章でも随所に、丁寧すぎて縮こまってしまった響きが聴かれ、全体としてはもう一歩の印象に止まった。

今シーズンの常任指揮者、スクロヴァチェフスキの登場も、これが最後となった。また来シーズンのお楽しみというところ。これまで日本では、スクロヴァといえばブルックナー、ベートーベンというイメージをもたれていたのを、今期は洗い清めるかのように、たくさんの作曲家を取り上げた。自身を含めると、実に14人という数であり、年にたった2回の来演としては多い。若い指揮者のような仕事ぶりは見せられないが、そこにスクロヴァチェフスキの本気を感じるのである。そのすべてが大成功とはいかなかったが、来シーズンはどのようなところに焦点をあわせてくるのか、いまから楽しみになってきた。私としては、録音もあるプロコフィエフなどにも期待したい。

【プログラム】 2007年9月29日

1、バッハ/スクロヴァチェフスキ トッカータとフーガ
2、ショパン ピアノ協奏曲第2番
 (pf:エヴァ・クピーク)
3、ブラームス 交響曲第1番

 コンサートマスター:小森谷 巧

 於:東京芸術劇場
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