2007/7/20

カリニャーニ 読売日響 春の祭典 7/17  演奏会

17日、病気療養のためキャンセルしたラファエル・フルーベック・デ=ブルゴスに代わり、パオロ・カリニャーニが客演した読売日響の「サントリー定期」を視聴した。サントリーホール改修中のため、シリーズ名とは別に、会場は東京芸術劇場である。

今回も、カリニャーニの指揮は、やはり冴えていた。短い曲だが、難しい拍子を丁寧に織り上げて、愉快な雰囲気をつくりだしたストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」にはじまり、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、そして、「祭り」に参加する一人一人の顔まで目に浮かんできそうな、ストラヴィンスキー「春の祭典」の活写まで、聴きごたえのある演奏ばかりであった。カリニャーニはいつものように、大体においては端正に、しかも、しっかりとカリニャーニ印のラベルを貼った上で、我々にそれぞれの音楽世界を提示した。

彼の演奏を聴いて、いつも驚かされるのは、イメージの自由さだ。今回はわりにポピュラーな曲目が並んだが、これらに対しても、カリニャーニは一から自分のイメージを作り上げてきたとわかる。例えば、ハルサイは一見、大人しめの演奏である。だが、よく聴くと、大きな振り幅が使われて、昨年の2月に下野竜也が演奏したとき(集中力の高い名演だった)と比べても、かなり踏み込んだ解釈を施している。急な代演でもあり、カリニャーニの考えたイメージが、すべて立体的に我々の前に提示されたかといえば、そうではなかったと思う。だが、この指揮者の要求は独特で癖があるのに、2度目にして、かなり高いレヴェルでコミュニケートできるようになった、この楽団も捨てたものではない。

さて、これらに輪をかけて素晴らしかったのが、辻井伸行をソリストに迎えてのラフマニノフだ。世界中で人気が高く、わが国では「のだめ」の象徴的なナンバーにして、フィギュア・スケート人気にも関連して、さらに知名度を高めた。録音やコンサートで、飽きるほど聴いている曲で、去るGWの「熱狂の日」でも、ベレゾフスキーの力演に接したばかりだ。であるにしても、今回の演奏はショッキングだった。

大げさな言い方をすれば、この辻井というピアニスト、目が見えない代わりに、なにか特別なものが見えているのかもしれない。この曲に対する一般的なイメージとしては、技巧性の高さと、いわゆる「ロシアン・ロマン」を象徴する甘い旋律美がある。それらの要素も、確かにないではなかった。しかし、なまじ目に見えていると、こうした表面的なところで止まってしまうのが、辻井の場合、さらにもうひと彫りされているのだ。彼の演奏からは、ラフマニノフの孤独が浮かび上がってくる。初演の地はNYか、どこか他のアメリカの土地だと思った(実際の初演はモスクワ)。異国の地で郷愁に駆られながら、帰ることもできないというような状態に似た孤独・・・実際、モスクワにあって、こんな孤独を感じていたとすれば、ラフマニノフのこのときの苦悩がいかばかりであったか、想像もできないほどだ。それゆえ、私の目からは涙が溢れた。

念のため言っておくが、辻井のパフォーマンスが完璧だったなどというつもりはない。ときどき恣意的なアクションもあり、それをきれいにまとめ上げてくれた指揮者の柔軟性に、彼は感謝すべきだ。いまの彼は、まだ注意ぶかく研鑽を重ねていかねばならない段階にある。

例えば、第1楽章などは、もっとメッセージを明確に伝える工夫があって然るべきだ。多分、辻井は自分のポジションがわからなくなるくらい、オーケストラが自分に被さってくることを求めた。そこから必死に抜け出てくるとき、我々はピアニストの発する音を自分から拾いにいくようになる。直向きに、自らの存在をアピールするピアノの真っすぐさに気づけば、第2楽章は楽しみだった。だが、そこに至るまでに、ちょっと説明が多すぎたきらいもある。

それにしても、第2楽章は素晴らしかった。清潔な打鍵が細かく展開していくと、ひらひらと雪が舞い降りてくるようだ。フルートをバックに逍遥するピアノの、どこまでも透明な響き。甘い響きに埋もれていくような場面のなかで、北国の木々や植物、澄みわたった風の薫りがすっと入り込んできて、癒されていく。上野の停車場で故郷の訛りを懐かしんだ啄木のように、こうしたものに触れて、自ら癒されていくラフマニノフというイメージであろうか。

第3楽章では、そうしたエネルギーをベースとして、再度、存在のアピールが行われるかのようだった。動きだけでも相当にアグレッシヴな演奏になったが、そういった表面的なものよりも、内面の力強い叫びが、今度は、痛いほどよく伝わってきた。限られたリハーサルしかできない中で、あそこまで鋭敏なツケで独奏を支えたオーケストラの動きが、また格別だった。

辻井はちかく、オール・ドビュッシー・プログラムで、リサイタルをおこなう予定がある。アンコールでは、「映像」の<水に映る影>を演奏したのだが、最初のいくつかの音を聴いて、はっきりドビュッシーとわかる演奏だった。これならば、本番も期待ができそうだ。ドビュッシーが凄いのか、辻井が凄いのか。多分、その両方であろうと思う。
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