2007/4/1

G.アルブレヒト マーラー 交響曲第9番 読売日響 3/31  演奏会

3月31日、オーケストラの日。いよいよ、ゲルト・アルブレヒトが読売日響の常任指揮者として、最後のコンサートを迎えた。このコンビの、特に最後の1〜2年の充実ぶりは、ひとつの奇跡とでもいうべき偉大な成果である。そして、今回のコンサートは、その集大成とするにふさわしい演奏となった。アルブレヒトは去るが、そこにひとつ、楽団にとって新しい希望が芽生える。それは、東京芸術劇場との提携である。

今日の私の席は、3Fの右翼だ。オケマンが着席し、藤原浜雄コンマスが登場。音あわせを始める。おや・・・きれいに音が届いてくる。今回、提携発表時に「可能な限り、公演前日のリハーサル会場として利用する」とされていたのが、現実のこととなったのかどうかわからないが、多分、そうなったと思う。きれいにアジャストされて、適度な響きが客席に伝わり、アタックも調度いい。アルブレヒトのめざすブリリアントな響きを、ホールの音響が助けている。

さて、今回のマーラーだが、私はびっくりした。予習をして一応のイメージをつくっておいたのは、このページで発表したとおりだが、アルブレヒトはまったく予想がつかなかった。他所のブログ記事などでは、テンポが速いということが言われているようだが、私はまず、響きが明るいことに注目した。

アルブレヒトが捉えたマーラー像は、人生の最後に精神的にも肉体的にも斃れかけているマーラーではない。彼と読売日響の解釈によれば、マーラーは最後までエネルギーの塊だった。それは確かに、最後の楽章のおわりには自分で幕を引いた。だが、それは永遠の眠りというよりは、復活のほうをイメージさせる。たとえ、その夜、神に召されたとしても、このマーラーはやがて、きっと立ち上がってくるに違いないのだ。ほとんど最後の楽章の僅かな部分を除いて、アルブレヒトが作り出す響きは、内側からピチピチとエネルギーを発する、音の弾力に満ちていた。

とりわけ、弦の内声のみせた生命力の強さは、ちょっと他では体験しがたいものだった。いわゆるローカリティみたいなものとはちがうが、個性的というべきだろう。弦が内側から管を押していく構造のなかでも、特に、2ndヴァイオリンとヴィオラとの支えが、他の楽団とは比べものにならないほど、しっかりした弾力をもつ。もちろん、その前提として、精度が高いのは言うまでもない。あまりにも遠めで誰だかわからないが、多分、鈴木康浩が務めたヴィオラ・トップに率いられた、このセクションの活躍は、素晴らしい演奏の中でもとりわけ目立っていた。

白眉は中間2楽章であり、こうした特長が如実に表れている。特に、弦・管のバランスにおいて、もっともスリリングだったのは、第3楽章である。シンバルの一打に導かれるC部まで、単調になる一歩寸前だが、これは演奏云々というよりは、楽曲そのもののデザインによる。しかし、最適の場所で訪れるC部に飛び込んだときの、弱奏の歌の伸びやかさは出色で、何ともいえない深みがあった。弦・管の交代の尖鋭さと、メイン・ストリームに入ったときの丁寧な演奏は、いかにも日本人らしい。A部へ完全に再帰したあとのスリリングな展開は言うまでもない。

第2楽章は、ほとんど破綻のない安定した演奏で、うっとりしていた。というか、このオケを誰に任せたら、このクオリティを保てるのだろうかと、そのことばかりを考えていた。非常に繊細で、紛れがないアンサンブル。ヴィブらない弦のしっかりした支えに、管が安心して襲いかかる。ここのところ、管セクションにも穴がなくなってきた読売日響だ。

第4楽章も良い演奏であるが、それは、ストリングスの圧倒的な充実度においてであろう(もちろん、管セクが印象的でないという意味ではない)。こうした部分だけをとれば、世界に冠たるオーケストラというに、何の衒いもない。アダージョだが、途中までは、響きはまだまだ健康的だった。我々のイメージとは異なり、アルブレヒトは、なかなか手綱を緩めないからだ。最強奏を築いたあと、珍しくほんの少しだけ溜めてから、響きを鎮めていくときに、ようやく「自分で幕を引」くような感じが受け取られて、思わずうるっと来てしまう。

管の見せ場のあとは、最後の盛り上がりが来るが、ここで完全に釣り込まれる。この日のマーラーを聴いていて、なにか弦楽合奏の曲でもアンコールしたい気分だったが、このアダージョで事足りた。というより、今日の演奏のすべてが、長い9年間の長大なアンコールだった気がしないでもないが・・・。最後、徐々に響きを収めていくときの、丁寧なアンサンブルは、このコンビが到達した高みを象徴するだろう。とりわけ、コーダの弦楽合奏の美しさは、言葉にできない。終演後は指揮者が手を下ろしても、それに抵抗するように、聴衆がしばらく静まり返っていたのが印象的だ。

最初の楽章も、自分としては好きな演奏かもしれない。やや起伏に欠ける感じもするが、最初のブレイクをやりきらないで、飛び越えたあと、2度目のブレイクで、しっかり壊していくという構図が明確だ。この日の演奏を象徴するような、左脳刺激型の音楽づくりで、どこをとっても新鮮な味がする。特に、汽船の揺れを思わせる冒頭部分は、最初、帆船のようなゆったりした感じではじまり、「ボーッ」という汽笛で動き出すと、一気に蒸気船のイメージが現れ、つづいて、より近代的な軍艦の蠢きのようになるなど、響きそのものが時代を駆け抜けるような感じがして、面白かった。

書きたいことは他にもあるが、これで止めておこう。芸劇は一体感がないので、サントリーホール公演について報告されているような、終演後の熱狂的なオヴェーションはなかったものの、聴衆たちはみんな、この日の演奏を大切に噛み締めながら、帰っていったことだろう。マーラーの中でも9番は、意外と演奏効果が上がりにくいが、この日の演奏は特筆に価するものである。

ちなみにテンポだが、ワルターを基準にすれば、さほど速いとはいえない。私も、他のページの書き手が言うほどは、速さは感じなかった。表現に違和感を与えるほどではない。ただ、巨匠指揮者ほど濃厚でないというだけだ。

来月のスクロヴァチェフスキも楽しみではあるが、第2楽章に考えていたことの答えは、まったく出ていない。代わりはいない。ゲルト・アルブレヒト、偉大なるマエストロよ!
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ