2007/7/16

スカルラッティ音楽祭 世俗声楽曲コンサート 7/16  演奏会

7月1日から、講演、マスタークラス、演奏会により、歿後250年となるドメニコ・スカルラッティをフィーチャーする企画がおこなわれている。7月16日は、九段のイタリア文化会館、地下にあるアニェッリ・ホールを利用して、「世俗声楽曲コンサート」がおこなわれた。外国人サイズのゆったりしたシートに、なかなか天井の高いホールで、音楽をやるにも申し分ない。こんなところに、意外な施設があるものだ。

開演前にロビーを占領して、音楽学者で、音楽祭の実行委員でもある山田高誌氏が、講演をおこなっていたが、早口で声も小さく、ちょっと我々のところまでは内容が届かない。後ろの方で聴かねばならなかった年配の方には、かなり気の毒なかたちである。マイクを用意していない主催者の手落ちもあるが(山田自身も主催者)、本人がもうすこし聴き手のことを考えた話し方をすべきだったろう。これでは、講演と演奏を一体化した企画意図は、実現されたとは言いがたい。ホール内にはマイクもスクリーンも設えてあり、こちらでやればよかったのに!

さて、演奏のほうは素晴らしかった。内容は、いずれもD.スカルラッティの楽曲で構成され、前半には世俗カンタータ「恋文」、後半はシンフォニア第4番を序曲に、歌劇「復位したオッターヴィア」を抜粋上演するというもの。歌劇はなんと世界初演、カンタータとシンフォニアは日本初演ということである。特別編成の室内オーケストラを、通奏低音の奏者としても有名なセルジョ・バレストラッチが指揮した。

カンタータ「恋文」は、1735年以降にマドリッドで初演されたものと見られる。題名とは裏腹に、ひとつの恋が終わりゆくときの、最後の燃え残りのやりとりを歌っているようだ。全部で3つのカンタータからなり、女、男、女と一人ずつ歌う。各カンタータは、レチタティーボを伴い、導入と、2つのアリアのつなぎ目の役割をしている。女はソプラノで田村麻子、男はテノールで櫻田亮が歌った。2人とも技術的に安定しており、知らない曲でも安心して聴けた。いずれも立ち上がりでバシッと決めて、よく鍛えられた歌手であることを印象づけることに成功した。「僕こそは、君が不実を働いた相手だ。慈悲なき女よ、立ち去るがいい」と歌う、櫻田の後半のアリアが毅然としてよい。田村は、最後のカンタータのレチタティーボ・アッコンパニャートで、男への未練を断ち切る場面が真に迫っていた。

オペラの前に置かれたシンフォニアは、その響きに乗って、4人の歌い手が客席側から登場する演出だった。ネローネ(穴澤ゆう子)&ポッペア(懸田奈緒子)はいちゃついており、幸福そうな感じで上手に陣取る。2人がじゃれあっているので、会場からは笑いが起こる。穴澤の悪代官ぶりは確かに可笑しいし、懸田の甘えっぷりもよかった。一方、下手には、位を追われたオッターヴィア(田村麻子)と、妻と離ればなれになったフローロ(櫻田智子)が、暗い表情で控えている。田村は、ネローネの歌いっぷりにあわせて体を傾げてみたり、表情を曇らせたりと、脇ですこしだけ演技をしている模様。

さて、スカルラッティのこの歌劇は、1703年にナポリで上演されたものであるといい、ドメニコにとっては、処女作となるオペラであるようだ。スコアの欠損などが多く、作品の全体像はわかっていない。今回は、現存するアリアなどのうち、筋の流れが追えるように15のナンバーを選抜して、抜粋上演とした。同時代の他の作品と比べて、特に素晴らしい特質があるとも思えないが、同時に、オペラ作曲家として有名な人たちの作品から見たときに、どこかが大きく劣っているということもない。ドメニコ、若干18歳の作品であるのに完成度が高く、隙のない作品だ。

歌は技巧性に奔りすぎることなく、優しく、たおやかなものが多いが、そのなかでも、キャラクターの個性をはっきりと刻印したものである点が注目される。例えば、オッターヴィアは毅然として、鋭い感じのナンバーを歌い、ポッペアは優美で、悦楽的なものを歌う。ネローネは楽天的で、起伏のある感情を歌う・・・というように。オーケストラは、これら各ナンバーの表情に寄り添っており、ときどきオブリガード的な役割をしながら、優雅に歌劇全体を彩っている。

歌劇のほうも、よくトレーニングされた、古楽をよく知った歌手たちが選ばれており、役柄もあっていて、非常に水準の高い上演であったといえる。特に、田村と懸田の女役ふたりが素晴らしく、自然と、それらの役どころの対比に焦点の当たる舞台となった。特に、懸田はポッペアの優美さを、持ち前の美しい発声で丁寧に歌いあげており、どのナンバーも素敵だったが、王宮の一室でネローネに向かって、情熱的な愛情を歌う<愛撫も、微笑みも、愛の戯れも>が白眉だった。このナンバーでは、懸田の素直な発声が、ポッペアの告白の包み隠しのない感情吐露に通じており、聴くほうは思わず笑顔になるのを止められない。

一方、オッターヴィアの田村も、もっともしっかりした支えのある声で、役柄にもあっているし、聴きごたえがする。ただし、全体に、すこしだけ力みすぎていたのではないか。その点、自分を傷つけたネローネを許す最後のアリアは、そのときの感情を織り込んで肩の力を抜き、八分の力で歌ったのがよかった。アジリタ技巧の精確性ではわが国では最右翼であろうし、スカルラッティのような清潔な作曲家よりは、もっと世俗的な派手な人の作品の方が向いているのかもしれない。だが、演じることに繊細な配慮のできる人であり、優れた歌い手であることは間違いなかった。

オーボエやヴァイオリンのオブリガードがつくナンバーもあるが、ヴィヴァルディなどと比べると、それらの役割は控えめである。ドメニコの場合は、歌のもつ力というのを、下手に装飾せず、ナチュラルに訴えかけていくところに、面白さがある。その点で、もっとも聴きごたえがあったのが、ネローネとポッペアの二重唱だった。穴澤のネローネは、全体にややフォルムが甘いが、このナンバーでは頑張って、ポッペアを抱きかかえて口説きあげるような歌い方ができていた。懸田は、こういう場面でさらに突き抜けてしまってもいいのだが、宗教曲などを歌うことが多いこともあり、こうして周りに合わせるほうが自然なのであろう。

オーケストラは、ヴァイオリン4、ヴィオラ、コントラバスをメインに、部分的に、オーボエが加わり、コンティヌオとして、チェンバロ、チェロ、テオルボのトリオが、うまく混ぜ合わされている。チェンバロはバレストラッチではなく、芝崎久美子の担当。天才的と言いたくなるような派手さこそないが、ソツなく全体をキッチリまとめており、申し分ない出来だ。チェロ=西澤央子で、テオルボ=櫻田享と、よくみる布陣で間違いがない。

終演後、フロアーからは派手な掛け声こそないものの、非常に充足した雰囲気で、拍手が温かい。これは、成功した公演であろう。
0

2007/7/15

新日本フィル 『ロストロポーヴィチを偲ぶ会』を開催 〜小澤氏が呼びかけ  ニュース

新日本フィル(NJP)は、「ロストロポーヴィチを偲ぶ会〜スラヴァよ、永遠に〜」と題して、故人の追悼の会を開くことを発表した。NJPは、氏のためにフレンド・オブ・セイジなる特別のポストを用意し、その最後の演奏会のパートナーとなる栄誉にも預かった。親友である小澤氏に所縁のふかいオーケストラということもあり、故人は多忙なスケジュールのなか、繰りかえしNJPを指揮してきた。

HPの記述によれば、「当日は、氏と所縁のある皆様にご出席と追悼の言葉をいただき、懐かしい氏の生前の映像等も上映する予定」であるという。

今回の「偲ぶ会」は、やはり、小澤氏の呼びかけによるものである。主催には、楽団のほか、サイトウ・キネン財団とジャパン・アーツが名前を連ねている。サイトウ・キネンは小澤氏の働きかけにより動いたものと思われるが、「なぜジャパン・アーツが?」と不思議に思う方があるかもしれない。しかし、先月号の「音楽の友」誌によれば、ジャパン・アーツの会長も、ロストロポーヴィチとは浅からぬ関係にあったようである。

会場としては、なんと、すみだトリフォニーホールの大ホールを使用する。チケットなどの販売はおこなわず、誰でも無料で入場可能ということだ。当日は、故人や小澤氏の友人たちはともかくとして、相当多くのファンが押し寄せるのではないかと推察する。夫人や、アルミンクは来てくれるのだろうか? 私も多分、その仲間に入れてもらうことになりそうだ。

新日本フィルHP インフォメーションのページ:
 http://www.njp.or.jp/njp/information/index.html#0712_02
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ