2007/6/25

仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 ファイナル A  クラシック・トピックス

つづいては、これまでの完成度の高いパフォーマンスから、優勝候補筆頭と思われたヴャーチェスラフ・グリャーズノフ(露)。

やはり、ベートーベンのコンチェルト(リーと同じ4番)ならば、これぐらいのリーダーシップは必要だろう。押し引き自在に、ベートーベンのユーモアを明るく象ったグリャーズノフの演奏は、この曲に思わぬ深みをみせて、あっと言わせたリーの演奏とは対照的だ。ときどき見せる毅然とした打鍵も、ベートーベン的な要素であると同時に、グリャーズノフらしいものでもある。それを使ってザクザクと区切っていかねば、室内楽ではほとんどロック調とも言えるような、ベートーベンのシャープな音楽性は出てこない。また、そこに突如として、乙女のように繊細な音句が組み合されるところにも、グリャーズノフはしっかり目を向けている。実に雄弁に、ベートーベンのイメージを拡張してくれるような彼の演奏は、聴いていて面白い。

バックとのコミュニケーションも、リーとはまた違う次元で、レヴェルが高い。というのは、つまり、彼がよく聴き、感じ取る力のつよいピアニストであるということに尽きるだろう。バックはプロのオーケストラだけに、しかも、世界的にみても特に繊細な本邦のオーケストラであるだけに、コンテスタントたちの主張をよく聴いて、それに的確に反応してくれる。だが本来は、ピアニストもまた、オーケストラ側の抱くイメージや想いを感じて、自分の演奏に溶け込ませていくべきなのだ。それができるのが、まず彼であるということを強調したい。

緩徐楽章の最弱奏部分は、リーに輪をかけて繊細で、深みのあるピアニッシモだ。だが、それに加えて十分な振幅もあり、表現にメリハリがある。これは、終楽章に入ったときに有利だ。フィナーレは、オーケストラとの相乗効果が抜群で、きびきびした打鍵も爽やかに、よく煮詰められた彫りの深い演奏が楽しめた。彼もまた、セミまでの演奏を大きく上回る自己ベストで、アッピールを強めたものと思われる。セミ同様、指揮者のこころも掴んだようにみえるのは、気のせいではあるまい。

ファイナルだけに、どれも素晴らしい演奏で、迷いは深まるばかり。大トリには、わが国の津田裕也が登場した。彼はどういう巡りあわせか、セミにつづきファイナルでも、直前のグリャーズノフと同じ曲目を演奏することになった。前者のパフォーマンスが素晴らしいだけに、プレッシャーは大きかっただろう。だが、セミでも、動じることなく自分なりのパフォーマンスをアッピールし、ここに勝ち上がってきた。

ファイナルでも、彼は心臓のつよさを見せた。ベートーベンの4番を「津田には厳しい感じのする曲目」としたのは、(前の記事を直すわけではないが)ここでは撤回しておくことにしよう。肩で風を切る颯爽とした打鍵を持ち味として、鋭いフォルムの現代的な演奏は、また個性的で興味ぶかいものだった。大事なファイナルで、これまでの印象を一気に塗り替えるようなベスト・フォームを拝めたことを、まずは喜びたい。

津田のピアノの尖鋭なフォルムを生かすために、ヴェロはひときわ大きなアクションで、バックのフォルムも派手に織り上げてくれた。カデンツァは突き抜けた演奏で、独特の味わいがあった。ベートーベンらしいかどうかは別としても、とにかくも、自前で読み込んできた演奏という感じが明確である点は、高く評価したい。後半の2楽章も、フレージングが清新で、アーティキュレーションのデザインにも特徴がある。それらは総じて、第1次予選で「小節線のないバロックの楽譜」のなかでの精確さということを指摘した、あの形容を想起させる特殊な自由さに通じている。

このラウンドの津田の演奏は、どのコンテスタントと比べても新鮮で、審査員によっては、優勝を含む上位進出も望めたはずだ(*あとで確かめた結果からすれば、それに恵まれたわけだ)。ただし、彼のピアノがバックから良いものを取り出すと同時に、少しく粗いものまでも引き出してしまったとすれば、やや強引になった面がないとはいえないのかもしれない。少しばかり、指揮者に世話になりすぎた感じもする。

というわけで、この素晴らしいコンテスタントたちに順位付けをするなどということは、私にとっては、まったくナンセンスなことなのであるが、コンペティションゆえ、結果は結果として残るのである。

優 勝 津田 裕也
第2位 ルー・イチュ
第3位 オクサナ・シェフチェンコ
第4位 イリヤ・オフチニコフ
第5位 リー・カリーン・コリーン
第6位 ヴャーチェスラフ・グリャーズノフ

この結果は、率直にうれしい! 日本人だからというより、こうした演奏が評価されたことが・・・である。非常に面白い結果で、仙台国際音楽コンクールは、次回以降も、私の気を惹くことになりそうだ。是非、仙台の会場にも行ってみたい。ロン・ティボーやチャイコフスキーよりも、このコンクールこそが面白い。

優勝の津田は、今後の伸びしろが大きい感じがして、もう20代半ばではあるが、焦らずにじっくり自分を育ててもらいたい。差はすごく小さく、繊細なものだったと思う。なんでも審査には1時間ちかくもかかったそうだが、6位まで横一線だったのではないだろうか。

なお、このピアノ部門でも、仙台フィルが素晴らしい演奏を披露してくれたことを書き添えておく。ヴェロは指揮ぶりが少しうるさいものの、やりたいことが明確な、優れた指揮者であるようだ。コンクールに加えて、今後の、オーケストラの伸長もあわせて楽しみである。
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2007/6/25

仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 ファイナル @  クラシック・トピックス

仙台国際音楽コンクールも、ピアノ部門のファイナルが終わり、両部門の優勝者が決定した。前後数ヶ月に、ロン・ティボーやチャイコフスキーといった伝統あるコンクールと競合した中でも、このコンクールを多くの優秀なコンテスタントたちが選んでくれたことを、まずは喜びたい。

ファイナルは、ルー・イチュ(台湾)からの演奏。曲目はショパンの1番。彼らしくもなく、いくつか小さくないミスがあったものの、非常に精度の高い緻密な演奏であるという特長は変わらない。パックのパスカル・ヴェロ指揮仙台フィルが、かなり情熱的に演奏するなかで、小憎いばかりの落ち着きようである。きわめて淡白な打鍵ながら、その内部に誇張のない感情の深みを、奥ゆかしくアピールしてくる緩徐楽章は秀逸だった。

問題点は、やはりバックの燃焼度と差がありすぎる点と、ショパンの左手を軽視している感がある点だ。これまでの演奏から、左が効くことはわかっているので、これは解釈として控えめにしているのであろう。そのため、右手のラインが清潔に聴こえる反面、左手が押し出されなければならない局面では、やや唐突な印象を受ける。ただし、そうであっても、左手は見えない力で右手の動きを制しているため、ルバートなどにより恣意的にフォルムが壊れてしまうことはない。

全体の印象は悪くないのだが、この課題曲によって示された壁を突破できていたかというと、そうした印象は希薄に思えた。よく言えば、いつもの彼である。

ベートーベンの4番、慎重な打鍵で冒頭の主題提示をおこなった、リー・カリーン・コリーン(中)。これが、ファイナルでの(彼女の)演奏の、すべてを象徴するものだった。

この人はどのラウンドでも肩の力の抜けたパフォーマンスで、あるときは大胆に、あるときはそっと、気さくに語りかけてくれた。この日の彼女は、力強い自己主張を内に秘めながら、繊細にフォルムを穿つような演奏をした。もちろん、彼女のことだから、硬くなっているわけではない。それは、カデンツァのしなやかで、奔放な動きからも明らかである。

コミュニケーション能力は、今回のコンテスタントのなかでは抜群だ。第1楽章では、やはり熱演気味ではじまった仙台フィルが、彼女との対話のなかで、随分と淑やかなフォルムに近づいてきてくれたことに、誰もが気づいたはずだ。それが絶妙のバランスで溶けあった緩徐楽章が、聴きものだった。「月光」を思わせる、暗鬱な内面の滲み出る演奏で、このとき、あの豪壮なベートーベンに何があったのだろうという、感情の鋭くも、控えめな発露が印象的である。終楽章も、よく煮詰められた細かい演奏ながら、神経質にならない演奏で、特にソット・ヴォーチェの艶やかさが気を惹いた。

彼女は、この課題曲で試されたポイントで、これまでのラウンドまでに蓄えてきたものに、さらなる上積みができたものと考える。少しも力むことなく弾ききって、こんな柔肌のベートーベンもありなのかという疑問もあるにはあるが、説得力は十分だ。ファイナルは、コンクール・レヴェルを超えた素晴らしい演奏ができたといえる。

19歳でこれ(ブラームス1番)を弾いて、もしも優勝したならば、先行きが恐ろしい、オクサナ・シェフチェンコ(露)。弾きだしの艶やかな打鍵には、度肝を抜かれた。その後も、表情ゆたかな打鍵のコントロールで、聴き手を惹き込んでいく。だが、これだけではブラームスを塗りこめるわけにはいかない。どこかでギアを切り替えるときが来るはずだ。

もちろん、それは展開部の入口である。だが、それを過ぎても巧みなアクセル・ワークをつづけ、終結への最強奏部を連想させる力のこもった打鍵と、それまでの柔らかい打鍵を丁寧に組み合わせているし、その継ぎ目にも無理がない。難点は、第1楽章でスイートな表現力を使いすぎてしまったために、緩徐楽章での表情変化に乏しいことであろうか。この点、若干、リーのほうにパレットの豊かさがあったようにも思える。といっても、ニ長調とニ短調の対比であるから、あまり角度をつけすぎないで我慢したのも、立派といえば立派なのであろうか。最後の小カデンツァは、バレエ・ダンサーの足もとみるような打鍵も面白く、雰囲気いっぱいだ。

でも、なぜだろうか、曲が進むごとに音楽性がナーバスになっていくような気もした。例えば、第3楽章の最初のロンド主題は、少しばかり神経質にも聴こえる。非常に頑強なバックのフォルムに対して、シェフチェンコのピアノは終楽章では、やや焦点が定まっていない印象だ。彼女にとっては、セミでも感じたことだが、後半の集中力が今後の課題になるのではないか。とはいえ、10代にして、このスケールのブラームスとは驚くべきだろう。彼女も、ファイナルで若干の上積みに成功した。

有名なチャイコフスキー1番の冒頭を、またしても独特のテンポ感覚ではじめた、イリヤ・オフチニコフ(露)。指揮者がうまくアジャストしてくれた。この前の「熱狂の日」で同曲を弾いたベレゾフスキーのように、多少無理なアプローチでも上手にフォルムを築き上げてしまうような人が多いなかで、彼のような音楽性は、決して有利とはいえないだろうが、その頑固さには惹かれるものがある。ただし、全体的な解釈としては、案外にオーソドックスであるということを付け加えておかねばならない。

緩徐楽章はファンタジックで、なんともチャーミングな動きの素軽さが特色だが、ぐっとテンポを落とす場面での表現力は高い。終楽章は、意外と揺るぎない演奏である。実に丁寧に主要な音型を浮かび上がらせ、彼らしい(目一杯に良い意味で)注意ぶかい演奏を楽しませてくれた。最後、低音弦とともに、どーんと深い打鍵を刻んだのが印象的だ。

本当に一生懸命に弾く人なので、彼のようなスタイルは、日本の聴衆には愛されやすいタイプだろうし、私も、彼の演奏をみているとつい声援を投げたくなる。彼が優勝したら、「個性派誕生!」なんていうキャッチが踊るんだろうけど・・・。ファイナルは、母国の音楽だったというアドヴァンテージもあるが、独特の愛着に基づく気持ちの乗った演奏が展開できて、これまでの演奏に大きく上積みできた印象である。あとは、急速なパッセージで、いますこし余裕をもって演奏できると、大事なところでの表現力が、もう一段、増していくことだろう。
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