2007/6/18

仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 セミ・ファイナル A  クラシック・トピックス

既にファイナルの演奏順が出ているが、そちらは少しだけお預けにして、とりあえず公開されている17日の演奏を聴いてみよう。

まずは、中国のリーが、プロコフィエフの3番をチョイスした。この演奏は、少し細かすぎるのではなかろうか。聴き慣れないフレーズがピアノから飛んできて、はじめはしっかりした譜読みに基づいた、ある意味では、コンクールだからこそ聴ける良い演奏であるような印象もあった。しかし、緩徐楽章では特に、粒だった打鍵が流れを切断するように聴こえだし、それがまた、オーケストラとの協奏のインターフェイスを失わせている印象を強くさせた。

リストから指先にかけてのアクションなどは、きわめて理想的である上に、既成の価値観に縛られることなく、豊富なイディオムを提出してくれるリーの演奏は、正しく音化した研究論文のようでもある。そのような面をみたときに、彼女の取捨は難しくなるのだが、さて審査の結果はいかに・・・。

つづいては、日本の長瀬だが、彼もリーと同じ曲を選択。彼に対する評価は、セミ進出者のなかでは、もっとも計りかねるものだった。このセミ・ファイナルでも、特に印象に変化はない。というか、このプロコフィエフでは、さらに小手先の演奏になり、スケールが小さいように思えた。ゆったりピアノを歌わせるときには、なかなかに深みの音色を響かせるだけに、緩徐楽章ではもしかしたら・・・という想いもあったが、期待に十分に応えるものではなかった。

唯一のティーン・ネイジャー、シェフチェンコは、前日の演奏で島貫がチャレンジしたプロコフィエフの2番。このコンチェルトを選ぶときには、他の聴きばえのする曲を弾くときよりも、相当に明確な構成力が求められる。成功すれば効果は大きいが、そうならなかったときのダメージもまた大きい。

その点で、シェフチェンコは相当に善戦したのではないか。冒頭部分や、カデンツァの導入部などは、より明確なデザインを示してほしかったが、そのほかの部分では、スリリングなパッセージが内面を溶け出すようにして、薫りだかいピアノを聴かせている。カデンツァの中盤以降は、骨太な緊張感がつづき、素晴らしい演奏だった。

第2楽章を弛緩のない弾きぶりで、一気呵成に弾きこんだあとには、ユーモラスなリズムを淡々と刻みながら、スケルッツォ的な間奏曲をカラフルに色づけていく。終楽章は、アレグロ・テンペストーソというには、やや控えめな感じでもあるが、後半は少し疲れた印象もある。また、例えば、プロコフィエフが「炎の天使」の作曲家でもあるというようなイメージがあれば、変わっていたのではないか。しかし、とにかくも、最後まで聴かせる演奏ではあった。

ドイツのビリンガーは、長瀬とともに、個人的にはあまり波長の合わなかったピアニストだった。曲目は、プロコフィエフの3番。緩徐楽章の演奏が独特で、気だるそうに弾き崩すようなアクションをせず、丁寧に打楽器のような打鍵をつづけて、素朴なメッセージを印象づけたのは面白い。彼女は自分の手で濃厚に表情づけをしていくのは得手ではないが、こうした部分でバックにまわったとき、聴く力がしっかりしていることを印象づけてくれる。

両端楽章はやや詰まらなくもあるが、よく言えば、楽曲そのものがもつ構造美を、デフォルメなく丁寧にアピールしていくような演奏であった。

さて、ファイナルの演奏順から、セミの通過者を知ることができる。ストリーミングがまだ未公開だが、予想どおり、3日目のコンテスタント(オフチニコフ、グリャーズノフ、津田)が全員選ばれている。そして、ルー、リー、シェフチェンコも、予想どおりに選出された。オスミニンは、残ってほしいコンテスタントではあったが、落選も止むなしとするべきであろうか。

国籍でみると、ロシアが3で、やはり優勢は変わらず。優勝者も、ここから出る可能性が高いとすると、ヴァイオリン部門とあわせて、ロシア人による2冠の可能性が強くなってきた。台湾と中国が各1。日本からは、津田が残って面目を保った形である。
0

2007/6/18

仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 セミ・ファイナル @  クラシック・トピックス

仙台国際音楽コンクールのピアノ部門は、第1次予選後のブレイク中に、コンテスタントの1人が窃盗により逮捕されるアクシデントに見舞われた。これにより、3日目の18日に演奏するはずだったショレーナ・ツィンツァバーゼは、演奏順の表示から削除された。事実上の失格処分であろう。

珍事が面白がられているようだが、他のコンテスタントたちの努力を汚すべきではない。16日から、セミ・ファイナルは始まった。この1日目の演奏では、ルーとオスミニンの演奏が優れているように思う。台湾のルーは唯一、バルトークの3番を選択したが、これがなかなか緻密な演奏である。多分、良い意味で民族的な感じはしない。難技巧も何食わぬ顔でこなし、周囲への持ち込みのない美しい響きをつくり、こんなにも清潔に弾いていいのかというバルトーク演奏であった。特に緩徐楽章はゆったりして雰囲気があり、カラフルな表現のパレットも気を惹いた。

オスミニンは、ラヴェルを選択した。相変わらず隙のない、スイス時計のような演奏である。かといって、精密なだけで味わいのない演奏ではないのだ。彼の打鍵がその厳しいリズムの枠の中に、きれいに納まっていく様子はなんともスリリングであり、解釈に新味こそないものの、その分、演奏は新鮮に感じられる。

第2楽章の緩徐的な部分は、内面にさらなる深みが求められるが、25歳の現時点では、これは及第点であろう。どこかヴィブラート気味の揺れが感じられるのだが、こうしたピアノのアクションは、細かなニュアンスの揺らしによるものなのであろうか。淡白なピアノの凋琢が、かえって木管のメッセージを引き立てるようである。

フィナーレは、明確なアクションで諧謔的な曲想をしっかり弾き上げ、曖昧さがない。ところが、きわめて自由に聴こえるのが不思議なところ。真の自由さというのは、厳しい枠組みのなかにこそあることを感じさせる、優れた演奏である。

この2人と比べると、シィと島貫は、表現の緻密さにおいて一歩を譲る。シィはプロコフィエフの3番を選択し、とにかく徹底した譜読みのオリジナリティは買ってあげたい。だが、ときどき無造作な打鍵があり、それが全体の流れのなかで、高度に工夫されたフォルムを損なうことになっている。だが、協奏の作り方などは繊細で、それが評価される可能性もある。

島貫は、プロコフィエフの2番を選択した。スケールの大きさを感じさせるピアニストであるが、この日のほかのコンテスタントたちに比べると、やはり打鍵の清潔さへの感覚が甘いように思う。敢えて難しい曲目を選んでいるが、フォルムのつくり方もぼやけている。ただ、この人はスロー・スターターで、温まってくると、急にキレが良くなり、響きが変わってくる傾向もある。とはいえ、全体に安定感に欠ける演奏という印象は拭えない。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ