2007/8/5

スカルラッティ音楽祭 エンリコ・バイアーノ チェンバロ・リサイタル 8/4  演奏会

声楽曲コンサートのレビューで紹介したスカルラッティ音楽祭も、今夕がラストとなった。最後の公演は、チェンバロによる鍵盤音楽のコンサートで、ナポリターナのチェンバリスト、エンリコ・バイアーノを迎えての演奏会だ。曲目は、テーマ音楽家のD.スカルラッティのほか、同時代、同都市の生まれであるドメニコ・パラディエス、同時代のヴェネツィアに生まれたヴィヴァルディのソナタ作品などが並べられた。

バイアーノについては、正直、あまり知らなかった。だが、素晴らしいチェンバリストであることは、すぐにわかった。指がまわるのは当然としても、演奏に活気があり、音もきれいで色彩がゆたか。イメージとしては、もっと個性芬々たる演奏かと思っていたが、意外に淡々とした演奏で弾きはじめた。はじめチョコチョコ、なかパッパという感じだが、コーダなどのヤマ場になると、凄いテクニックが一閃する。休符に入るところでは、首をカクンと折って、身じろぎもしない。その進退のはっきりした表現がわかりやすく、気取らないストレートさが心地よい。

ヴィヴァルディ、パラディエス、ヴィヴァルディ、スカルラッティと弾いた前半戦を通して、さらに、その演奏の素晴らしさがはっきりする。つまりは、これらの作曲家たちの特質が、明確に色分けされているからだ。驚かされたのは、スポーティで都会的というイメージのあるヴィヴァルディよりも、なおさら鋭いスカルラッティの音楽性だった。バイアーノの演奏によると、彼の音楽からは、からっとした港町のナポリというよりは、今日でいうところのミラノのような、洗練された街のイメージを思い起こさせる。遮るものなく一本にのびる道、職人的な技術の機能美が咲きほこる街・・・という感じである。ドメニコは南部のナポリで生まれたが、ローマで名を上げたあと、イベリア半島に渡ったので、そのせいなのかもしれない。

一方、パラディエスは、ドメニコの捨てた港町の気質をよく表しており、率直でユーモラスな響きがした。ヴィヴァルディはイメージどおり、キレのいい音楽ではあったが、潮の香りを残した水のしぶきが、楽曲を爽やかに彩っている。おなじ都会でも、ヴェネツィアは一本にのびる道というよりは、ちょっとくねくねと曲がりくねったイメージである。ちなみに私は、実際のイタリアについては、あまりよく知らないで書いているが、簡単に調べてみると、バイアーノの演奏から受けたこれらのイメージは、当たらずとも遠からずという感じのようだ。それは私の鑑賞力がどうこうというよりは、バイアーノの優れた描き分けのなせる業であろう。

ヴィヴァルディやパラディエスと比べると、ドメニコの作品は幅がある。非常にシンプルな、可愛らしい作品があったかと思うと、どこが根幹でどこが装飾か、なかなかわからないような複雑な作品まで、自由自在に書き分けている感じに思えた。それらの描き分けも、バイアーノは明確だった。ここに今回、歿後250年という節目とはいえ、父のアレッサンドロほどは知られていないドメニコが、特に取り上げられた意味があるのであろう。

個々の曲目について細かく論じないが、バイアーノの演奏のいかに優れていたかは、既に明らかであろうと思う。

【プログラム】 2007年8月4日

1、ヴィヴァルディ 協奏曲第4番「ラ・ストラヴァガンツァ」より
              (18c、英国の作曲家による編曲版)
2、パラディエス ソナタ第11番
3、ヴィヴァルディ 協奏曲第6番「ラ・ストラヴァガンツァ」より
4、D.スカルラッティ ソナタ K.3 K.24 K.113
5、パラディエス ソナタ第10番
6、D.スカルラッティ ソナタ K.208 K.209 K.132 K.115 K.516
                 K.295 K.119

 於:イタリア文化会館アニェッリ・ホール
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