2007/6/9

下野竜也 読売日響 菅原淳、最後の大舞台とドヴォ6  演奏会

下野竜也は、ドヴォルザーク、ヒンデミット、ブルックナー、それに、日本人の現代作品が得意である。「下野プロデュース第1弾」と副題された、読売日本交響楽団の芸劇マチネーの公演は、そのドヴォルザークがメインだが、もうひとつ、楽団の誇る名ティンパニー奏者、菅原淳にとっては、メンバーとしては最後になる、ソロの出番でもあった。

演奏会は、この楽団らしく丁寧に束ねられた上に、相当に肉厚な「スケルッツォ・カプリツィオーソ」ではじまった。豊富なイディオムがきれいに編みこまれ、海外のオーケストラでも聴くような立派な演奏だった。パーカスの存在感が生かされ、これから登場する菅原へのオマージュのようでもある。

そして、いよいよ彼の出番。38年間、このオーケストラでティンパニーだけを弾いてきたという菅原淳が、今日はソリストとして、テーリヘンのティンパニー協奏曲を演奏する。そのシチュエーションだけで、私としては序盤から感情が昂ぶっている。

テーリヘンは、BPOの名ティンパニー奏者だったというが、私はよく知らない。曲自体はさほどよくできているとも思わないのだが、近代フランス音楽、もしくは、ストラヴィンスキーのような響きに、ティンパニーの妙技が上品にのせられている感じだ。第1パートはティンパニーの粘り強いパフォーマンス、第2パートはその響きのゆたかさ、第3パートにはハードなカデンツァもあり、全体から集められたエネルギーが、ティンパニーの響きにのって解放される。

リズムに対する鋭敏な感覚、全体とのコミュニケーション、もしくはリーダーシップ、力強さと繊細さ、ティンパニー奏者のすべての価値が問われるような楽曲で、菅原は堂々たるパフォーマンスを展開して、我々がいかに優れたティンパニー奏者と触れ合っていたのか、改めて教えてくれた。オーケストラの伴奏については、如何せん、イメージが固まっていない感じを受けたが、ともかく菅原の花道を立派に飾ろうとする一体感は、目に見えるかというほどであった。

終演後は熱い拍手がつづき、今月中に、まだ出演機会があるものかわからないが、とにかく、今回のパフォーマンスに加えて、彼の長いキャリアへの感謝が込められていたのは間違いない。私としては、氏の意思にもよることながら、定年後も、この楽団の舞台に立ってほしいと、つよく願うものである。

メインは、ドヴォルザークの交響曲第6番。下野が9番とともに、スペシャリティにしているプログラムだが、私としても大好きな曲である。下野の演奏は東響のコンサートで聴いたことがあるが、かなりハードなものを要求していた当時よりも、なおさら高いレヴェルでの曲づくりになっていた。それは端的には、演奏の速さで印象づけられるだろう。第1楽章は、すこし忙しないくらいのテンポ設定で、余白なく響きを編みこんでいく感じだが、イメージとしては、さらに速くなる可能性もあっただろう。これを大きなアクションで、ずっと維持していくので、ストリングスは気の毒になるほどだ。

また、第2日テレで配信されている「新世界より」の演奏でもよくわかるように、下野は、ドヴォルザーク演奏で、響きをヴィブらせることを好まない。それをやると、響きにキレがなくなり、よく言われるように、演歌調になってしまうからだと思う。

いまや日本一かもしれないハイテク集団となった読売日響だが、さすがに、これらの要求には十分に応えきれていなかった。とはいえ、やりたいことはしっかり伝わっていたので、すこしぶっちぎれる部分があっても、この演奏はきっと支持されるだろう。響きの刈り込みは、ストリングスではかなり進んでいるが、管セクでは、フルートがもっとも素直な響きをつくり、第2楽章のおわりで、ツーンと響きを維持する見せ場は巧みだった。

後半2楽章が特によく、第3楽章は長めの呼吸で、シャープな波を描き出しての演奏だ。トリオの管セクの合奏が美しく、特に、ホルンの優しい支えが効いているし、パートからパートへの受け渡しも滑らかだ。

白眉は、終楽章である。ここでは、ドヴォルザークを象徴するスラヴの躍動的なリズムに、独墺系音楽のスケールの大きさがのせられて、強烈にぶつかり合っているのがよくわかる演奏だった。すべての声部が大事にされているのは明らかで、例えば、弦が強奏から後退し、管が前面に出てくるときなども、なお、その後退したストリングスの響きに、十分な通り道が与えられている。そのような細やかな表情づけに加え、この楽団のもつようになった圧倒的な合奏の精度が、この楽章に込めたドヴォルザークの執念を、はっきり象徴するものとなった(*この点については、TBの記事を参照のこと)。

メイン・ストリームだけではなく、ヴィオラやチェロ、第2ヴァイオリンの目立たない動きにもスポットが当てられており、そのような部分が急に引き伸ばされて、全奏に発展するような部分なども見事に印象づけられた。終盤の弦のアンサンブルの束ねられた響きは、この楽団を聴くときには珍しくもなくなったが、それでも一回ごとに感動させられる。弦群が内側から押す力が目にみえて強力なので、かえって管の響きが自由になる。弾きおわりは、聴き手のほうまで一体となったようになり、颯爽と終止に突っ込んだ。

アンコールは期待していなかったが、下野ならば、なにかやるかもしれないとも思っていた。結局スラヴ舞曲集 op72-7(第2集に収められる第15番)を演奏し、ぐうの音も出ないほど端正に、しかも情熱的な佳演で華を添えた。

4月に、スクロヴァチェフスキが7番を演奏したが、少なくともドヴォルザークに関しては、下野のほうに軍配が上がった。

【プログラム】 2007年6月9日

1、ドヴォルザーク スケルッツォ・カプリツィオーソ
2、テーリヘン ティンパニー協奏曲
 (ティンパニー:菅原 淳)
3、ドヴォルザーク 交響曲第6番

 コンサートマスター:デヴィッド・ノーラン

 於:東京芸術劇場
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